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小学四年生に戻った俺の、あの頃からのやり直し  作者: HATENA 
第二章 四億円の使い道

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第二十五話 海の見える部屋

 次の日の夕方、姉ちゃんは玄関の音がするたびに顔を上げた。


「まだ?」

「まだ帰ってきてないでしょ」

「電話したかな」

「知らない」

「こういちも気になるくせに」

「少しだけな」


 姉ちゃんはテーブルの端に置かれたチラシを、もう何回目か分からないくらい見ていた。


 海の見える部屋、露天風呂、夕食付き。


 チラシに書いてあることを、俺も覚えるくらい見た。


 玄関の戸が開く音がして、姉ちゃんが立ち上がった。


「お父さん」

「ただいまくらい言わせろ」

「ただいま。取れた?」

「お前がただいまを言うな」


 父さんは靴を脱ぎながら、少し笑った。


「取れたよ」


 姉ちゃんが小さく跳ねた。


「ほんと?」

「二十七日から一泊」

「やった」


 母さんが台所から顔を出した。


「本当に取れたの?」

「部屋は少し狭いらしいけどな」

「狭くてもいい」


 姉ちゃんがすぐ言った。


「海見える?」

「見えるとは言ってた」

「じゃあいい」


 そこでやっと、旅行に行くんだと思った。


 旅行の日は、朝から家の中がいつもよりうるさかった。


「タオル入れた?」

「宿にあるんじゃないの」

「あるけど、一枚くらい持っていくの」

「歯ブラシは?」

「それもあると思うけど」

「じゃあ何持っていくの」

「着替え」


 姉ちゃんは母さんに聞いているのに、だいたい自分で決めていた。


 俺はランドセルじゃない小さい鞄に、着替えとゲームボーイを入れた。


 電池も入れた。


 入れてから、少し迷って、攻略本は置いていくことにした。


「ゲーム持った?」


 姉ちゃんがのぞき込んできた。


「持った」

「車でやるの?」

「やらない」

「酔うから?」

「酔わないけど」

「酔う人はみんなそう言う」


 父さんが玄関で鍵を持った。


「行くぞ」


 車に乗ると、窓の内側が少し白くなっていた。


 父さんがエンジンをかける。


 母さんが後ろを振り返った。


「二人ともシートベルトしなさいよ」

「してる」

「俺もしてる」


 姉ちゃんは出発してすぐ、窓の外を見始めた。


「早く海見えないかな」

「家出たばっかりだろ」

「分かってる」


 スーパーの前を通って、学校の近くの道を抜けて、見たことのあるガソリンスタンドが後ろに流れていく。


 信号で止まるたびに、姉ちゃんが少し身を乗り出す。


「海まだ?」

「まだ先」

「どれくらい?」

「分からない」


 母さんが笑った。


 途中のサービスエリアで、父さんが車を停めた。


「トイレ行っとけ」

「行かない」

「あとで行きたいって言うなよ」

「じゃあ行く」


 姉ちゃんはそう言って、母さんと一緒に建物の方へ歩いていった。


 俺は父さんと車のそばに残った。


 風が冷たい。


 遠くの方で、トラックのエンジンの音がずっとしている。


「寒いな」

「うん」

「海の近くはもっと寒いぞ」

「散歩するんだろ」

「する。せっかくだしな」


 父さんはポケットに手を入れたまま、駐車場の向こうを見ていた。


「こういうの、久しぶりだな」

「旅行?」

「まあな」


 父さんはそれだけ言って、自動販売機の方へ歩いた。


「何飲む?」

「温かいやつ」

「お茶でいいか」

「うん」


 缶のお茶は熱くて、両手で持ってもすぐには飲めなかった。


 姉ちゃんが戻ってきて、俺の手元を見る。


「ずるい」

「お前も飲むか?」

「飲む」


 父さんがもう一本買いに行くと、姉ちゃんは俺の缶をじっと見た。


「一口」

「熱いぞ」

「分かってる」


 姉ちゃんがすぐ手を伸ばそうとしたので、少しだけ笑った。


 車に戻ってから、道はだんだん知らない景色になっていった。


 家が少なくなって、山が近くなって、しばらくすると道の向こうに灰色の海が見えた。


「あ、海」


 姉ちゃんが一番に言った。


 俺は窓に顔を近づけた。


 冬の海は、青いというより、銀色に近かった。


 波が白くなって、遠くで何度も崩れている。


「ほんとだ、海だ」


 姉ちゃんは窓に手をついて、しばらく黙っていた。


 宿は、坂を少し上がったところにあった。


 大きすぎない建物で、入口の横に小さい松が植えてある。


 父さんが車を停めると、母さんが荷物を持ち直した。


「忘れ物ない?」

「ゲーム」

「それだけじゃないでしょ」

「着替えもある」


 ロビーに入ると、外より暖かかった。


 床には、高そうなじゅうたんが敷いてあった。


 フロントの人が「お待ちしておりました」と言って、父さんが名前を書いた。


 俺はその横で、置いてあるパンフレットを見ていた。


「行くぞ」


 父さんに言われて、エレベーターに乗った。


 部屋の前で鍵を開ける音がした。


 姉ちゃんが一番に中をのぞいた。


「畳だ」

「靴脱げよ」

「分かってる」


 部屋は、本当に少しだけ狭かった。


 でも、畳の匂いがして、小さいテーブルがあって、窓の外には海が見えた。


 姉ちゃんがカーテンを全部開けた。


「見える」


 それだけ言って、姉ちゃんは腰に手を当てて外を見ていた。


 俺も横に並んだ。


 海は車から見た時より近い。


 波の音は、窓を閉めていても少し聞こえた。


 母さんが荷物を部屋の隅に置いた。


「先に少し休んでから、外を歩こうか」

「そのあとお風呂?」

「そう。お風呂で温まりましょう」

「じゃあ行く」


 父さんは窓のそばに立って、海を見ていた。


「じゃあ、少し行くか」

「やった」


 外に出ると、思っていたより風が強かった。


 姉ちゃんはすぐにマフラーを押さえた。


「寒い」

「行く前から寒がらないって言われてただろ」

「外は別」


 宿の前の坂を下りると、海の近くまで行ける道があった。


 砂浜ではなく、石が並んだ堤防みたいなところだった。


 波が来るたびに、白い泡が伸びて、すぐ戻っていく。


 母さんは、風が強くて髪を押さえながら歩いていた。


 父さんは何も言わずに、少し前を歩いている。


 俺はポケットに手を入れたまま、海を見た。


 寒いのに、すぐ部屋に戻りたいとは思わなかった。


「こういち、写真撮るよ」


 母さんが使い捨てカメラを出していた。


「ここで?」

「海が見えるから」

「寒い」

「すぐ終わる」


 姉ちゃんが隣に来て、肩を寄せてくる。


「近い」

「入らないでしょ」

「入るだろ」

「早くして。寒いよ」


 母さんがカメラを構えた。


「はい、撮るよ」


 カシャ、と軽い音がした。


 撮られたあとも、姉ちゃんは少しだけそのまま立っていた。


「もう一枚」

「え」

「だって海だし」


 父さんが笑って、母さんからカメラを受け取った。


「じゃあ今度は母さんも入れ」


 母さんは少し嫌そうな顔をしたけど、結局こっちへ来た。


 四人で並ぶと、風がさらに冷たく感じた。


「早く」

「押すぞ」


 父さんが腕を伸ばして、少し変な角度でシャッターを押した。


 ちゃんと撮れているかは分からなかった。


 部屋に戻るころには、手が冷たくなっていた。


 母さんが湯のみを並べて、お茶を入れる。


 姉ちゃんはまた窓のそばに座った。


「夜の海も見えるかな」

「暗いだけじゃない?」

「それでも見る」


 俺は鞄からゲームボーイを出して、小さいテーブルの上に置いた。


 電源は入れなかった。


 窓の外で、波の音が少しだけ大きくなった。

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