第二十四話 冬休み、どこか行く?
「冬休み、どこか行くの?」
帰りの会が終わって、椅子を机の下に入れたところで、遼太が聞いてきた。
「まだ分からない」
「そっか。俺はばあちゃんちに行くんだよな」
遼太は自分で言ってから、少しだけ嫌そうな顔をした。
「近いけど」
「近いのかよ」
「泊まるから旅行みたいなもんだろ」
「それはちょっと分かる」
悠斗がランドセルを背負いながら笑った。
「俺はたぶん家にいて、正月だけ親戚の家に行く」
「親戚の家行って何するの?」
「みんな集まって、テレビ見ながらしゃべったりするだけ」
七海が後ろから来て、二人の間を通った。
「うちは、お母さんの実家かな」
「どこなの?」
「遠いところ」
「遠出いいなー」
「いいでしょ」
七海は上履きの袋を持ち直した。
「藤宮は?」
「だから、まだ分からないって」
「ゲームするんだろ」
「それはする」
「じゃあ行かなくてもいいじゃん」
「それとこれは別だろ」
大人になってからは、仕事だ何だで、旅行なんてほとんど行けなかった。
夏休みに旅行に行けなかった分、今回は少し行ってみたい。
「どこか行ったら言えよ」
「行ったらな」
遼太は満足したみたいにうなずいて、先に教室を出ていった。
廊下は寒かった。
窓の近くを通ると、肩のあたりがひやっとした。
家に帰ると、玄関に姉ちゃんの靴がなかった。
まだ帰ってないのか。
「ただいま」
台所から母さんが顔だけ出した。
「おかえり。手を洗ってきなさい」
「姉ちゃんは?」
「友達の家。五時までには帰るって」
水道の水は、指に当たると少し痛い。
手を拭いて居間に入ると、テーブルの端に薄い紙が何枚か置いてあった。
温泉、かに料理、海の見える宿。
「これ何」
「スーパーの入口に置いてあったの」
「旅行行くの?」
「まだ分からないよ。お父さんの休みもあるし」
「どこ行くの?」
「だから、まだ見てるだけ」
母さんはそう言ったけど、見てるだけにしては、紙の端が少し折れていた。
母さんは笑って、鍋のふたを少しずらした。
湯気が出て、味噌のにおいが広がる。
「冬の海って寒い?」
「寒いんじゃない?」
「じゃあ温泉?」
「こういちは温泉行きたいの?」
「行きたい」
「行けたらいいね」
その時、玄関から姉ちゃんの声がした。
「ただいまー」
すぐに居間の戸が開いた。
「寒い。手が死んだ」
「死んでないでしょ。洗ってきなさい」
「はーい」
姉ちゃんは返事をしながら、テーブルの紙を見た。
「え、旅行?」
「先に手を洗って」
「あとで洗う」
「先に洗って」
母さんに言われて、姉ちゃんは少しだけ口をとがらせた。
「戻ってくるまで見ないでよ」
「見ない」
「こういち、先に選ばないでよ」
「選ばないよ」
姉ちゃんは疑うようにこっちを見てから、洗面所へ行った。
水の音がして、すぐ戻ってくる。
「どこ行くの」
「まだ決まってない」
「温泉いいじゃん」
「寒いから?」
「温泉は寒い時に行くものでしょ」
「夏でも行くだろ」
「夏は海でしょ」
姉ちゃんは返事を待たずに、紙を広げた。
写真の中の露天風呂には、白い湯気が上がっている。
隣の写真には、畳の部屋と、窓の外の海が写っていた。
「ここ、部屋から海見えるって」
「冬の海だぞ」
「見るだけなら寒くないじゃん」
「外出たら寒い」
「出なきゃいいじゃん」
姉ちゃんは紙の端を指で押さえた。
「ここがいい」
「まだ決まってないって」
「じゃあ候補ね」
六時半を過ぎたころ、父さんが帰ってきた。
玄関の戸が開く音がして、姉ちゃんがすぐ顔を上げる。
「お父さん、旅行行くの?」
父さんはまだ靴を脱いでいる途中だった。
「いきなりだな」
「だって紙ある」
「手洗ってから聞け」
「もう洗った」
「俺がだ」
父さんは鞄を置いて、洗面所へ行った。
姉ちゃんはテーブルの前で待っている。
待っている間も、紙から目を離していない。
父さんが戻ってくると、母さんが味噌汁をよそいながら言った。
「スーパーで見かけたから、私が持ってきただけ」
父さんはチラシを見て、椅子に座った。
「冬休み、どこか行ける?」
姉ちゃんがもう一回聞いた。
父さんはすぐには答えず、カレンダーの方を見た。
「年末は混むぞ」
「混んでないところ」
「あるといいけどな」
「あるって」
「決めるの早いな」
姉ちゃんは全然負けていない顔をしている。
母さんが茶碗を置いた。
「一泊くらいなら、行ける日ある?」
「二十七か二十八なら、なんとかなるかもしれない」
「ほんと?」
「まだ決まったわけじゃないぞ」
姉ちゃんの顔が少し明るくなる。
俺は箸を持ったまま、カレンダーを見た。
二十七日と二十八日。
「こういちは、どこがいい?」
父さんに聞かれて、少し遅れて返事をした。
「姉ちゃんが言ってたところ」
「あの海が見えるところ?」
「うん」
「温泉もあるしね」
父さんが少し笑った。
「宿が取れたらな」
「電話してくれる?」
「明日、昼休みにできたらな」
「ほんと?」
「忙しくなかったらな」
姉ちゃんは笑って、やっと味噌汁に手を伸ばした。
母さんが紙を一枚だけ父さんの方へ滑らせる。
「ここ、値段もまだましかなって」
「場所は?」
「海の近く。車で行けそう」
「雪は?」
「たぶん大丈夫」
父さんは紙を手に取って、しばらく見ていた。
俺は横から写真だけを見た。
畳の部屋と、小さいテーブルと、窓の外の海が写っている。
ゲームボーイを持っていったら、夜に少しできるかもしれない。
でも、そう思ってから、すぐにやめた。
旅行に行ってまで、ずっとゲームをしていたら、たぶんもったいない。
「なに笑ってるの」
姉ちゃんに言われて、自分が少し口元をゆるめていたことに気づいた。
「別に」
「絶対ゲーム持っていくこと考えてた」
「考えてない」
「うそ」
「少しだけ」
「ほら」
父さんが紙から目を上げた。
「持っていくのはいいが、車の中で酔うなよ」
「酔わない」
「前に酔っただろ」
「あれは本読んだから」
「ゲームも同じだ」
「じゃあ着いてから」
言うと、母さんが少しだけ眉を上げた。
「宿に着いたら、まず荷物を置く」
「分かってる」
「そのあと、みんなで散歩」
「寒い」
「行く前から寒がらない」
遼太みたいだと思って、少し笑いそうになった。
「何?」
「なんでもない」
姉ちゃんが何回も写真を見るので、母さんが「こぼさないでよ」と言った。
父さんも、食べ終わってからもう一回紙を手に取った。
「予約できたら、ここにするか」
姉ちゃんが箸を置いた。
「やった」
「取れたら、だぞ」
「でも、ここなんでしょ」
「空いてたらな」
姉ちゃんは、また写真をのぞいた。
「空いてるかな」




