第十三話 係決め
それから何日か、宿題を先にやる日は続いた。
毎日うまくいったわけじゃない。
テレビで野球のニュースが流れていると、つい見てしまう。姉ちゃんが見ていた歌番組の曲が耳に残って、漢字を書きながら手が止まる日もあった。
それでも、連絡帳を開く回数は増えた。
忘れ物も、少しだけ減った。
「こういち、最近ランドセル開けるの早いね」
朝、母さんが弁当箱を洗いながら言った。
「早いってほどじゃない」
「前は玄関に置きっぱなしだったでしょ」
「そんなに?」
「けっこう」
母さんはすぐ言った。
言い返せなかった。
「今日は遊びに行くの?」
「たぶん」
「帰ってきたら先に言いなさい」
「分かった」
「あと、プリントあったら出してね」
「分かってる」
「あとで探すの大変なんだから」
「今日は出す」
母さんは少し笑った。
「じゃあ見とく」
見とく、と言われると少し困る。
ランドセルを背負う前に、俺はもう一回だけ連絡帳を見た。
国語。
算数。
理科。
持ち物は、特にない。
学校に着くと、遼太が机の上にノートを広げていた。
「藤宮、見て」
「なに」
「宿題、全部やった」
ノートを見せてくる。
たしかに、全部埋まっている。
字が薄い。
「読める?」
「読めるだろ」
「ここ、何て書いたんだよ」
「俺にも分からん」
「だめじゃん」
悠斗が横からのぞいた。
「でも全部書いてある」
「書いてあるだけならな」
「昨日よりだいぶえらい」
遼太は満足そうにうなずいた。
「だろ」
「字、読めないけどな」
「そこは先生ががんばる」
「先生にがんばらせるなよ」
朝の会が始まる前から、教室は少しざわざわしていた。
黒板の右端に、先生が大きく書く。
係決め。
「今日は係を決めるぞ」
先生がチョークを置いた。
「前にやったことある係でもいいし、新しくやってみたい係でもいい」
「ただし、遊びの係はない」
「えー」
遼太の声がすぐ出た。
「先生、ゲーム係は?」
「ない」
「漫画係は?」
「ない」
「じゃあ何があるん?」
「今から書く」
先生は黒板に係を書いていった。
黒板係。
配り係。
掲示係。
体育係。
図書係。
生き物係。
生き物係、と書かれたところで、何人かが少し前のめりになった。
「金魚?」
「金魚はいない」
「じゃあ何の生き物?」
「今はメダカだな」
「メダカかー」
メダカへの反応は、少し弱かった。
何でもいい、と言いかけてやめた。
「藤宮、何にする?」
悠斗が聞いてきた。
「まだ決めてない」
「体育係やろうぜ」
「なんで」
「ボール出せる」
「それだけ?」
「それ大事だろ」
遼太が振り向いた。
「俺、体育係にしようかな」
「さっき俺も言っただろ」
「ボール出せるし」
「理由そればっかりじゃん」
「それが大事なんだって」
七海が後ろの席から言った。
「体育係って、ボール係じゃないやろ」
「だいたい同じだろ」
「違うと思う」
教室のあちこちで、似たような声がしていた。
やりたい係に手を挙げるだけなのに、少し落ち着かない。
何もしなくて済みそうな係を探しかけて、手が止まった。
「配り係、やる人」
先生が言った。
俺は少し遅れて手を挙げた。
「藤宮」
先生が名前を書く。
「ほかに」
七海が手を挙げた。
「宮下」
先生が隣に名前を書く。
宮下。
藤宮。
宮下。
同じ係になっただけなのに、七海がこっちを見て、少し笑った。
「ちゃんと配ってな」
「七海もだろ」
「うちはちゃんとするし」
「俺もする」
「じゃあ大丈夫か」
「なんで七海が決めるんだよ」
先生が手を叩いた。
「はい、話すのはそこまで。係が決まったら、さっそく仕事があるぞ」
さっそく。
思ったより早い。
先生は教卓の上に置いてあったプリントの束を持ち上げた。
「今日の理科のプリントだ。配り係、前に来て」
俺と七海は前に出た。
プリントの束は思ったより厚い。
「一人一枚な。余ったら先生に返す」
「はい」
七海はすぐ半分持っていった。
「藤宮、そっち半分」
「分かった」
机の列の間を歩く。
前の席から順番に置いていけばいいだけなのに、意外と焦る。
誰に配ったか分からなくなりそうになる。
「藤宮、そこ二枚」
七海が小声で言った。
「え」
「そこ。中村くんの机」
見ると、同じ机に二枚置いていた。
「悪い」
俺は一枚取って、後ろの席に置き直した。
「藤宮、俺のない」
遼太が言う。
「今行く」
「飛ばした?」
「飛ばしてない」
「絶対飛ばした」
「今配るって」
悠斗が笑う。
「遼太はうるさいから、逆に飛ばされないだろ」
「うるさくないし」
「今うるさい」
配り終わると、手元に三枚余った。
多いのか少ないのか分からない。
「余り、三枚」
七海が先生に言った。
「こっちも一枚」
俺も言う。
「合わせて四枚なら合ってるな。ありがとう」
先生は受け取って、教卓に置いた。
理科の授業では、プリントの穴埋めをした。
メダカのからだ。
ひれ。
えら。
卵。
生き物係になった男子が、休み時間に水槽をのぞき込んでいた。メダカは端の方で、小さく動いている。
「これ、何匹おるん?」
悠斗が水槽をのぞく。
「数えたら?」
七海が言った。
「動くから無理」
「じゃあだいたいでいいやん」
「だいたい八」
「ほんとに数えてないやろ」
遼太が横から来て、水槽に顔を近づけた。
「メダカって、うまいんかな」
「食べるな」
七海がすぐ言った。
「食べないし。思っただけ」
「思うな」
俺は少し笑った。
水槽のガラスに、遼太の息で白いあとがついた。
「近いって」
「見えんし」
「だから近いって」
放課後、帰りの会が終わってから、先生に呼ばれた。
「藤宮、宮下」
「はい」
俺と七海が前へ行く。
先生は教卓の上から、余ったプリントを二種類取った。
「今日休みの人の分だ。二人で職員室まで持ってきてくれるか」
職員室。
先生ばかりいて、勝手に入ったら怒られそうで、ドアの前で声を出すだけでも緊張する。
「行けるか?」
先生が聞いた。
「行けます」
返事が少し早かった。
七海が横でちらっと俺を見た。
「じゃあ行こ」
廊下を歩く。
プリントは軽い。
でも、職員室に向かうだけで、なぜか少し背筋が伸びた。
「藤宮、職員室入るの平気?」
「平気っていうか、入るだけだろ」
「うちはちょっと苦手」
「なんで」
「先生多い」
「それはそう」
職員室の前で、七海が少し止まった。
「藤宮、先に言って」
「俺?」
「係やろ」
「七海も係だろ」
「じゃんけんする?」
「しない。時間かかる」
俺はドアの前に立った。
中から電話の声と、紙をめくる音が聞こえる。
七海に先にどうぞ、と言いかけてやめた。
「失礼します」
声が少し小さかった。
中にいた先生がこっちを見る。
「どうした?」
「四年二組の藤宮です。休みの人のプリント、持ってきました」
言いながら、これで合っているのか不安になる。
七海が後ろからプリントを出した。
「宮下です」
「はい、ありがとう。そこの机に置いといて」
先生に言われた机にプリントを置く。
職員室を出ると、七海が小さく息を吐いた。
「終わった」
「大げさ」
「藤宮も声ちっちゃかった」
「聞こえただろ」
「たぶん」
二人で教室に戻る。
廊下の窓から、校庭が見えた。
悠斗と遼太が、もう外に出ている。遼太はランドセルを背負ったまま、何かを蹴っていた。
「あれ怒られるやつやん」
七海が言う。
「たぶん石」
「石蹴るなって言われるやつ」
「言われる前にやめればいいんだろ」
「それ遼太の言い方」
教室に戻ると、先生がプリントの束を整理していた。
「助かった。二人とも、明日から配り係よろしくな」
「はい」
「はい」
今度は、七海と声がそろった。
ランドセルを背負うと、遼太が廊下から顔を出した。
「藤宮、職員室どうだった?」
「普通。プリント置いてきただけ」
「怒られた?」
「怒られてない」
「つまんないな」
「怒られた方が面白いのかよ」
「ちょっと」
「ちょっとじゃないだろ」
悠斗が昇降口の方から手を振っている。
「早くー。今日、公園行くんだろ」
「行く」
「宿題は?」
遼太が俺を見る。
「先に宿題やってから行く」
「今日も?」
「今日も」
「じゃあ四時?」
「四時くらいなら行ける」
遼太は少し嫌そうな顔をしたけれど、昨日ほどは文句を言わなかった。
家に帰ると、母さんが玄関に出てきた。
「おかえり」
「ただいま」
「プリントある?」
「ある」
俺はランドセルからプリントを出した。
母さんは少し驚いた顔をした。
「今日は先に出した」
「出しただけだって」
「それが大事なの」
「あと、係になった」
「何の?」
「配り係」
「へえ。いいじゃない」
「配るだけだよ」
「配るだけでも、忘れたら困るでしょ」
母さんはプリントを冷蔵庫の横に貼った。
月曜日、小テスト。
赤い鉛筆で、先生の字が書いてある。
「小テストあるの?」
「あ」
プリントは出した。
でも、中身は見ていなかった。
母さんがこっちを見た。
「出したら、中も見なさい」
「……うん」
俺はもう一回プリントを見た。
月曜日、小テスト。
公園に行く前に、やることが一つ増えた。




