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小学四年生に戻った俺の、あの頃から始める人生やり直し  作者: HATENA 
第一章 平成十年、四年生の春
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第十二話 見出しだけ

 朝、リビングに行くと、父さんはもう新聞を読んでいた。


 茶碗の横に新聞を広げて、味噌汁に手を伸ばす前に一面を見ている。


「父さん」

「ん?」

「新聞、ちょっと見てもいい?」


 父さんは新聞から目だけ上げた。


「食べながらか?」

「こぼさないから」

「じゃあ味噌汁から離せ」


 母さんが台所から言った。


「先にご飯食べなさい。新聞は逃げないでしょ」

「逃げないけど、父さんが持っていく」

「会社に新聞持っていくわけじゃないだろ」


 父さんがそう言って、新聞を少し畳んだ。


「一面だけな。味噌汁から離して読め」

「分かった」


 俺は茶碗を少し横にずらして、新聞を受け取った。


 紙が大きい。


 今の腕で広げると、思ったより場所を取る。端が茶碗に近づいて、あわてて引いた。


「ほら」

「まだこぼしてない」

「まだ、な」


 父さんが短く笑った。


 新聞の一面は、思ったより読むところが多かった。


 どこを見ればいいのか、一瞬分からなくなる。


「大きい字のところからでいいんだよな」

「そうだな。見出しだ」

「見出し」

「そこだけ読んでも、何の話か少しは分かる」


 俺は一番大きい文字を追った。


 政治。


 景気。


 銀行。


 言葉自体は分かる。でも、そこに出てくる名前や細かい話までは、すぐには頭に入ってこない。


 それでも、昨日の株価欄よりはまだ読めた。


「全部読むのは無理だな」

「小四で全部読めたら、父さんが困るな」

「なんで」

「父さんより賢くなる」


 姉ちゃんが横から笑った。


「もうなってるんちゃう?」

「なってない」

「株とか言ってるし」

「まだ言うのかよ」

「だって、花のノートに株やで」


 母さんが味噌汁を置いた。


「新聞読むなら、口も動かしなさい。遅刻するよ」

「食べる」


 新聞を畳んで父さんに返すと、指の先が少し黒くなっていた。


「あ」

「新聞のインクだな」

「ほんとだ。黒くなってる」

「洗えば落ちる」


 姉ちゃんが俺の指を見た。


「おじさんポイント上がったな」

「上がってない」

「新聞読んで指黒い小四、あんまりおらんで」

「うるさい」


 言い返しながら、俺は味噌汁を飲んだ。


 豆腐が熱くて、少しだけ口の中で転がした。


 学校に着くと、遼太が机に顔を近づけていた。


「藤宮」

「なに」

「連絡帳、持ってきてた」

「おお」

「でも宿題やってない」

「なんでだよ」

「見るの忘れた」


 横で悠斗が笑った。


「連絡帳ある意味ないじゃん」

「あるし。持ってきたし」

「中見てないだろ」

「そこは今日から」


 遼太は胸を張った。


 胸を張るところではなかった。


「今日からって、昨日やる話だっただろ」

「昨日は昨日」

「先生に言われるぞ」

「言われる前に何とかする」

「どうやって」

「藤宮、ちょっと見せて」

「見せない。怒られるだろ」


 すぐ言ったら、遼太が口を尖らせた。


「けち」

「けちじゃない。写したら怒られるだろ」

「ちょっとだけ」

「ちょっとだけ写す宿題って何だよ」


 悠斗が俺の机に手を置いた。


「じゃあ休み時間に教えたら?」

「教えるって、俺が?」

「藤宮、分かるんだろ」

「遼太がちゃんと聞くならな」

「聞くって。たぶん」


 俺は忘れかけた体操服の袋をちらっと見た。


「じゃあ、一時間目終わったらな」

「今じゃだめ?」

「朝の用意あるだろ」

「めんどい」

「俺もめんどい」

「じゃあ写させて」

「それはだめ」


 遼太は口を尖らせながら、しぶしぶ自分の席へ戻った。


 朝の会が始まる前に、俺は連絡帳を開いた。


 先生が黒板に今日の予定を書いていく。


 国語。


 算数。


 理科。


 体育。


 国語の時間は、教科書を順番に読んだ。


 俺の番が来る前に、指で行を追う。前よりは、どこを読んでいるか分かる。声を出すと少しつかえたけれど、最後まで読めた。


「はい、そこまで」


 先生が言う。


「藤宮、昨日より声出てたな」

「はい」


 後ろから小さい声がした。


「朝から元気じゃん」


 遼太だった。


 俺は振り向かずに言った。


「うるさい」

「ほめてるのに」

「今言うなよ」


 先生がチョークを置いた。


「そこ、話すなら休み時間にな」

「はい」


 遼太と俺の声が少し重なった。


 休み時間になると、遼太は本当に宿題のノートを持ってきた。


「ここ」

「ここって、全部じゃん」

「分かんないところが全部」

「それはやってないって言うんだよ」

「だから助けて」


 悠斗が横からのぞく。


「遼太、字うす」

「まだ書いてないからな」

「そりゃうすいわ」


 俺は鉛筆を持って、問題を指した。


「このへん見たらあるって」

「答えは?」

「答えは自分で書けよ」

「藤宮、先生みたい」

「やめろ」


 先生みたいと言われると、少し嫌だった。


 でも、答えだけ写させるのは違う。あとで遼太がまた困る。


「じゃあさ、ここだけ教えて」

「じゃあ、まず問題読めよ」

「読んだ」

「今読んでないだろ」

「心で読んだ」

「声に出せ」


 悠斗が笑った。


「心で読んだはずるい」

「ずるくないし」


 遼太はぶつぶつ言いながら問題を読み始めた。


 読みながら、途中で「あ」と言う。


「分かった?」

「ちょっと分かった」

「じゃあ書け」

「藤宮、厳しい」

「普通だって」


 遼太は鉛筆を持ったまま、しばらくノートを見ていた。


 答えを言いそうになって、口を閉じる。


「早く書けよ」

「急かすなって」


 昼休みのあと、体育があった。


 体操服の袋を机の横から取って、朝に入れ忘れかけたことを思い出した。


 ちゃんと入っている。


 よかった、と小さく息が出た。


「藤宮、なに安心してるん?」


 七海が横から言った。


「何も言ってないだろ」

「今、ほっとしてた」

「してない」

「してたって」


 七海はそう言って、自分の体操服袋を持ち上げた。


「うちも朝、ちょっと探した」

「忘れかけた?」

「ちょっとだけ」


 言われて、少し笑ってしまった。


 体育は、校庭で短距離走だった。


 走る前は、もう少しましに走れると思っていた。


 けれど、走り出してすぐ、足が思ったほど前に出なかった。腕にも変に力が入る。


 横の悠斗は普通に速くて、すぐ前に出た。遼太も笑いながら追い抜いていった。


「藤宮、顔だけ本気だった」


 終わったあと、遼太が言った。


「うるさい。足がついてこなかった」

「顔に足ついてないし」

「そういう意味じゃない」

「じゃあどういう意味」

「もういい」


 悠斗が息を切らしながら笑う。


「でも最後まで本気だったじゃん」

「本気では走るだろ」

「俺、もう一回走るのは嫌」

「それは分かる」

「だよなー」


 校庭の砂が靴下に少し入っていた。


 着替える時にぱんぱんとはたく。体操服を袋に戻して、今度はちゃんとランドセルの横に置いた。


 放課後、遼太がまた来た。


「藤宮、今日どうする?」

「先に宿題やる」

「また?」

「またって、今日もあるだろ」

「あるけど」

「先にやったら?」

「先生みたいなこと言うな」

「先生ならもっと怒るだろ」


 遼太は少し考えてから言った。


「じゃあ、宿題やってから遊ぶ?」

「それならいい」

「三時半?」

「宿題終わったら行く」

「終わったらって何時」

「知らない。終わった時間」

「それ困る」


 悠斗がランドセルを背負いながら言った。


「じゃあ四時でいいんじゃない?」

「遅くない?」

「五時まで遊べる」

「一時間だけじゃん」

「一時間もあるだろ」


 遼太はしぶしぶうなずいた。


「じゃあ四時」

「宿題やってからな」

「分かってるって」


 家に帰ると、母さんが洗濯物をたたんでいた。


「おかえり」

「ただいま」

「今日は遊びに行くの?」

「宿題やってから。四時に公園」

「先に言えるようになったね」

「普通だって」

「普通が続いたらえらいの」


 そう言われると、返しに困った。


 部屋に入って、ランドセルを開ける。


 連絡帳。


 国語のプリント。


 算数の問題。


 体育で使った体操服。


 まず、体操服を洗濯かごに持っていく。


「母さん、体操服ここでいい?」

「洗濯機の前に置いといて」

「分かった」


 戻ってから、机に座った。


 花のノートが目に入ったけれど、今日は開かなかった。


 あとで書けばいい。


 算数の問題を開く。


 窓の外で、誰かの自転車のブレーキの音がした。遊びに行く子の声もする。


 早く行きたい。


 でも、今やらないと、夜にずるずる残る。


 俺は鉛筆を持った。


 一問目はすぐ解けた。


 二問目で、少し止まった。


 さっき読んだところなのに、数字を一つ見落としていた。


「あぶな」


 見出しだけじゃなくて、問題もちゃんと読まないとだめだった。


 四時の少し前、宿題は終わった。


 字はきれいではない。


 でも、終わっている。


 俺は鉛筆を置いて、連絡帳を閉じた。


「母さん、行ってくる」

「五時までね」

「分かってる」

「走って転ばない」

「それは分からない」

「分かって」


 玄関で靴を履く。


 外はまだ明るかった。


 公園の入口で、悠斗が手を振った。


「藤宮、ちょっと遅い」

「まだ四時前だろ」

「遼太は?」

「あいつ、宿題やってんのかな」

「たぶんやってない」


 二人で少し待った。


 四時を少し過ぎて、遼太が走ってきた。


「終わった?」


 俺が聞くと、遼太は息を切らしたまま笑った。


「半分」

「だめじゃん」

「半分やっただけえらいだろ」


 悠斗が言った。


「まあ、昨日よりはえらい」


 遼太は胸を張った。


 だから、そこは胸を張るところじゃない。


 でも俺は、ちょっと笑ってしまった。

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