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救星の大樹  作者: キララ
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第7話 光は後悔を払う

 ホープレイン病院、ここは第二地区でも数少ない医療施設の1つ。創設は今から一年程前、丁度ジーナ・グレイシャーが通院を始め、例の新薬を投与され始めた頃だ。

 救星の里の訪問から十数時間、星羅達はこの間にホープレイン病院の調査を行った。この病院に目を付けた理由は2つ、1つはレグルスの証言、そしてもう1つ、レグルスを攫った人間の魔力の痕跡がこの病院に続いている為だ。調査結果から察するに、この病院の院長が犯人と見て間違いない。

 残念ながら病院について大した情報は得られなかった。噂によれば、財務大臣がその創設に深く関わっているらしい。彼は外部の協力者から多額の融資を得て、この病院を創設したとの噂が広まっている。だが彼自身の立ち居振る舞いから第二地区住民の現状を憂いての事とは思えない。

 風光る春の日差しの下、星羅は事前の作戦通り、美術館のような建築様式を誇るホープレイン病院を訪れた。病院には地下駐車場があり、星羅は現在建ち並ぶ車を横目に歩いている。駐車してある車の多さとは反対に、人の気配は殆どしない。彼女の他、唯一人を除いて。

 気配を感じ柱の陰に隠れ、足音に耳を澄ます。歩幅、魔力探知から察せられるおおよその体格からそれが目当ての人物である事を特定。星羅は気配を殺しながら接近し、その人影の背後に回り込み声をかける。

 声をかけると、陰の主は少し驚いた様子を見せ振り返った。男は少々やつれた顔付きをし、白衣に身を包んでいる。間違い無い、彼がこの病院を管理し、件の新薬を作製した病院長だ。

「どなたです? 今日は面会の予定なんて無かった筈ですが」

「初めまして、私は星騎士、虎城星羅です。本日は貴方に聞きたい事があって来ました」

 星羅は丁寧な物言いで話す。まだ彼が犯人と決まった訳では無い。経歴を調べようにも第二地区の住民はそもそもの人数の多さから調査に時間がかかる。犯人である事の断定も、そうでないという断定も直ぐには出来ない状況だ。

「ッ……星騎士ですか。成程、わざわざこんな所までお疲れ様です」

 男は少し身構えた後、即座に態度を切り替えた。正直な所、もっと驚いてもいい筈だが、星羅は思いの外反応の悪いその男に、早速不信感を抱いている。

「来た理由は分かっています。ひと月前から広がる爆散事件についてでしょう? 私は疑われている訳ですね」

「…………申し訳無いですが、その通りです」

 星羅は一分の罪悪感も無く言う。彼女の中では彼が犯人である事は確定しているのだ。だがやはり表向きの理由として決定的な証拠が欲しい。

「哀しいですが、客人である事には変わりない。こちらへどうぞ、もてなしますよ」

 先へ誘導する男の表情は不気味な笑みを浮かべていた。星騎士に事件の犯人という疑いをかけられているにも関わらず、まるでそちらが主導権を握っているかのような振る舞いだ。彼には何か起死回生の一手があるのだろう。一抹の疑心を片隅へ置き、星羅は一先ず男と共にエレベーターに乗った。


 院長の案内に従い、星羅は清潔感のある廊下を歩く。横目に通り過ぎる幾つもの病室は今も使われているのだろう、使用感が漂っていた。だがそんな雰囲気とは別に患者は誰一人としていない。そんな状況を不審に思っての事だろう、静かに歩く星羅とは異なり、前を歩く男の心象は焦りを帯び始めている。

「成程……患者達は避難済み。私の抵抗を危惧しての事ですか?」

「すみませんね。万一に備えての対策です。どうかご理解を……」

 流れる緊迫感に物怖じする事なく、両者は会話を続ける。医院長も漸く気付いたようだ。今回の訪問に際し、星羅達は事前に患者達を避難させていた。患者の中には彼への信頼と、星騎士に対する不信感から反対する者も多かったが、都市警察の力を借りて何とか避難を強硬した形となる。それもこれも彼が犯人であるとの確信を持っているが故。

 院長の案内は終わり、眼前には一際目立つ豪奢な扉。扉を開け部屋に入ると、そこにはこれまた豪奢な部屋が広がっていた。彼の誘導に従い、警戒しながらもソファに腰掛ける星羅、そんな彼女に院長は紅茶を差し入れ丁寧に自己紹介を始めた。

「改めまして、この病院の院長をやらせてもらっています。レイ・サタナエルと申します。さて、聞きたい事があればどうぞご自由に」

「…………レイ・サタナエルさん、貴方の功績は素晴らしいものだ。たった一年でこれ程までの病院を創り上げた……本当に凄い功績です。実績のない一都市民が打ち立てたにしては不自然な程に」

 星羅はレイを讃える言葉とは裏腹に、疑いの眼差しを彼に向けながら話す。彼女の声色や語り口からは一切の称賛をも感じない。あるのはただ、疑惑の心のみ。

(私に腹の探り合いなんて出来っこない。だから、真正面から堂々と見極めさせてもらうよ)

 星羅は嘘を吐けない。より正確には嘘が下手過ぎるのだ。それは彼女の純粋さ故か、勧善懲悪を掲げる星騎士の在り方故か。いずれにしても今現在の彼女が打てる手は限られる。事前に立てた作戦通り、彼女は時間を稼ぐ必要がある。

 星羅は確かに嘘を吐けない。だが反対に相手が嘘を吐いている、または何かを隠しているといった雰囲気は完璧に感じ取る事が出来る。まるで獣がその優れた野生の勘で相手の状態を探れるように。彼女にもまた、野生の勘のようなものが備わっているのだ。そんな勘が言っている「コイツは黒である」と。無論それ以外にも彼を疑う要素はあるが。

「不自然……か。随分と嫌われてしまっているようだ。これは一重に私自身の努力故と答えても納得して頂けそうにありませんね……そう言えば、本日はお兄様とご一緒では無いのですか? 別行動でも?」

 その言葉に対し、星羅は内心少し動揺する。この場での最悪はレイに逃亡される事だ。星羅の役割は天星が決定的証拠と誘拐されたレグルスを抑えるまでの間、彼をこの住民避難済みの場所から離れさせない事。彼が犯人と決まった訳ではない以上、暴力での足止めは出来ない。星羅に出来るのは話術による足止めのみ。急な兄の話題に多少面食らいはしたが、星羅は改めて平静を装い彼の発言を待つ。

「驚く事はありません。貴方と兄の天星さんはこの暴風都市ボレアスに於ける数少ない星騎士様です。この都市ではあなた方を知らない人の方が少ないですよ。それにここ最近の事件については私も個人的に目を付けておりました。なにしろ私は医者ですので」

 レイの言うようにこの都市において星騎士の存在を知らない者は少ない。実際に見た事が無くとも、風の噂で聞く程度ならあってもおかしくは無いのだ。その上星羅と天星の白髪、碧眼という特徴的な外見は一目見るだけでその記憶に深く残るだろう。

「星騎士様は私の憧れとも言える存在です。私ごときに手伝える事があれば何なりとお申し付け下さい」

(……嘘だな。コイツからは尊敬の念なんて感じない。さっきから、名前から何まで全てが嘘だ。何より気持ち悪いのはその嘘を平然と吐いている事。コイツにとって嘘は日常なんだ)

 事前に調べた限り、この病院の院長は匿名で巨額の投資を受けこの病院を創設。たった一代で第二地区の住民殆どの信頼を勝ち取った若き傑物、それは間違いの無い事実。

 第二地区民は国を信用していない。何故なら国は第一地区ばかりを優先し、他の地区には目もくれないからだ。だからこそ、彼らにとって行動に移し、手を差し伸べてくれるレイこそが救世主なのだろう。病院の創立に怪し気な金の巡りがあろうと、闇が垣間見えようと、住民にとっては構わないのだ。

「……聞きたい事があります。あなたの開発した新薬について、政府への報告を怠り、無断で開発したその新薬、実際に見せて頂きたい」

「それは無理です。社外秘ですので。それに、はっきり言ったらどうですか? その新薬が一連の災害の元凶であると疑っていると」

 新薬の開発に政府の許諾が必要である事は、医者である彼には分かっていた筈だろう。にも拘わらず彼は新薬の開発、投与を始めていた。レグルスの話では新薬の効能は確かなものだ。それでも政府の厳正な検閲無しでは薬の安全性が保障出来ない。

「そうですね、あなたの行動はとても善良な医者には見えない。薬を見せて頂けないのならば……きっと望まぬ結果になりますよ」

「虎城星羅さん、1つ私からも言わせて下さい。君らはこの一ヶ月、いや一年間、何をしていた? 一年程前、あるお婆さんがこの病院を訪ねてきた。そして彼女はひと月前死んだ。初めて彼女の症状を見た時、私は国に対して即刻調査するべき病状であると報告した。爆散する事を予見していたのです。ですが案の定、あなた方は動かなかった。あの時はまだ被害者がいなかった事もありますが、一番は第一地区に被害が出ていないからというのが大きい」

 レイの言う通り報告は上がっていたのかもしれない。少なくとも上層部が第二地区の住民を気遣う様子など想像もつかない。上層部は知っていて放置したのだと断言出来てしまう程に、彼らは星羅含めた住民の信頼を得ていなかった。障壁維持に大きな影響の無い地区での病など意に介す事はないと、上層部は判断した筈だ。

「それは……」

 上層部は星羅の扱いをよく分かっている。彼女は目の前の困っている人々を見過ごす事が出来ない。彼女がもっと早く事件を知れていれば、上層部に直談判してでも第二地区へ来ただろう。それだけ彼女の正義感は真っ直ぐなものなのだ。上層部はあえて彼女に情報を秘匿し、被害者総数が1万を超えるまで放置していた。

「違うと言えますか? 障壁維持は大切です、それは私だって分かっている。ですがあなた方の重い腰が上がるのを待っていたら、被害者は1万人で済まなかった。新薬の開発を咎めるのは勝手ですが、私を逮捕するのは全ての患者を救い、原因を突き止めてからにしていただきたい」

 彼の言葉からは星騎士団、政府、ひいては統合国家ソラリスへの軽蔑が込められている。それでも言葉の内には嘘があった。そこに彼の本音は込められていないという確信がある。

 その時、星羅の持っていた端末に通知が届く。レイの嘘を証明する通知が。

「……流石」

「はい?」

 端末に何が送られてきたのか、星羅は小さく微笑んだ。

「ここの地下施設からレグルスを助け出したってさ」

「な、何だと!?」

 レイは酷く驚いた様子で顔を青ざめさせている。星羅の元に来たメッセージは天星からのものだ。作戦通り、地下に監禁されていたレグルスを助け出したという報告。天星によるとレグルスの護衛には強者が付けられていたそうだから、レイの狼狽は彼が倒された事に対してもあるのだろう。

「ついでに地下でね、こんな物を見つけたらしいんだけど、どう言い訳する?」

 星羅は先程通知を発信した端末を取り出しレイに見せる。そこには数十枚のカルテとある薬品の成分、効能を纏めた資料が写っていた。

「それは――」

「あんたの作った治療薬とその製造過程、病状を纏めたカルテ、全て押さえた。中々興味深い情報だ。どう見たってこれは犯行の証拠と言えるでしょう? これでもう言い逃れは出来なくなった。全て洗いざらい吐いてもらおう」

 地下施設には案の定様々な情報が保管してあったそうだ。レグルスのように捕らえられ実験の果てに亡くなった人々、実験の資料、治療薬と称した毒、全て彼の犯行を裏付ける証拠であった。

 患者の病状を事細かに記録した物と、新薬の資料は全て紙で作製されていた。この地区において紙は高級且つ貴重品、だが今のご時世ハッキング対策としてあえて使用している企業もある。レイは政府からの追及を避け、敢えて紙媒体で情報を保存していたのだろう。

「ふ、ふふ……確かに言い逃れはもう出来そうもないな。作戦は悪くない、ガキが救出されたという事は護衛の男は殺されたという事か。偉そうな口を効いておきながら情けない」

 レイは星羅の追及に対し、不敵な笑みで返した。そこに表れたのは今まで彼女に見せていた『患者想いの優しい医者』ではない。

「ここに来た時から俺が犯人だと分かっていたのだろう? 証拠がないと行動に移せないのは大変だな」

「まぁね、それにしてもビックリだよ、随分とさっきまでの口調とは違うじゃあないか、それが本当のあんたって事?」

「その通り、コレが俺の本性だ。小娘一人でここに来たのは間違いだったな」

 レイは笑みを崩す事なく机の下に隠してあった拳銃を取り出し、銃口を星羅へと向ける。終始彼が余裕を保てていたのは、星騎士とはいえ女一人であれば自分でどうにか出来ると考えていたからなのかもしれない。

「知ってるか? あの子供は自ら復讐の為にガレリアの元へ戻ったんだそうだ。大した実力も無しに、自らを命懸けで護った兵士達の功績を無駄にした。結果としてお前達の脚を引っ張る事態にまで発展している。愚かなガキだよなぁ」

 レグルスに犯人の情報を与えたのはミスだったと今になって星羅は思う。その事実は彼の復讐心に火を点け、無謀な行動へと向かう力を与えた。

「……確かに、実力が伴っていない事には同意するし、最適な行動とも言えない。だけど……その行動を愚かだとは思わない。彼は祖母の仇をとる為に戻った。立派だよ、何処かのクソ野郎と違ってね」

 無謀な行動だとは思う。現に捕らえられ、レグルスを護った兵士達の命は無駄になった。だがその行動を笑う事はすまい。彼は戦う為に戻った。自身の命が危険に晒される事を承知しながら、それでも家族の仇を討とうとしたのだから。それを笑う程、星羅の性根は腐ってなどいない。

「何故こんな事を?」

 星羅はゆっくりと立ち上がり彼を問い質す。銃口を向けられているというのに、一切の躊躇もなく立ち上がり、レイを見下しているのだ。

「それはどっちの事だ? 子供を人質にとった事か? それとも地区住民を爆散させている事か?」

「どっちも」

 星羅の問いに軽く答えるレイ、多少苛立ちを覚えはするものの今は我慢だ。

「んーそうだな。あの子供を人質にとったのはお前達をここにおびき寄せる為だ。本意じゃないがね」

「なんだ、仲間に裏切られでもした? 思った通り人望がないんだね」

「威勢がいいな。星騎士ってのは誰も彼もそうなのか?」

 レイは星羅の返答に笑って返す。状況の割に冷静だ。星羅は完全に主導権を握られてしまっている。状況的に追い詰められているのは彼だというのに。

「大勢の罪無き人々を殺したのは何故だ」

「そうだな……言っても分からないだろうが、趣味だ」

「趣味……だと?」

 趣味、その予想外の言葉に星羅は怒りと動揺から言葉を詰まらせる。大義などではなく、1万人を殺した事に対し、彼は趣味だと答えたのだ。それが本当であれ嘘であれ、この場での回答としては狂気の沙汰と言える。

「勿論クライアントがいる。だが実行したのは完全に趣味だな。人体実験のしすぎで政府に目を付けられていた所をある女に拾われてな。あの女はこの施設を用意し、作戦を用意し、実験の場を用意した。そいつの依頼で薬を創った、莫大な報酬を約束されて。だが裏切られた。所詮は使い捨ての駒だったって事さ」

 レイの言葉からは人の命をなんとも思っていないかのような、程度の低い品性を感じる。そして何より、この件には更なる黒幕がいたのだ。資産を提供し、場所を用意した黒幕が。彼は恐らく先の発言からして星騎士の能力を探る為の捨て駒として使われている。

「だがそんな金は断ったよ。俺の望みは人体実験、人体は素晴らしい。魔力に適応出来た今の人類は特にな。俺は解明したいんだ。人体の神秘、その可能性を!

 君のような星騎士は確かに類稀なる才覚がある。その魔力への順応性は素晴らしいものだ。だが足りない、可能性を追い求めなくてはならないのだ。あの女は言った、この都市を壊すと! 俺にとってこの都市のシステムは魔力を追い求める事に邪魔なんでなぁ! 難民が増えればそれだけ実験材料も増える。俺にとっては良い事尽くめさ」

 狂信者、レイは魔力に魅入られている。魔力とは文明レベルを底上げし、人類に大きな恩恵を与えたもの。同じく人類に多大な被害を与えたのも魔力ではあるが、そんな事実を必要な犠牲だと切り捨て、倫理観をかなぐり捨て魔力を追い求める人の道から外れた者達。それが彼等だ。

「イカレた思想だな。屑が」

「恵まれた肉体を持つお前達には分からんさ。魔力がどれだけ魅力的な神秘のヴェールに包まれているか」

「神秘のヴェールね……」

 腹立たしい事この上ないが、星羅の心情は思いの外冷静だ。レイの思想が理解出来ないからというのもあるが、それ以上に愚かしく思っているからだろう。星羅にとって魔力とはもっとずっと身近なもの、だからこそ彼の心を抉る為にどういった行動をとればいいのか分かる。

「魔力は誰の身にも備わっている。それは心臓を起点として全身に駆け巡る」

「何を言っている?」

「魔力には大きく分けて2つ、戦闘上の使い道がある。1つは物質強化、物体に魔力を流し込む事でその機能を底上げする。重要なのはもう1つ、身体強化。体内に巡った魔力を、筋肉や骨に流す事でその強度や能力を上昇させる。感覚としては熱が駆け巡るみたいな?」

「何故……それを今、教えた?」

 魔力の性質、レイの推察通り、星騎士である星羅はそれを深く理解している。物質強化と身体強化、その意味、その感覚を。だが何故それを今この場で言うのか、それが分からない。

「レイ・サタナエルさん……だっけ? 魔力を研究していたにしては随分と知識の浅い事で」

 此処第二地区に於いて、魔力の知識に関して大したものを得る事は出来ない。第一地区とてそれは同じだが。魔力とは危険な代物、おいそれと一般市民に公開される訳ではない、そんな中での研究はさぞや困難を極めただろう。それが分かっていながら星羅はレイの研究が遅れている事実を煽る。

「ッ……てめぇ!」

 レイは覚悟を決めた。星羅の逆鱗に触れる覚悟を。彼は怒声を発しながら引き金を引く。彼にとって予想外だったのは、放った銃弾が齎した結果。

「こんな風に」

「な……何だと!?」

 星羅は実践してみせた。魔力による身体の強化、その速度は銃弾よりも速く、鋼鉄を素手で破壊出来るという事を。彼女は至近距離から放たれた銃弾を軽く避け、あろうことか拳銃そのものを握り潰したのだ。咄嗟にレイが後退っていなければ、彼の手ごと潰していた事だろう。

「さぁ、お仕置きの時間だ」

「仕方ない……後悔するなよ?」

 レイは戦闘態勢をとる星羅とは反対に、余裕の態度をとる。薄灰色の瞳からは諦観が察せられた。だがその態度は全て楽な逃走手段が消えた事を起因とするものだ。彼は第二地区の町並みを一望出来る大窓を背に、尚も冷淡な笑みを浮かべた。

 戦闘姿勢をとる星羅、その全身から白銀の魔力が湧き出ている。それはまるで優艶な白き炎のように立ち昇っていた。

 魔力にはそれぞれ色がある。未だ完全には解明されていない魔力という分野ではあるが、その色彩は個々人のDNA、果てはその性格からも影響を受けるとされる。立ち昇る星羅の魔力は、透き通るように美しい白銀の色を有しているのだ。

 白銀の魔力は星羅の精神的集中に応え、拳に収束していく。初め、淡い光を放っていたその魔力は、極度に圧力を増す事で光の輝度を強めていく。儚く感じた光は、やがて影を切り裂くような眩い白光へと姿を変えた。

 生み出された白光は、星羅の手の内で確かな質量を伴っていった。視覚的情報たる唯の光ではない。明らかに触れる事の出来る固有物質へと変わったそれが、両刃の剣となって彼女の手に握られる。

星光(ステラリス)

 星の光を冠する技によって創られた剣、その刃の内には光輝く銀河が内包されているかのようだ。激しい光の粒子が言いようのない美しさを放っている。

「光の剣……それがお前の魔法か」

「魔法を知っているのか……それも依頼者に聞いたのか? まぁいい」

 魔法、それは星騎士である為には必須の技能。星羅や天星は勿論、レグルスもまた、その技能を有していた。

 大前提として、人には様々な形の魔力が存在する。ここで言う形とは、魔力が持つ性質のようなものだ。体内に存在する魔力の形、それを体外で具現する、それが魔法と呼ばれる技術。

 色、形、その他全ての原理、そんな魔力の神髄を解明した者こそ、真の強者足り得るのだ。

 魔法についても分かっている事は少ない。だが魔法は、2つとして同一のモノは存在しないと言う。星羅の魔法『光』は、今この世で彼女しか持ち得ないものだ。それが他者へと渡るのは、所有者である彼女の肉体が命を失った時。

「光の切れ味、その身で味わってもらおうか」

 光の剣を手にした星羅が、レイの眼前から一瞬で姿を消した。否、彼女は勢い良く踏み込んだだけだ。その踏み込みは一般人に視認出来ない程の素早さを生む。

 いつの間にか星羅がレイの間合いに入っていた。それに気が付いた時にはもう遅い。避ける動作を意識するよりも早く、光の剣が迫り、振り下ろされる。

 直撃、袈裟切りをするように振り下ろされた刃、傷口からは鮮血が噴き出す。加えて傷口から脳へ、身を焼き焦がす程の熱が伝達される。刃はレイを斬りつけたものの、その傷は浅い。だが光の熱さから、彼は苦悶の表情を浮かべていた。

「聖なる光は邪悪を焼き焦がす。身体強化、物質強化に使用した魔力、そして魔法すらもこの光は焼く。私の動きが見切れたとしても、お前に戦闘の心得があったとしても、光はその行動を無為に帰す」

 星羅はレイに刃の切っ先を向け、言い放つ。彼女の言う通り光の刃に当てられた部分、そこに施していた身体強化が霧散していくのが分かった。

(対魔力特化の魔法!? 俺の魔力を切り裂き、身体強化を無効化された――)

 星羅の魔法は現代の戦闘に於いて、圧倒的アドバンテージを持つ。魔力を使用した戦闘が主流となった現代に特攻を有する魔法、その強力さにレイは慄いていた。

「身体強化も物質強化も三流未満。お前、戦闘向きじゃあないだろう。これ以上痛い目を見たくなかったら大人しく投降するんだな」

 先程の一太刀はレイの身体を傷付けたものの、寸前で上体を逸らされた事で浅い傷しか残す事が出来なかった。しかも咄嗟に身体強化をした所を見るに、全くの戦闘素人とは言い難い。だがそれでも星羅の技能を二流、天星を一流とするならば、眼前のレイは三流それ未満だ。

 レイ・サタナエルは元々第一地区の生まれだった。医者の家系に生まれた彼は、優秀な成績を医学界で修めたエリートだ。その時分から、彼は密かに魔力という人体へ根付いた神秘に魅入られ始める。医者という立場は、多くの人体実験を秘密裏に行うのに格好の隠れ蓑だった。

 そして十年前、ジャック・マクシミリアンによって魔導障壁が展開された。外部からの脅威に晒されなくなったのはレイにとっても良い事だった。だが彼にとって最悪だったのは、それまで地区の棲み分けを金銭で決定していた都市のルールが、魔力量へと変化した事だろう。

 レイは莫大な富を有していたが、魔力量が乏しかった。前時代ではそれでも順風満帆な生活を送れていたが、魔導障壁に守護されている以上そうはいかない。数々の法整備、そして都市の構造が、彼の異常性に無理矢理蓋をする事となったのだ。

 そんなレイを彼女が拾った。燻っていた闇を、眠りについていた異常性を、彼女という闇の塊が解き放ったのだ。

「お前の言う通り、俺は戦闘員では無く医者だ。戦闘能力を評価されてこの仕事を依頼された訳じゃあない。だが医者には医者なりの戦い方がある」

 レイは星羅からは見えない机の下、天板の下部から注射器を取り出す。彼はまだ諦めていない。圧倒的な実力差を覆すだけの何かが、その注射器にはあるのだろう。

「ま、諦めないだろうな。大した信念も持たず、大勢の命を奪って……お前みたいな三流科学者に魔力の神髄なんて解る訳がない。無駄な努力ご苦労様」

 投降に乗らない事は分かり切っていた。こんなにも大々的な殺しの依頼を、レイは自身の好奇心を補う為だけに引き受けたのだ。そう簡単に諦めたりするような男ではない。

(どーせ、第二地区を犯行地域に選んだのは、第一地区より政府の護りが薄く、人が多かったから。実験体がいっぱい手に入るもんなぁ…………クソ野郎)

 レイの魔力に対する向き合い方はどす黒く、異質なものだ。決して弱者を踏みつけにしてまで燃やす熱情ではない。だからこそ星羅はその熱を強く否定する。それは間違っていると、あってはならない事なのだと。

「どうした? その薬、ドーピング剤だろう? いくらでも打ちなよ。お前の研究成果、その全てが無駄だったと証明しよう」

「このっ……クソアマがぁ……俺は生き、必ずや魔力の神髄を覗く――」

 魔力に魅入られたレイにとって、その信念を軽視される事はこの上ない侮辱。彼は人生の大半を魔力の研究に捧げた。科学者としての否定は人生の否定と同義なのだ。

 レイは机の下から取り出した注射器の針を腕に押し付ける。透明なガラスの奥に見えるのは緑色の液体、注視すると大量の魔力が内包されているのが分かった。彼の研究対象は魔力、更には星羅達の襲来を予見していながら彼女らを待ち構えていた事からも、緑色の液体が研究による産物であり、彼自身の能力を強化する物である事が分かる。

 注入された薬液は、レイの身体に絶大な変化を齎す。その変化とは肉体の膨張。筋肉は音を立て隆起し、その背丈は三メートルを越える。魔獣と見紛う異形の怪物がそこにはいた。

「随分と不細工なイメチェンだね」

「軽口を叩けるのも今の内だ。この薬は今回の研究で得た副産物、肉体を爆増する魔力量に合わせて変化させる事が出来る。これがどういう意味か、理解出来ぬ訳ではあるまい」

 巨大化する背丈と共に、いつの間にか斬撃によって付いた傷は消え、彼の体内には莫大な魔力が内包されていた。

「身に余る魔力は、器たる肉体すらも内部から破壊してしまう。この薬は事件で使った薬の効果、そして新たに膨張した魔力に肉体を進化させる効果、その両方を持つ」

 レイの体内にある莫大な魔力は、本来であれば彼の肉体を被害者達のように爆破させる筈。そうならない為に、彼は器を強化したのだ。内部から破壊されないように。その強化が筋肉の膨張という形で現れている。

「肉体の爆散というデメリットは消え、莫大な魔力とそれに見合う強靭な肉体を得た。これで貴様の攻撃は俺の体を通らず、更に強化された膂力は――」

(成程ね――)

 愉悦に浸るレイは、その言葉を言い終わるよりも早く攻撃に踏み出した。強靭な脚力は床を砕き、そこから生まれる凄まじい速度を乗せた拳は、星羅の体を建物の外へと吹き飛ばす。

「貴様の細い体なんて簡単に砕ける」

 攻撃を受けた星羅は、その威力故に壁を突き破り、病院の外、数キロメートル先に位置する鉄筋コンクリートで出来た高速道路へと打ち付けられた。

「さぁ、せいぜい良い実験体になってくれよ?」


 時は少し遡り、ホープレイン病院地下施設。精神病棟すら完備したこの総合病院には広大な薔薇の庭園が存在するが、その中央に建設された噴水には地下施設へと続く階段が隠されていた。長い階段を降りた先には、秘密裏に違法薬剤を製作する為の研究施設が存在する。

「う……うぅ…………」

 長い螺旋階段の遥か下にある研究施設の一角で、寝台に拘束されたレグルスとそれを監視するガレリア。気絶させられてから数時間が経過し、外は正午へと差し掛かろうという頃にレグルスは呻きながらも目を覚ます。

「やっぱりダメか…………」

 目が覚めて直ぐに今一度拘束具を引いてみるが、金属が軋むのみで外れる気配はない。

「それは魔力を霧散させる効果がある拘束具だ。魔法を覚醒させたとは聞いているが、魔力を適切に扱える訳でもない子供に破壊する事は出来ないだろう」

 魔道具という存在がある。簡単に言えば魔力を含んだ鉱石等を使用し、特別な効能を持たせた道具の事である。レグルスに取り付けられた拘束具もその類の道具らしい。ガレリアの自信満ち溢れた顔を見れば拘束具の性能が確信あるものだと分かる。

「そうだな、止めておけ。怪我するぞ」

 監禁部屋の扉の奥から男の声が聞こえた。声の主がゆっくりと扉を開ける。当然ガレリアは警戒を強め、その男が扉を開ける瞬間を観察していたが、開かれた扉からは誰一人入ってきはしない。開かれた扉の奥に見える通路にも誰一人いないのだ。

「何処に……何者だ!」

「まぁ、この子の保護者代わりだとでも思ってくれ」

 声の主が消えた事実に緊張が高まるのを肌で感じていると、突然ガレリアの背後から語り掛ける声。驚愕と共に振り向くとそこには白髪、碧眼の男がレグルスの横に佇んでいた。その男は横たわる少年の無事を確認した後に軽く頭を撫で、改めて銀髪の男に向き直る。

「虎城天星……」

 突如現れた白髪の男は、暴風都市ボレアスに常駐するもう一人の星騎士、数多くいる星騎士の中でも最強と謳われる男。彼は敵地に立っているとは思えない程に自然体を保ち、敵を前にしても携える刀を手に取ろうともしない。

「……入口に居た警備はどうした?」

 噴水の下に秘匿されていた研究施設、当然ここには手練れの警備兵が配置されていた。だが侵入者との戦闘音も、警備システムの作動音も聞こえてはいない。当の本人はといえば、返り血もなければ息を切らす様子もない、まるでゆっくりとここまで散歩に来たかのようだ。

「警備にはもう少しマシな武器を持たせておいた方が良い。魔力戦に不向きな前時代の自動小銃、ロマンはあるが……これは今じゃコレクターズアイテムみたいなモンだ」

 いつの間にか天星の手には、見覚えのある小銃が握られていた。取り回しに優れる兵士達への支給品、その小銃には大量の血の跡が付着している。まるで不潔物を触るように指先2つでそれを机の上に置く天星が兵士達を一掃した事は明らかだ。現在に至っても連絡1つガレリアに入らない所を見るに、彼らは全員死亡していると見ていいだろう。

「ッ……ここまで音が聞こえなかったのは――」

「察しているだろう。安心しろ、一撃で済ませてある。苦しんではいないさ」

 戦闘音はガレリアの元に届いていない。答えは至極単純、警備兵達は反撃の暇なく殺されたのだ。恐らく彼らの殆どは自分が死んだ事にすら気付かなかっただろう。だというのに使いもしなかった武器へ指摘をしているものだから、ガレリアを小馬鹿にしているとしか思えない。

「さて、その子を返して貰おう。お望みならば相手になるが……」

「このガキの役目はここにお前達をおびき寄せた時点で終わってる。だがその前に、最強と名高いお前の力、見せて貰う」

 ガレリア達の目的は兄妹の力を知る事、その為の餌たるレグルスを手元に置き続けるメリットはもはや存在しない。なればこそ当初の目的を達する為に、ガレリアは拳を構える。

 拳を突き出し、長きに渡る修練の果てにある構え。そんな戦闘姿勢をとると同時、ガレリアの身体から銀に輝く魔力が噴き出す。拳へと収束していく魔力が何かを象る。だがそれら全ての所作を無為に帰す一刀、戦闘が始まる気配、生まれて初めて感じる緊迫感をレグルスが包むよりも早く、ガレリアの首が冷たい床へと墜ちた。

「えっ……殺し……えっ?」

 レグルスが困惑するのも無理からぬ事だ。戦闘に携わる経験の乏しい彼にさえ、ガレリアの纏う強者の気配は感じ取っていた。だがそんな彼を以てしても、勝負にすらならなかったのだから。

「俺の力を律儀に教えてやるつもりはない。すまないな、見苦しいものを見せた。怪我は」

「あ……ありません。ごめんなさい、僕のせいで……」

 戦闘が終わったというのに、平静を保つ天星に面食らいながらも謝罪するレグルス。拘束を解かれながら、それでも感謝より先に自身の身勝手な行動への罪悪感が口から出てしまったのだ。

「……別に、どうでもいいさ。お前を見捨てようと思えば出来た。それをしなかったのはあの子の選択、少なくとも俺に謝罪する必要はない」

「それでも……ごめんなさい……」

「お前がそうしたいと言うのなら、これ以上は何も言うまい」

 実際、レグルス一人が危険に晒されたからといって、彼の命は都市民全員の命を危険に晒してまで救う価値があるものではない。それを承知で星羅は兄をこの場に向かわせた。罠である可能性を考慮しながらも、そういった行動をしたのだからその責は星羅達にある。

「!? 死体が――」

 二人が話し込んでいると、足元に転がっていたガレリアの生首、泣き別れた胴が端から徐々に黒い塵へと変貌し散っていく。切断の感触は限りなく人間に近いものだ。だが数多の人を切り伏せてきた天星は外見と重量の僅かな誤差を感じ取っていた。その答えがこれだ。そもそも人間ではない、人間の模倣物。

「死体が消えた……成程な。黒幕は中々面白い魔法を持っているらしい」


 レイは殴り飛ばした星羅を追い、たった1回の跳躍でその高速道路へと着地する。数キロメートルに及ぶ跳躍を可能とする脚力、薬剤摂取前とは比べるまでもない驚異的な身体能力だ。

 辿り着いた高速道路の上でレイは周囲の静けさに疑問を抱く。日々多くの車両が通行する第二地区都心の主要公道、平日の昼間という普段ならば騒がしいそこが、酷く静かだったのだ。車一台、人っ子一人見当たらない、恐らく別働の天星が周辺地域から住民を避難させたからだろう。彼は数キロ先まで戦闘範囲が広がる事を予見していたのだ。

「兄貴ではなく、お前が来たのは間違いだったな! 女が俺に敵うとでも? いや、男でも同じか。今の俺には星騎士だろうと勝てん!」

 星羅が突き飛ばされた先、崩れた瓦礫とその砂塵の奥に向かってレイは煽る。勝ちを確信した彼の言動からは油断を感じられた。その油断は、星騎士との戦闘に於いて命取りとなるとも知らずに。

「なっ……チェーン!?」

 砂塵の奥から白光を放つ手錠が伸びる。手錠はレイの太い手首を固く捕縛した。問題は手錠が星羅の魔法で創られているという事だ。案の定、その手錠に触れている箇所の身体強化が阻害されている。星騎士程の魔力操作練度であればこの阻害を物ともせず身体強化を敢行出来るのかもしれないが、レイにそれほどの技量はない。

「光とは変幻自在、無形の物。私の技『星光(ステラリス)』は様々な武器を創り出す事が出来る。鎖はお前の魔力を完全に捉えた」

 砂塵から星羅が悠々と歩き、レイへと接近する。最も彼を驚愕させたのは、彼女の体に傷の一切が見当たらない事。完治したのか、はたまた単純に耐えたのか、どちらにしろ魔力を含む鉄筋コンクリートへ思い切り打ち付けられたにしては不自然な程に無傷だ。単純な身体強化では説明出来ない。

 『星光(ステラリス)』とは星羅の意思に従い様々な光の武具を創る技、もとより剣だけを創る技ではない。『本人が構造を理解出来ていない物は創れない』『複雑な物は創るには時間と労力を要する』などの欠点はあれど、その可能性は無限大と言える。

「ほら、来いよ。遊んでやるから」

「こんなものあろうと関係あるかぁ! お前の小さい頭蓋を砕いてやろう!」

 レイは馬鹿にしていた年下の女に遊ばれている事実に逆上し突撃する。幸い身体強化が阻害されているのは手錠の繋がれた左手首から肩にかけてのみ、左腕以外を身体強化し高速で突進すれば問題はないと判断したのだろう。

 そんな無謀な突進に応えるように、星羅は繋がれた手錠の鎖を軽く引き付ける。軽い仕草、明らかに本腰を入れてはいないであろうその動作に、レイの巨体は抵抗虚しくあっさりと力負けした。彼の体は宙を舞い、彼の走る速度よりも圧倒的な速度を以て引き込まれる。

 驚く間も無くレイの体は星羅に接近する。彼は瞬く間に、彼女の間合いへと入り込んでしまう。それが運の尽きだった。間合いに入った彼を襲ったのは先程の剣や今左手を捕らえている手錠、それよりも魔力が込められた拳。

(マズい! 身体強化を――)

流星(メテオラ)

 放たれた光を纏う拳の衝撃は、レイの身体強化、分厚い肉を貫通し、強靭な彼の肋骨をただの一撃で粉砕した。悶絶など生易しいものではない、気絶一歩手前まで一撃で追い込まれる。当然だろう、先程鎖を引いた時ですら星羅にとっては手加減の内だったのだから。本腰を入れた彼女の拳に彼の防御力が敵う訳もない。

「何でこの周辺から住民を避難させたと思う? 何もお前を恐れた訳じゃない。私の攻撃に巻き込まない為だ。何で兄さんじゃなく私がお前と戦っていると思う? お前が泣き喚くまでぶん殴りたいと思ったからだ。今は亡き人々の無念は、私自らの手で祓う」

 星羅に限らず全ての星騎士が常時一般市民に配慮して戦っている。星騎士の力はそれだけ強大であり、それだけ広範囲に及んでしまうからだ。普段であれば手加減しながらも簡単に制圧出来るような犯罪者の相手ばかりしている為、こんな避難誘導は必要ない。だが今回は違う、相手は五十六人の被害者を出した凶悪犯、ここで逃がす訳にはいかない。

 星羅の見下すような冷たい視線の奥には刺すような敵意があった。大量殺人、それ自体が許されざる事ではあるものの、レイはあろうことか罪なき無辜の民にまでその毒牙を突き立ててしまう。その行いは彼女の逆鱗に触れたのだ。

「この……俺の体は再生能力も驚異的なまでに進化している。お前がどれだけ俺の骨を折ろうと、傷を付けようと……瞬時に再生する!」

 吐血しながらも意気揚々と語るレイ、だがそれが激痛に耐える為の瘦せ我慢故のものである事は明白だ。その上、確かに彼の体は修復に向かってはいるが、再生速度は遅々たるもの、激痛を長引かせているだけだろう。

「まだ気付かないのか? 膂力でも、魔力量でも、そして再生能力でも、全てにおいて私が勝っている。お前が私より上な点は……頭の悪さだけだろうさ」

「馬鹿な……そんな訳が……」

 自信に満ち溢れたレイの表情が一気に青ざめる。それだけ星羅の言葉には説得力あった。彼女は嘘を吐いていないという、負の信頼があった。

「星騎士はこの国で上位の実力を持つ者、そこらの警察や軍人とは訳が違う。彼らを超越してこその星騎士なんだ。まぁそうだな……お前の今のスペックじゃ、たとえ百人いようと星騎士には敵わないよ」

 今の時代、警察でも軍人でも数こそ多くは無いが、魔力を操れる者は存在する。だがそんな彼らとは一線を画す実力が星騎士には存在していた。

「それにお前の薬、完璧とは程遠いな。まず第一に魔力が増えたと言ってもギリ第一地区で暮らしていけるレベル、つまりは一般人の域を出るものじゃない。そしてもう1つ、私達の魔力量はお前より遥かに多い、なのに何故お前みたく体が膨張していないと思う? 体を創り変えているからさ。筋肉の質、骨の密度、感覚の鋭さ、全て魔力の質や量に伴って変化している。対してお前は質の悪い筋肉を無理矢理増やしただけ、その程度で私達に並べると思うのが間違いだ」

 レイの使用した薬は魔力量を確かに増やした。だがそれは第二地区民が第一地区民のレベルへと変化するようなもの、微々たる変化という事だ。その程度の変化を得るくらいならば、星羅達のように鍛錬で魔力の質を鍛える方がよっぽど有意義だろう。

 きっとレイは満ちるような力の奔流を感じ、星羅の実力と並んだ気になったのだろう。だが甘い、他大多数の追随を許さぬ才覚、他を圧倒する程の研鑽、それら全てを以てしてもそこに辿り着けるのはごく僅か。

「星騎士を舐めるな。そこはまだ、スタート地点ですらない。最後に言っておこうか、私の実力は現在十数人いる星騎士の中で、さほど高くはない、下から数えた方が早いくらいさ。まぁ何が言いたいかというと…………無駄な努力、ご苦労様」

「く、くるなぁ!」

「嫌だね、言ったろ。お前が泣き喚くまで……ぶん殴るって」

(プルウィア)()(メテオルム)

「ッ! やめっ――」

 先程レイの肋骨を砕いた拳、それが高速の雨となって彼を襲う。一秒間に何度も放たれ、全身の骨が折れていく。その連撃の中でさえ、星羅は彼を殺さないように手加減していた。そんな殺さずの信念がかえって彼を苦しめる。目にも留まらぬ拳の雨は、彼の瞳から一筋の涙が落ちるまで続いた。

「一生牢獄の中で懺悔しな。お前が殺した人達、そして残された家族達に、罪を詫びながら生きていけ」

 白目を剥き、怯え苦しむ表情のレイを見下しながら星羅は言い放つ。犠牲になった無辜の人々の想いを代弁するかのように。


 戦闘で負った傷無し、息切れ無し、消費魔力は一割にも満たない。星羅にとってレイとの戦闘はお遊び程度にしかならなかった。独自改良薬の効能には多少驚かされたが、結局は戦闘に不向きな者がそこそこの力を得る為の代物。真の強者たる星騎士に到底敵う訳もない。

 地に伏せるレイは既に増強した戦闘能力を失っている。隆起していた筋肉は萎み、その瞳からは生気が失われているかのようだ。だが生きてはいる、どうやら身体的ダメージと恐怖による精神的ダメージが彼を廃人の如き様相へと打ちのめしたよう。

「やっぱり……殺してないんですか?」

 レイを見下す星羅の背後からレグルスが声をかけた。先程まで病院に居た筈だが、ここまで走って来たのだろうか。だとしたら驚異的な速さだ。

(早いな……病院からここまで数キロあるのに……いや、兄さんがここまで送ったのか?)

「殺すつもりはないよ。この男は捕縛し牢屋に入れる。その前に色々聞きたい事があるけど」

 星羅はレグルスを同情にも似た眼差しで見ながら言った。発言内容に一切の嘘偽りは無い。レイの発言にあった黒幕の正体、その目的を吐かせなければならないのだ。だが一番は、彼女の信念によって殺さなかった部分が大きい。殺した場合のメリットよりも、殺したくないという彼女の想いが大きかった。

「そう、ですか……」

 レグルスは悲し気な表情を浮かべながら呟く。それもその筈、彼が単身ホープレイン大病院に乗り込んだのは、明らかに復讐が原因だ。結果復讐は失敗し、挙句捕らえられ星羅達の手間を増やす事となってしまったが。それを理由に彼は今、自責の念と虚無感に駆られている。

「私はお前にも、こいつを殺させるつもりはないよ。少なくとも復讐なんて大それた事はやらせない」

 レグルスの目的は分かっている。だからこそ星羅はレイと彼の間に立ち、それを阻止する形をとった。力強い声で言いながら、彼が凶行に走らないよう牽制する。

「何故ここへ来た? 私が必ず捕まえると言っただろう」

「……それが許せなかった。その甘い考えが。そいつは僕の祖母を殺した。たった一人、僕に残った家族を。そいつの話では他にもこの地区で大勢殺していたんでしょう? 捕まえる? それじゃ駄目だ。そいつはその命で罪を償うべきだ。殺すべきなんだ……!」

 その瞳には憎悪が灯っていた。レグルスは犯人を殺して欲しかったのだ。だからこそ星羅に失望した。彼女では罪に対し、適切な罰を与える事が出来ないと。この都市では司法による刑罰も当てにならない。ならば自分の手で罰を下すしかないではないか。

「悪いけど、その気持ちを汲んでやる事は出来ない。こいつからはまだまだ聞き出さなきゃいけない情報がある」

 星羅は尚もレグルスの行動を止める。レイから情報を抜き出さなければいけないという理由は、事実ではある。だが彼を止めるのは、人殺しを容認出来ない星羅の信念故、レグルスの言う甘い考え故だ。

「ぐっ……ふふ、お前、まだ俺から情報を聞き出せるとでも思ってんのか?」

 レイが仰向けのまま言う。意識を取り戻したようだ。彼は憔悴し切りながらも、何か確信を持って発言している。まるで自身から情報を抜き出せないと、分かっているかのようだ。

「お前は僕が殺してやる! そこで待ってろ!」

 レグルスがその言葉に反応し怒鳴り付ける。言葉からは先程まであったハリボテの余裕が消えていた。

「威勢が良いだけのガキが。いいか? 作戦の失敗をクライアントはすぐに嗅ぎつける。どういう訳か、あの女の情報収集能力は異常だ。助けがもうすぐ来る筈だ。思えば俺が第三地区のスラムで燻っていたのも、奴は見つけた。他人との繋がりを極力絶っていた俺を、奴はまるで知っていたかのように見つけたんだ」

 追い詰められている状況ながら、レイは自信に満ち溢れながら言う。それは信頼のようで、恐怖から来る確信に近かった。

「は? お前何を……ッ! レグルス退がれ!」

 レイが不敵な笑みを浮かべた次の瞬間、彼の心臓を両刃の剣が突き刺す。天空から落下して来たその男は、一分の迷いも無く星羅の反応速度を越えた一撃を彼へと向けた。鮮血を流し、光を失った彼の瞳を見れば分かる。即死だ。

「ダメだよ、喋りすぎちゃ」

「お前、誰だ……只者じゃないな」

 星羅は即座に理解した。目の前に佇み、剣に付いた血を払うその金髪の男は、彼女ら星騎士と同等の力を持っていると。

「こんにちは、虎城星羅さん。僕はロナウド・アストラエア、ここには遣いで来たんだ」

 輝くような金髪に薄水色の瞳、優し気な表情ではあるが、内に秘めた戦闘の才覚は恐るべきものだ。ロナウドという名に心当たりは無いが、彼の言い分を聞く限り黒幕である謎の女性、彼女の仲間である事は明らか。レイの命を奪い、彼の口から情報が洩れる事を防いだのだ。

「仲間じゃなかったのか?」

「仲間? この男が? 違うよ、こんなのはいつでも切り捨てられる駒に過ぎない。あまり情報を洩らされても困るから、殺させてもらった。まぁ、初めから大した情報は与えていないけれども……念の為、ね」

 星羅の問いにロナウドは飄々とした態度で答えた。その言葉の節々から嘘は感じないが、本心である様子も見られない。まるで真の感情が無いかのような、そんな感触を抱く。

「君と戦いに来た訳じゃあないんだ。今日は宣戦布告をしたくてね」

「私にか? お前に何かをした覚えは無いんだが……」

「違うよ、君の上司、この都市の上層部に対しての宣戦布告さ。君ら星騎士は全員、標準装備としてその眼球に監視機能を持つ装備をしているだろう? 戦闘中は常にその機能をオンにしておかなくてはならない。だから君を通してご老体達に言葉を伝えようと思って」

「……お前、本当に何者だ?」

 ロナウドの言う通りだ。この都市に於ける星騎士の扱いは危険因子そのもの。よって任務中の反乱、民間人や建造物の被害、その罪の所在を記録する為、瞳に特殊なコンタクトレンズを装着している。だが一番の疑問は彼がその事実を知っている事。

 コンタクトレンズの事実は本来星騎士と一部の政府役人しか知り得ない事だ。理由は様々あるが、一番は地区民の信頼性、撮影されているという事実が事件調査を阻害する要因にしかなり得ないから。にも拘らず、このロナウドと言う男は知っていた。

「『四星剣のジャック・マクシミリアン、そしてその側近の皆々様、私は復讐を果たす。君達の血に濡れた功績は打ち砕かせてもらう』あと、虎城星羅ちゃん、僕の事を知りたいのであれば、上層部のお爺ちゃん達に聞くと良い。どうせ答えないだろうけどね」

 四星剣(しせいけん)、それは定員四名からなる国の最高責任者の総称。都市の管理、その運営指揮を執る都市管理長でもある。そしてこの都市でその役職に就いているのは、先の会議を仕切っていたジャック・マクシミリアンだ。

 幾つもの国家が統合されて出来上がったこの国を、唯一人の人間が治める事など不可能、何よりそんな巨大国家を一人の思想に左右されるような構造にしてはならない。そこで創立時に設けられたのが四星剣という地位である。確固たる指針を持てる独裁主義とその暴走を防ぐ為の仕組み、超巨大な国という体を動かす為の政権がその地位を生んだのだ。

 四星剣の選出方法は至極単純、結果を出す事だ。武力でも知力でも、どんな分野であろうと国民からの支持を得て、多大な功績を残した人物に世界最高の席は与えられる。

 ジャックもその一人、彼は十年前、この都市を囲い都市外の魔獣や宇宙樹から人民を護る魔導障壁を創り出した功績で四星剣の一人へと成り上がった、稀代の天才技術者だ。そんな彼と浅からぬ因縁を持っているであろうロナウドという男は、一体何者なのだろう。

 ロナウドの言動からは、背後に何者かの意思が介在しているように思えた、彼は言葉通りただの代理人なのだ。問題はその復讐を企んでいる相手が、相当の実力を有している事。ロナウドを従える程の人物であれば、単身でも政府に相当な打撃を与えられるだろうという確信があった。

「お前らが何を企んでいるのか知らないけどな、この都市の担当が私である以上、好きにはさせない」

「……僕の後任は随分と威勢がいいね。楽しみに待っているとしよう」

 星羅の威勢はロナウドに軽くいなされる。その余裕の表情からは、微かな期待と憐憫が感じられた。不思議な感覚だ。大勢を殺す手助けをし、関係者の男を口封じで殺し、更には政府への復讐を宣言した。だというのに彼からは善人特有の空気感が感じられた。

「……僕を操る者の名は、アルカナだ。君になら止められるかもね。楽しみにしてるよ…………」

 ロナウドは用を終えたと言わんばかりに言葉を残した後、煙のようなものに包まれて姿を消した。その魔法の産物であろう光景を、星羅は警戒し眺める事しか出来ない。

 復讐相手を失い意気消沈しているレグルスと虚無感を抱える星羅を、曇った空から覗く夕日だけが照らしていた。


 一連の様子を高いビルの屋上から眺める陰が1つ。陰の主、虎城天星は腰にかけた刀の鍔を指先で撫でながら、自らに近付く気配を感じていた。

 ホープレイン病院とその周辺の避難誘導は、半径数キロメートルに及ぶ誘導であったにも拘らず、比較的速やかに行えた。ここ数日の事件が噂を呼び、不要不急の外出を控える都市民が多かった為だろう。

「こんな所で見物に興じていて良いのですか?」

 傍観する天星に語りかけたフードを深く被るその人物は、声質や体格から十代後半、二十代前半の女性だと思われる。恐らく十八歳の星羅と同程度の年齢だろう。

 星羅達の会話は、数十キロ離れたその位置からでも天星には聞こえている。黒幕の正体は女性、断定は出来ないが彼女が事件の犯人である可能性は高い。

(そこそこやるな……今の星羅じゃかなり厳しいか)

 女の佇まい、内包する魔力の質から天星は実力を推察する。恐らくは今の星羅より強い。

「良いんだよ。この距離なら問題無く助けられる。それより……お前が黒幕って事で良いんだな?」

「ええ……アルカナ・アストラエアと申します。一応貴方にもご挨拶を、と思いまして」

「アストラエア…………成程ね」

 アルカナと名乗るその女はやはり、今回の事件を裏で糸引いていた黒幕のようだ。挨拶とは言っているが、十中八九今回あまり出張らなかった天星の動向を探りに来たのだろう。

「……共にいる少年。あの子が捕らえられる事も貴方ならば予測出来ていた筈。何故すぐに助けようとしなかったので? 誘拐段階で貴方が乱入すれば、少なくともこの場に心を痛めた少年が来る事もなかった」

 アルカナの考えは正しい。第三者目線で見るならば、最善の動きはレグルスが捕えられる前にそれを防ぎ、捕らえた敵から実行犯の情報を吐かせる事。星羅は気付いていなかったようだが、天星には誘拐からこの状況に至る事を予測出来ていたのだ。だが彼はそれをしなかった。命の危機に陥るであろう少年を放置したのだ。

「……運命の時、十三の騎士がそこにいればそれでいい」

「それはどういう……」

「君は1つ勘違いしている。俺は星羅程、優しくはない。仮に彼が死のうと、生きようと、俺にはどうだっていい。それに運命の時、選ばれし者の代わりとなるかどうか、選ぶのは俺じゃない」

 レグルスは天星にとって特別な存在なのか、それは分からない。少年一人の命をどうとも思っていない星騎士ならざる価値観はさて置くとして、それを抜きにしても彼の見ているものは異質と言える。

「これ以上は今のお前に教える訳にはいかない。復讐は勝手にしろ。だが今や俺も星騎士の端くれ、今回の件でそこまで出張るつもりは無いが……事がどう進もうと、お前の思い通りにはならないぞ」

 天星の言葉に対しアルカナは沈黙している。僅かな間の問答ではあったが、多少は理解出来た。彼は今ではなく、その先の未来を見ている。それがどんな景色かは知る由もないが、彼女にしてみれば自身を大して警戒していないのであれば重畳だろう。

「……どれだけ強かろうと、貴方だけで都市全ては救えない。どれほどの強者であっても、一人では脆いものです。それを証明して差し上げますよ」

 その言葉には確かな実感が伴っているかのよう。体験談のようにも聞こえるその言葉、その内の覚悟を表明しアルカナはその場を去った。フードの内から白い瞳を覗かせながら。

「……知ってるさ。お前のような小娘に教えられずとも……痛い程知ってる」

 女が去ったビルの屋上で、天星は静かに空を見据える。空高く都市を覆う障壁は鳥籠のような息苦しさを感じさせ、慣れた孤独と言う感情で彼を包む。

 知っている。どれだけ強くとも、一人の力では出来る事に限界があると。それを痛い程知っているからこそ、天星は彼女を……。


 戦闘終了から数分が経ち、天星が呼んだ都市警察の事後処理部隊が到着した。避難誘導は警察主体で進めていたようだ。現場到着の早さは付近で待機していたが故の恩恵と言える。

 隊員達は到着するなり手早く事件の処理を始めた。破損した建造物の補修、死体の処理、証拠の保存及びより詳細な調査。星羅は事件現場の引継ぎや追加調査の対応を、遅れて到着した天星に任せ、レグルスの隣で休憩していた。

「大丈夫?」

 乗り捨てられた車のボンネットに腰をかけ、星羅はレグルスを気遣う。彼を事件に巻き込む気は無かった。祖母を失った精神的苦痛に加え、拘束による肉体的苦痛、幼い少年には耐え難いものだったに違いない。

「はい……おかげさまで。そちらこそ事後処理が大変そうですが大丈夫ですか?」

「ハハッ、本当に子供とは思えないな。大丈夫だよ、そこは兄さん上手くやってくれる」

 レグルスの気遣いに星羅は笑って返す。一番危険に晒されたのは彼だというのに他人の心配とは豪胆な事だ。いや、必死に残留した恐怖を押し殺しているのだろうか。

「…………何故――」

「あいつを殺せば、後悔が払拭出来ると思ったんです」

 星羅の問いを予測していたのだろう。彼女が口を開くとほぼ同時、レグルスは語り始めた。その心に抱えた闇を、後悔を。

「……後悔は晴れた?」

「いいえ……あの男が死んでも、結局何も変わらなかった。心にぽっかり穴が開いたまま。復讐をこの手で為せば、何か変わったんでしょうか……」

 自身の胸に手を当て、沸々と湧き上がる感情をレグルスは語る。殺す事で後悔を払拭出来ると思っていた。心に空いた穴を復讐の達成感が埋めてくれると。だがそんな思いは無残にも裏切られた。

「その答えは、自分が一番良く分かってるんじゃない?」

 復讐を為せば、心の靄が晴れるという確証は無かった。反対に、復讐を為したとしてもこの靄は晴れなかった、そんな確信だけがあった。こんな復讐は唯の自己満足と現実逃避の発露であると、分かっていた筈なのに。

「……婆ちゃんが死んだ時、僕……泣けなかったんです。ずっと良くして貰ったのに、婆ちゃんを護る為に星騎士になりたかった筈なのに」

 祖母が死んだ時、レグルスは死体の前で一滴も涙を流さなかった。それどころか、今日に至るまで哀しいとすら思う事がなかったのだ。その心は何時だって、空虚で埋まっていた。

 祖母の為星騎士の力を求めておきながら、いざその対象を失った時に涙の1つも流せない。その事実は他者を慮れる人間であると自負していた彼の心に、深い傷を残す。

「それは……あまりに急な事で感情が追い付いていなかったからだろう」

「確かにそうかもしれない。でも不安なんです。もし本当は殺されたのではなく病気だったとして、それで婆ちゃんが死んだ時、僕は泣けなかったかもしれない。僕は自分が血も涙もない薄情な男だと自覚するのが怖かった。怖かったんです……」

 星羅の言うように、いざ大切な人が目の前で死したとして、殆どの人間はその事実を受け止められはしないだろう。子供であるレグルスがその事実に耐えかね、感情を発露出来なかったとしても不思議はない。

 だがレグルス自身はそれを許せなかった。何より彼自身が言うように怖かったのだ。自分は血も涙もない男なのではないか。自分が星騎士を目指すのは祖母の為などではなく、唯の自己顕示欲の為だったのではないか。彼は自身が低俗な人間なのだと証明される事が、何より怖かったのだ。

「だから復讐しようとしたのか。復讐を為し、仇を討てば、祖母の死をも実感して泣けると思ったから。もし、泣けなかったとしても――」

「はい、それならばもし仮に泣けなかったとしても、仇を討ったという事実は残る。それで僕は自分を許せると思った」

 レグルス自身、結局は自己防衛を念頭に置いた卑怯な考えだという自覚はある。彼は罪悪感や自己嫌悪、後悔、その全てに終止符を打ちたいが為に復讐を決意した。復讐心に嘘は無い。だが一番は自分の心に安寧を取り戻す為、自分自身を許す為だったのだ。

「卑怯……ですよね。結局僕は、最低な理由で首を突っ込んで、貴女の足を引っ張った。僕は自分の事しか考えていない。そんな僕に泣く資格なんて、初めから……」

 レグルスは嫌悪する。そんな選択しか出来ない自分自身を。それすらも満足に熟せない弱い自分を。そんな自分にわんわんと惨めに泣く資格など、初めから無かったのだ。

「…………五年前、兄さんが言ってた。力は持つ者によって形を変える刃だって。人助けにも人殺しにも使える、万能の刃。でも一度悪行にその刃を使えば、どんな形にも変われた筈の刃は、簡単に変化する事が出来なくなる。善から悪に墜ちるのは簡単だ。でも、その逆は無い」

 天星は力の在り方を星羅に教えた。何者にもなれる、そんな可能性を無為に捨てさせない為に。だから彼女は人を殺さない。本当の正義を見定めるまでは、殺しを悪と仮定している。一度でも血に塗れてしまえば、二度とその血が乾く事は無いのだから。

「私が君を止めたのは、可能性があったからだ」

「可能性……?」

「今はまだ、善にも悪にも染まってない。悪に染まらず、善行に身を捧げられる可能性、私と同じ、人の為に力を使えると信じた」

 レグルスの力は星羅と同じく強大なもの。正しくはそうなり得るものだ。人を殺そうと思えば数万人規模で、反対に救おうと思えばこれまた数万人規模が対象となる。だから止めた。力は可能性そのものだから。

「そんな可能性、僕には――」

「あるよ。きっとまだ自分の望む形に変われる。望んだのはなにも、人を殺す姿じゃあないでしょう? 泣く資格なんて求める必要は無い。君は仇を討つ為に立ち向かった。その行為の内にあった理念だけは、尊ぶべきものの筈だ」

 レグルスの行動が正しきものか、はたまた誤りであるのか、それは星羅にも分からない。だが1つ言える事があるとすれば、その行動理念は尊きものの筈だ。彼は望んだ。祖母の力となりたいと、弱者の為にその力を使いたいと。それは素晴らしき感情の発露であると、星羅は信じる。

「泣けなかった事を後悔してるその心は、優しいものだと思う。だから別に自分を責める事は無い……それでも自分を許せないと言うのなら、私と同じ人を救う側に立つといい。そうすれば幾分か、自分を好きになれると思うから」

 星羅の優しい言葉は、レグルスの心を癒す。彼女はレグルスが欲していた言葉を投げかけてくれたのだ。それがどんなに嬉しかったか。それがどんなに彼の心を照らしたか。

 レグルスは思う。きっと自分は誰かを救う人間になりたかったのだと。だがそんな機会を、一番救いたかった人を奪われた事で逸してしまう。もうそのチャンスは二度と訪れないと思ってしまった。

「まだ……自分自身に許しを与える事は出来ません。それでも――」

 そんな自分に星羅は光を見せてくれた。進むべき道をではなく、レグルスの前に広がる道の存在を教えてくれた。彼が気付かなかった道の存在を。だからこそ、言うべき言葉は決まっている。

「ありがとう」

 もし、もう一度変わる機会を掴めるのなら……。

 幼き少年の想いは、夕焼けの光陽に抱かれる。その瞳には自身を救ってくれた女性への、尊ぶべき憧憬が宿っていた。

 言葉と共に頬を流れた一雫は、彼の人間性を保証するものだ。救えなかった後悔も、彼を悩ませた哀惜も、確かにそこに詰まっていた。

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