第九十九話:青の鳥籠と、王都からの蹄音
朝日が完全に昇りきった川辺で、レイたちは泥と血に塗れた身体を休めていた。
背後にそびえ立つザルバの街は、巨大な青白い半透明のドーム――完全封鎖の魔法障壁に覆われている。外からの侵入も、内からの脱出も許さない絶対の檻だ。
「……痛っ。もう、魔力回路が焼け焦げるかと思ったわ」
川の水で汚れを落としたシェリアが、赤く腫れ上がった両腕に治癒魔法をかけながら顔をしかめる。
その傍らでは、シロが自分の新しいローブの裾を迷いなく引き裂き、包帯代わりにしてシェリアの腕に丁寧に巻きつけていた。
「ごめんなさい、シェリア様。私のせいで、こんなお怪我を……」
「いいのよ、シロ。あんたが謝ることじゃないわ。それに、私のことは様付けじゃなくてシェリアでいいって言ってるでしょ?」
シェリアが苦笑しながらシロの銀髪を撫でると、シロは少しだけ頬を染めて嬉しそうに頷いた。
先に脱出していた他種族の奴隷たちも、草むらに座り込んで身を寄せ合っている。彼らの瞳にはまだ疲労と恐怖の色が残っているが、それでも、もう首輪の痛みに怯える必要のない自由な空気を、深く吸い込んでいた。
「しかし、傑作だな」
川岸の岩に腰掛けていたアレンが、障壁に包まれたザルバの街を指差して鼻で笑った。
「あの結界、本来は外敵から街を守るための最高位の防衛魔法だろ。だが、今の状況じゃあ、あの中にいる貴族や私兵どもは『自分から巨大な鳥籠の中に引き籠もった』ようなもんだ」
「ええ。ヴァルダー子爵が残した証拠書類は、私の使い魔がとっくに王都へ届けているはずよ。障壁を張ったところで、彼らの罪が消えるわけじゃないわ」
その時だった。
地響きのような、重く揃った足音が遠くの街道から響いてきた。
レイが素早く立ち上がり、背中の黒鋼に手をかける。アレンも双剣を抜くが、目を凝らしたシェリアが明るい声を上げた。
「待って、レイ! 武器を引いて! あれは……!」
朝靄を裂いて姿を現したのは、白銀の甲冑に身を包んだ数百の騎馬隊だった。
掲げられた旗には、王家直属であることを示す『双頭の獅子』の紋章が黄金の糸で刺繍されている。ザルバの腐敗した衛兵たちとは比べ物にならない、統率の取れた精強な気配。
「王都特務騎士団……! 間に合ったんだわ!」
騎馬隊の先頭を進む、歴戦の傷跡を顔に刻んだ大柄な騎士――騎士団長が、レイたちの姿と、保護された奴隷たちを見て馬の歩みを止めた。
彼は馬を下り、重厚な鎧の音を鳴らしながらレイたちの前へと歩み寄る。
「君たちが、使い魔を飛ばしてくれた冒険者たちだな。私は特務騎士団長、ガウェインだ。送られた証拠書類の裏付けは取れた。欲望の都の腐敗を暴き、多くの命を救ってくれたこと、王国を代表して礼を言う」
ガウェイン団長は、下級冒険者であるレイたちに対し、一切の驕りもなく深々と頭を下げた。
「ですが……厄介なことになりましたね」
ガウェインが顔を上げ、ザルバを覆う巨大な魔法障壁を険しい目で睨みつける。
「あれは旧魔帝国時代の遺物を利用した『都市封鎖結界』。王都の宮廷魔術師団を総動員して術式を解析しなければ、破るのに数週間はかかる。あの中にいる首謀者の残党どもが、証拠隠滅や自害を図るには十分すぎる時間だ」
ガウェインの言葉に、騎士たちが悔しげに唇を噛む。
物理的な攻撃も、魔法による干渉もすべて弾き返す絶対の盾。街を健全化するためには、あの障壁を破り、中にいる悪党どもを直接裁きに引き摺り出さなければならないのだ。
「……団長さん。あの壁がなくなれば、すぐに突入できるのか?」
不意に、レイが静かな声で問いかけた。
「あ、ああ。壁さえ破れれば、我々が即座に街を制圧し、残党を一人残らず捕縛するが……冒険者よ、どうするつもりだ?」
レイは無言のまま、背中から『封魔の黒鋼』を引き抜いた。
そして、障壁の青白い壁面へと真っ直ぐに歩み寄る。
「レイ様?」
不思議そうに見つめるシロと、驚く騎士たちを背に、レイは黒鋼を大きく上段に構えた。
都市を守る最高位の防衛魔法。
しかし、レイの持つこの巨大な鉄塊は、迷宮の理すらも断ち切る『魔力を霧散させる』異常な特性を持っている。
闘技場での呪いを断ち切り、怪物の核を粉砕したこの大剣なら――。
「こんな鳥籠で、逃げ切れると思うなッ!」
レイは全身の筋肉を躍動させ、都市を覆う魔法障壁へ向けて、渾身の一撃を叩きつけた。
――パキィィィィィィィィィィンッ!!!!
空気が震え、耳を劈くようなガラスの割れる音が響き渡った。
騎士団長ガウェインが驚愕に見開いた目の前で、絶対に破れないはずの巨大な魔法障壁が、レイの黒鋼が触れた一点から蜘蛛の巣状に亀裂を走らせ、次の瞬間、粉雪のように儚く砕け散ったのだ。
「な……結界を、物理的に粉砕しただと!?」
唖然とする騎士たちを振り返り、レイは黒鋼を肩に担いで静かに告げた。
「道は開けました。……あとは、お願いします」
ガウェインは数秒間の硬直の後、ふっと口角を上げ、力強く剣を天に掲げた。
「全隊、突入!! 貴族・衛兵を問わず、抵抗する者は斬り捨てろ! この欲望の都を、我々の手で浄化するぞ!」
「おおおおおおおッ!!」
怒号のような鬨の声と共に、数百の白銀の騎士たちが、開かれたザルバの正門へと雪崩れ込んでいく。
それは、腐敗した街に真の裁きが下る、決定的な夜明けの瞬間だった。
最後まで『大剣の冒険者 第二部 〜欲望の都と、檻の中の銀〜』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
ついに到着した特務騎士団。そして、街を封鎖する絶対の魔法障壁すらも、物理と対魔力の質量で叩き割るレイの一撃を描かせていただきました。
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次回、ザルバの街の完全な浄化と、奴隷たちとの別れ、そして街の健全化を見届けます。皆様からの応援が物語を描き続けるための最大の原動力となります。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




