第九十八話:凍てつく命綱と、泥濘を断つ黒鋼
「ギャオォォォォォォォッ!!」
地下水脈に、もはや人間の原型を留めていない処刑隊長の咆哮が轟いた。
暴走した『人工の核』の瘴気に当てられ、肥大化した右半身は赤黒い肉塊と化している。その丸太のような異形の腕が、大排水門の鉄格子を上から強引に押さえつけていた。
「この……ッ!」
レイの顔が苦痛に歪む。下から鉄格子を押し上げている『封魔の黒鋼』に、数トンの鉄の重さに加えて異形の怪物の膂力がのしかかる。
足元の石畳がメリメリと砕け、レイの膝が徐々に泥水へと沈み込んでいく。
「させるかよ、化け物ォッ!」
アレンが汚水を蹴り上げ、双剣を閃かせた。
疾風のような連続斬撃が怪物の剥き出しの肉を斬り裂くが、傷口からはドス黒い瘴気が噴き出し、瞬く間に肉が泡立って再生していく。
「チッ、痛覚どころか死の概念までぶっ飛んでやがる!」
怪物の無造作な裏拳がアレンを捉え、彼は汚水の中を派手に数メートルも吹き飛ばされた。
すかさずシェリアが魔導銃を構え、最大出力の『氷結弾』を怪物の胴体に叩き込む。しかし、暴走する核が放つ異常な熱量が、瞬時に氷を蒸発させてしまった。
「駄目よ、レイが剣を抜かない限り、あの中核は破壊できないわ!」
シェリアが焦燥の声を上げる。
だが、レイが黒鋼を引き抜けば、支えを失った鉄格子は一瞬で落下し、退路は完全に断たれる。
鉄格子の向こう側では、街を封鎖する絶対の魔法障壁が、地上まで残りわずか数十センチというところまで降下してきていた。もう時間がない。
「レイ様ッ!」
背後にいたシロが、泥水に飛び込み、レイの身体にすがりついた。彼女の小さな手で一緒に鉄格子を押し上げようとするが、ビクともしない。
「逃げろ……シロ! 君たちだけで、早く外へ……ッ!」
レイが血の滲む唇から声を絞り出す。
「嫌です! レイ様を置いていくくらいなら、ここで一緒に潰されます!」
シロの銀色の瞳には、一切の迷いがなかった。
その時、シェリアの目に決死の光が宿った。
彼女は魔導銃のシリンダーを弾き出し、最も危険な『禁忌の弾薬』――絶対零度弾を装填した。
「アレン! 一瞬だけ、あの怪物の視界を奪って!」
「無茶する気だな、お姫様! ……上等だッ!」
立ち上がったアレンが再び肉薄し、双剣を怪物の両目へと深々と突き立てた。
怪物が苦悶に身をよじらせたその一瞬の隙を突き、シェリアが泥水を滑るように怪物の足元へと潜り込む。
彼女は銃口を、怪物の『鉄格子を押さえつけている右腕』と『鉄格子そのもの』の接点に直接押し当てた。
「凍りつけェェェェッ!!」
引き金を引いた瞬間、魔導銃の銃身が破裂しそうなほどの悲鳴を上げた。
凄まじい青白い閃光と共に、絶対零度の冷気が爆発する。怪物の巨大な右腕と、大排水門の鉄格子、そして周囲の泥水が、一瞬にして分厚く強固な『青氷の柱』となって結合し、完全に凍りついた。
「レイ! 今よ! 氷の柱が重さに耐えられるのは、せいぜい三秒!!」
強烈な反動で両腕から血を流し、膝を突いたシェリアが叫ぶ。
「――ッ!」
レイは躊躇しなかった。
鉄格子と床の隙間から『封魔の黒鋼』を瞬時に引き抜く。
支えを失った鉄格子が軋むが、シェリアが作り出した怪物の肉体ごと凍らせた氷の柱が、ギリギリでその重量を支えている。
「ギィィィ、ガァァァァァッ!?」
右腕を鉄格子に縫い付けられ、身動きが取れなくなった怪物が、残った左腕でレイを粉砕しようと振り下ろす。
「人の痛みを喰って肥え太ったその命……ここで終わらせるッ!」
レイは全身のバネを極限まで圧縮し、迫る怪物の左腕を避けることなく、下から上へと真っ直ぐに黒鋼を振り抜いた。
――ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!
大剣の凄まじい質量が、怪物の胸部――赤黒く脈打つ人工の核を真正面から捉えた。
魔力を霧散させる黒鋼の特性が瘴気を完全に打ち消し、圧倒的な物理破壊力が、怪物の分厚い肉体もろとも核を完全に粉砕する。
悲鳴を上げる間もなく、怪物の巨体は弾け飛び、汚水の中に黒い肉片となって降り注いだ。
「走れェッ!!」
レイがシロの身体を抱え上げ、アレンが負傷したシェリアの襟首を掴む。
四人は、氷の柱がひび割れ始めた鉄格子の隙間へ向かって、泥水の中を泥臭くダイブした。
直後。
パァァンッ!! という甲高い音と共に氷の柱が限界を迎えて砕け散り、数トンの鉄格子が凄まじい轟音を立てて完全に落下した。
そして、彼らが城外の草むらを転がったそのコンマ一秒後。
ザルバの街を覆う青白い魔法障壁が、大地と完全に接続され、欲望の都は物理的にも魔力的にも、一切の出入りを許さない完全な「檻」と化した。
「……ははっ、間一髪すぎるだろ、おい……」
朝靄に包まれた城外の川辺。
大の字に倒れ込んだアレンが、空を見上げながら荒い息を吐き出して笑う。
シェリアも痛む腕を押さえながら、安堵の溜息を漏らした。
レイは泥まみれの身体を起こし、腕の中で震えている小さな温もりを見つめた。
「……怪我はないかい、シロ」
シロはゆっくりと顔を上げ、背後にそびえ立つ、決して開くことのない巨大な魔法障壁と鉄格子を振り返った。
自分を縛り付けていた絶対的な地獄が、ついに完全に遮断されたのだ。
「はい……っ」
彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでも、朝日を浴びて輝くような笑顔で、レイの首に力強くしがみついた。
狂気と悪意の街から、ついに脱出を果たした若き大剣使いと仲間たち。
彼らの頭上には、どこまでも広く、澄み切った朝の空が広がっていた。
最後まで『大剣の冒険者 第二部 〜欲望の都と、檻の中の銀〜』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
怪物の肉体ごと鉄格子を凍らせて即席の柱にするシェリアの機転、そして制限時間3秒の間に黒鋼の全力の一撃を叩き込むレイ。四人の連携によるギリギリの脱出劇を描かせていただきました。
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