第九十四話:地下水脈の逃路と、血を洗い流す雫
スラムの奥深くへ向かう路地は、息が詰まるほどの腐臭と汚泥に塗れていた。
追手の松明の明かりが、あちこちで不気味に揺れている。
レイとシロは息を潜め、暗がりから暗がりへと素早く移動していた。シロの歩みは、以前のようにおどおどとしたものではない。レイの手を固く握りしめ、彼の足跡を正確になぞるように、必死に食らいついてきている。
(……追手の数が増えている。これじゃあ、どこに隠れても時間の問題だ)
角を曲がろうとした瞬間、レイは咄嗟に足を止め、シロを壁際に引き寄せた。
前方から、松明を掲げた五人の武装兵が向かってくる。
レイが再び黒鋼の柄に手を掛けた、その時――。
「……バカ、早まるな」
背後の崩れかけたレンガ壁の隙間から、にゅっと伸びた手がレイの肩を掴んだ。アレンだ。
「こっちだ。早く入れ」
アレンの合図で、レイとシロは壁の裏側へと滑り込んだ。そこは、スラムのさらに下層――ザルバの地下水脈へと続く、廃棄された下水道の入り口だった。
中では、シェリアが魔力光を最小限に絞って待機していた。
「無事でよかったわ。……レイ、あなたその血……」
シェリアが、レイの服と、彼の手を握るシロの手にべっとりと付着した赤黒い血に気づき、小さく息を呑む。
「……三人、殺した。匂いで嗅ぎつけられる前に、拠点を捨てたんだ」
淡々と告げるレイに、アレンは顔をしかめて頭を掻いた。
「チッ、どおりで上が騒がしいわけだ。……まあいい、殺されるよりは百倍マシだ。よくシロを守り切ったな、前衛」
咎めるどころか、その決断を肯定するアレンの言葉に、レイは微かに目を伏せた。
シェリアは無言で歩み寄ると、小さな水球を生み出す清浄魔法を展開した。
「手を出しなさい、二人とも。血の匂いは、追手を引き寄せる一番の餌になるわ」
清らかな水が、レイの分厚い手と、シロの小さな手を包み込む。
赤黒く固まっていた他人の血が、水に溶けて足元の汚泥へと流れ落ちていく。
シロは、綺麗になったレイの手を、もう一度自分の両手でそっと包み込んだ。血が洗い流されても、彼が自分のために手を汚してくれたという『事実』は、彼女の心の中で温かい熱を持ち続けている。
「……さて、厄介な知らせがあるぜ」
地下水脈の奥へと歩みを進めながら、アレンが低い声で切り出した。
「地上を偵察して分かったが、特務騎士団が来るまで三日待つってのは、どうやら無理そうだ」
「どういうことだ?」
「ヴァルダーの残党どもが、裏社会で悪名高い『猟犬』の異名を持つ獣人の追跡部隊を雇い入れた。あいつらの鼻にかかれば、お前が残した死体の血の匂いから、この地下水脈に辿り着くのも時間の問題だ」
アレンの言葉に、シェリアも険しい顔で頷く。
「ええ。それに、ザルバの領主軍が、街を丸ごと魔法障壁で包囲する準備を進めているわ。障壁が完成すれば、騎士団でさえ外から手出しできなくなる」
逃げ場のない地下水脈。迫る特化型の追跡部隊。そして、街全体の完全封鎖。
騎士団の到着を待つという選択肢は、完全に絶たれた。
レイは暗闇の中で、背中の黒鋼の重みと、右手に握られたシロの小さな温もりを確かめるように、強く拳を握りしめた。
「……なら、やることは一つだ」
レイの静かな、しかし確かな決意を秘めた声が、湿った地下道に響く。
「障壁が完成する前に、この街の包囲網を『力ずく』でぶち破る。……今夜中に、ザルバから脱出するぞ」
最後まで『大剣の冒険者 第二部 〜欲望の都と、檻の中の銀〜』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
仲間との合流、そして血を洗い流す静かな時間から一転、街からの「強行突破」を決意するレイたちを描かせていただきました。
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包囲網が完成する前に、欲望の都から脱出することはできるのか。皆様からの応援が物語を描き続けるための最大の原動力となります。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




