第九十一話:包囲網の街と、暗がりの温もり
崩落する地下闘技場から続く螺旋階段を駆け上がり、レイたちが地上の路地裏へと飛び出した時、ザルバの街はすでに異常な喧騒に包まれていた。
「カン、カン、カン!」と、緊急事態を知らせる半鐘の音が夜空にけたたましく鳴り響いている。
「おい、衛兵隊が動いてるぞ! 『大剣を背負ったガキと、銀髪の獣人の奴隷を捕らえろ』だとよ!」
「ヴァルダー子爵様からの直々の手配だ! 賞金は金貨百枚! 荒くれ者どもが血眼になって探してるぜ!」
表通りから聞こえてくる怒声と鎧の擦れる音に、レイは背中の黒鋼を隠すように外套を深く被り直した。
闘技場での非道な人体実験と迷宮の『核』に関する証拠書類は、崩壊する地下を脱出する最中に、シェリアが王都直通の『鳥型魔導通信機』を夜空へと放ち、特務騎士団へと向かわせている。だが、騎士団がこの辺境の街に到着するまで、早くとも三日はかかる。
それまでの間、彼らは「街の権力者に刃向かった大罪人」として、衛兵と賞金稼ぎが溢れるこのザルバを生き延びなければならないのだ。
「チッ、どいつもこいつも金に群がる蝿みてえだな」
路地の角から索敵を終えて戻ってきたアレンが、忌々しそうに舌打ちをした。
「表通りは完全に封鎖されてる。城壁の門も閉じられた。……レイ、こっちだ。スラム街の廃屋に身を隠すぞ。あそこなら衛兵どもの目も届きにくい」
「分かった。……行こう、シロ」
レイが手を引くと、シロは小さく頷き、レイの外套の裾を両手でぎゅっと握りしめた。その手は微かに震えていたが、闘技場で見せていたような絶望の震えではなく、レイに置いていかれないように必死にしがみついているような、強い意志を感じさせた。
四人は月明かりを避け、泥と生活排水が入り混じるスラムの暗がりへと足を踏み入れた。
追手の気配をシェリアの魔導銃に搭載された熱源センサーと暗視スコープで察知して躱し、アレンの先導で迷路のような路地を抜け、やがて半ば崩れかけた無人の石造りの廃屋へと滑り込んだ。
「ふぅ……ひとまずは、ここでやり過ごすしかないわね」
シェリアが安堵の息を吐き、廃屋の入り口に気配を誤魔化す『光学迷彩の魔導シート』を素早く張り巡らせた。
レイは床の比較的綺麗な場所に自分の外套を敷き、シロを座らせた。
「怪我はないかい? 疲れただろう」
その優しい声に、シロはうつむいたまま、ぽつりと呟いた。
「……私の、せいです」
「え?」
「私のせいで、レイ様たちが、こんな……汚い場所に追いやられて、悪い人たちから命を狙われて……。私が、不良品で、迷惑ばかりかけるゴミだから……ッ!」
シロの目から大粒の涙が溢れ出し、彼女は自分の腕を力強く引っ掻こうとした。自分を罰しようとする、奴隷時代に骨の髄まで植え付けられた自傷の癖だ。
だが、その手はレイの大きく温かい両手によって、優しく、けれどしっかりと止められた。
「シロ、自分を傷つけないで」
「でも、私がいたら、レイ様が……!」
「君を助けたのは、僕の意志だ。君は何も悪くない」
レイはしゃがみ込み、シロの涙に濡れた頬を指先でそっと拭った。
「この街のルールは狂ってる。他人の痛みを笑い物にしながら生きるような連中の法に、僕たちが従う必要なんてないんだ。だから、謝らないでくれ」
「レイ、様……」
シロは泣き崩れながら、レイの胸にすがりついた。
レイは背中の黒鋼を下ろし、シロの華奢な背中を一定のリズムで優しく撫で続けた。
少し離れた場所で、アレンが壁に寄りかかりながら腕を組んでその様子を見ていた。
「……ったく。あんなデカい鉄塊背負ってるくせに、さらに重い荷物(厄介事)抱え込んじまって。お前、本当に不器用だな」
口調は相変わらず悪態をついているが、その目はどこか柔らかい。
シェリアも苦笑しながら、携帯食料と水筒をレイたちの傍らに置いた。
「でも、それが私たちの前衛でしょ? アレンだって、文句言いながらちゃんと闘技場まで助けに来てくれたじゃない」
「う、うるせえ! 俺はただ、あんな悪趣味な貴族が気に入らなかっただけだ!」
顔を赤くしてそっぽを向くアレンの姿に、レイは小さく吹き出した。
シロも、レイの胸に顔を埋めたまま、三人のやり取りを聞いて微かに肩を揺らした。
包囲網が敷かれた欲望の都。外には彼らを仕留めようとする無数の悪意が渦巻いている。
だが、冷たく暗い廃屋の中には、これまでシロが一度も味わったことのない、確かな温もりと『絆』の光が灯っていた。
特務騎士団の到着まで、あと三日。生き残りを懸けた長い夜が始まろうとしていた。
最後まで『大剣の冒険者 第二部 〜欲望の都と、檻の中の銀〜』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
街全体を敵に回した逃走劇の始まりと、廃屋での静かなひとときを描かせていただきました。シロの心境の変化と、パーティーの絆を感じていただければ幸いです。
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包囲網が狭まる中、レイたちは騎士団の到着までどう生き延びるのか。皆様からの応援が物語を描き続けるための最大の原動力となります。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




