第八十九章:崩壊する箱庭と、銀色の夜明け
「ひ、ひぃぃぃッ! 来るな、私に近づくなァッ!」
特等席で腰を抜かしたヴァルダー子爵は、惨めな悲鳴を上げながら床を這って後ずさった。
最強を誇った人工魔物すら一撃で粉砕された今、彼を守るものは何一つ残されていない。
レイは闘技場の底から大きく跳躍し、ヴァルダーのいる特等席のバルコニーへと重々しく着地した。ズシン、と石造りの床がその質量に悲鳴を上げる。
「ま、待て! 金だ、金が欲しいのだろう!? 奴隷もくれてやる! この闘技場の利益を半分……いや、全部お前にやってもいい!」
脂汗を流し、必死に命乞いをする貴族の醜悪な姿。
かつてシロたち他種族を虫ケラのように見下し、その絶望をワインの肴にして笑っていた男の末路は、あまりにも矮小で滑稽だった。
レイは無言のまま、黒鋼の大剣を上段に構え――一切の躊躇なく振り下ろした。
「ヒィィィィッ!!」
――ドゴォォォォンッ!!
轟音。
ヴァルダーの首の横、わずか数ミリの隙間を通過した漆黒の刃は、特等席の豪奢な大理石の壁を、背後の通路ごと完全に叩き割っていた。
鼓膜を破るような轟音と凄まじい風圧に、ヴァルダーは白目を剥き、自らの汚物に塗れながら泡を吹いて気絶した。
「……命までは取らない。お前は、お前たちが作った法で裁かれろ」
レイが瓦礫から黒鋼を引き抜くと、破壊された通路の奥からアレンとシェリアが姿を現した。アレンの手には、分厚い羊皮紙の束が握られている。
「見つけたぜ、レイ。この豚が裏でやってた違法な魔力実験と、迷宮の『核』に関する密輸の証拠書類だ。これだけあれば、人間至上主義のこの街の法でも、一族郎党まとめて首が飛ぶ」
「ええ。すぐに王都の特務騎士団に送る手はずを整えるわ。ザルバの衛兵隊にもすでに手は打ってある。……これで、このおぞましい闘技場は完全に終わりよ」
仲間の言葉に、レイは深く頷いた。
闘技場に捕らわれていた他の奴隷たちも、シェリアの魔法で檻の鍵を壊され、信じられないものを見るような目で崩壊した壁を見つめている。
レイは再び闘技場の底へ降り立ち、砂まみれの床に座り込んでいたシロの元へと歩み寄った。
「もう終わったよ、シロ。……帰ろう」
差し出されたその大きな手。
シロはゆっくりと顔を上げた。彼女の目に映るのは、自分の世界を支配していた絶対的な恐怖の象徴(闘技場)が瓦礫と化し、ぶち破られた天井から、美しい朝の光が差し込もうとしている光景だった。
もう、怯える必要はない。理不尽な痛みに耐える必要もないのだ。
「ご主人、様……」
「レイだ。僕の名前はレイだよ」
レイが優しく微笑むと、シロはこぼれ落ちる涙を拭おうともせず、両手でしっかりと、その温かく傷だらけの手を握り返した。
「……レイ、様」
少女の心に幾重にも巻き付いていた冷たい鎖が、ついに音を立てて砕け散った。
欲望と悪意が渦巻く街ザルバ。その深い闇を理不尽な質量で粉砕し、若き大剣使いは一人の少女の運命を確かに背負い上げた。
すべてを奪われた少年と、すべてを諦めていた少女。
彼らの真の旅は、ここから始まるのだ。
最後まで『大剣の冒険者 第二部 〜欲望の都と、檻の中の銀〜』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
人間の悪意の象徴であった闘技場を破壊し、ついにシロの心の鎖を断ち切ったレイ。ザルバでの過酷な戦いを乗り越えた彼らの結末を描かせていただきました。
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迷宮の『核』を巡る陰謀の証拠を手に入れたレイたちの、次なる新展開。皆様からの応援が物語を描き続けるための最大の原動力となります。どうぞよろしくお願いいたします。




