第八十七章:狂乱の闘技場と、舞い降りる黒鋼
ザルバの地下深くに存在する『地下闘技場』。
すり鉢状になった石造りの観客席は、血と暴力の匂いに酔いしれる貴族や富裕層の熱気で異様な盛り上がりを見せていた。
特等席からその狂乱を見下ろすヴァルダー子爵は、ワイングラスを傾けながら満足げに口角を上げた。
「さあ、今夜のメインイベントだ。生意気な冒険者に飼われ、人間に希望を抱いた哀れな獣が、絶望の中で食い殺される極上の喜劇をとくと味わうがいい!」
重い鉄格子が開き、闘技場の砂まみれの底へ、一人の少女が突き飛ばされた。
薄汚れたボロ布一枚を纏わされたシロだ。彼女の細い首には見せ物用の鉄の首輪がはめられ、足首の鎖は、わずかに逃げ惑うことができる程度の長さだけ残されていた。
「殺せ! 殺せぇっ!」
「犬っころの腸を引きずり出せ!」
観客席から浴びせられる、人間の醜悪な嘲笑と殺意の嵐。
対面の鉄格子が重々しい音を立てて引き上げられ、暗闇の中から巨大な影が這い出してきた。極限まで飢えさせられた、三つ首の魔獣・キメラだ。その瞳には理性がなく、ただ目の前の肉を喰らおうとする凶暴な魔力だけが宿っている。
グルルル……ッ!
咆哮と共に、キメラが砂を蹴ってシロへと飛びかかる。
逃げ場はない。武器もない。観客たちが残酷な結末を期待して身を乗り出した。
しかし、シロは逃げなかった。
彼女は両手を胸の前で強く握りしめ、かつて自分を包み込んでくれた、あの分厚く温かい手のひらの感触を思い出しながら、真っ直ぐに上を見上げた。
(……ご主人、様……ッ!)
その祈りが通じたのか。
否、それは祈りなどという不確かなものではない。理不尽を真っ向から粉砕する、確かな『物理の塊』だった。
――ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
闘技場の分厚い石の天井が、爆発したかのように粉々に吹き飛んだ。
降り注ぐ瓦礫と土煙。観客たちの歓声が、一瞬にして恐慌の悲鳴へと変わる。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
ヴァルダー子爵が立ち上がり、眼下の砂煙を睨みつける。
土煙が晴れた闘技場の中央。そこには、シロに襲いかかろうとしていた巨大なキメラが、頭から真っ二つに叩き割られ、原形を留めない肉塊となって沈んでいた。
そして、その肉塊の中心に突き立てられた、身の丈ほどもある漆黒の大剣。
柄を握りしめ、ゆっくりと立ち上がったのは、死んだはずの『下級冒険者』だった。
「……遅くなってごめん、シロ」
レイは黒鋼を引き抜き、肩に担ぎ直しながら、シロへ向かって優しく微笑んだ。
「ご主人、様……あぁっ、ご主人様……ッ!」
張り詰めていた糸が切れ、シロはその場に泣き崩れた。
「ば、馬鹿な! なぜお前が生きている! 衛兵どもはどうしたッ!」
特等席のヴァルダーが泡を飛ばして叫ぶ。
「衛兵なら、全員縛り上げて牢屋の奥に寝かせといたぜ」
観客席の最上段から、アレンの冷酷な声が響いた。
いつの間にか、闘技場の出口はすべて、シェリアの魔導銃から放たれた『広域氷結弾』が作り出した分厚い氷壁によって完全に封鎖されていた。逃げ場を失い混乱する警備兵たちは、アレンの双剣と、シェリアの魔導銃による的確な牽制射撃によって次々と床に沈められていく。
「さて……」
レイはシロの首にはめられていた鉄の首輪を、黒鋼の刃先でいとも容易く断ち切った。
そして、闘技場を見下ろすヴァルダー子爵に向かって、漆黒の切っ先を真っ直ぐに突きつける。
「彼女の鎖は断ち切った。次は、お前たちの番だ」
静かな、しかし確かな殺意を帯びたレイの言葉に、闘技場の空気が凍りつく。
欲望の都の深部で、虐げられた者たちの怒りを背負った若き大剣使いの、容赦のない反撃が幕を開けた。
最後まで『大剣の冒険者 第二部 〜欲望の都と、檻の中の銀〜』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
絶体絶命の闘技場に天井をぶち破って舞い降りたレイ。理不尽な悪意を黒鋼の圧倒的な質量で粉砕し、アレンとシェリアの完璧な連携で敵の退路を封じ込めるという、反撃のカタルシスを描かせていただきました。
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ここから始まるヴァルダー子爵との直接対決。皆様からの応援が次なる展開を描き続けるための最大の原動力となります。どうぞよろしくお願いいたします。




