第八十一章:冷たい朝と、忍び寄る影
翌朝。宿屋の窓から差し込む薄日で、シロはハッと目を覚ました。
自分がふかふかのベッドの上で、清潔な毛布に包まれていることに気づき、彼女の顔色が一瞬で真っ青になる。
(奴隷が、ご主人様の寝床を奪ってしまった……! 殺される、皮を剥がれるッ!)
パニックに陥り、ベッドから転げ落ちるようにして床に這いつくばったシロの耳に、穏やかな声が届いた。
「おはよう、シロ。よく眠れたかい?」
声の主はレイだった。彼はベッドを使わず、床に敷いた外套の上で背中の黒鋼を抱くようにして眠っていたらしい。
シロはガタガタと震えながら、床に額をこすりつけた。
「も、申し訳ありません、申し訳ありません! 汚い獣がご主人様のベッドを汚してしまいました! どうか、どうか右腕を切り落とすだけでお許しを……!」
「違うよ、シロ。僕が君をあそこに寝かせたんだ。君は何も悪くない」
レイは苦笑しながら立ち上がり、シロの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「今日はまず、君の服を買いに行こう。その後は……ギルドに行って、仕事を探さなきゃな」
一階のロビーに降りると、そこにはすでに旅装を整えたアレンとシェリアが立っていた。
レイがシロの手を引いて近づくと、アレンは露骨に顔をしかめ、舌打ちをした。
「……俺たちは迷宮の元凶について、情報を集めに裏通りを回ってくる。お前はそいつの『お守り』をしてな」
「アレンさん。僕はギルドで単独の依頼を受けて、使ってしまった資金を稼いできます。……必ず、穴埋めはするから」
「好きにしろ。ただし、厄介事は持ち込むなよ」
冷たく言い放ち、アレンは宿を出て行った。シェリアも悲しげな目でレイとシロを一度だけ見つめ、何も言わずにその後を追う。
かつて絶対の信頼で背中を預け合ったパーティーの絆は、完全に真っ二つに割れてしまっていた。レイの背中の黒鋼が、いつもよりひどく重く感じられた。
それでもレイは立ち止まらず、シロの手を引いてザルバの雑踏へと足を踏み出した。
街の中心部に近づくにつれ、人通りは激しさを増す。
すれ違う人間たちは、立派な身なりの人間が奴隷を連れるのは見慣れているが、薄汚れた冒険者が獣人の少女を連れ歩く姿には、嘲笑と好奇の目を向けた。
「ヒッ……」
近くで奴隷商人の振るう鞭の音が鳴るたび、シロは悲鳴を飲み込み、レイの外套の裾を死に物狂いで握りしめた。その手は氷のように冷たく、震えている。
レイは何も言わず、ただ彼女の小さな手を自分の大きな掌でしっかりと包み込み、群衆から庇うように歩幅を合わせた。
しかし、二人を見つめるのは、ただの好奇の目だけではなかった。
大通りの影。豪奢な馬車の中から、その様子をねっとりとした視線で観察している男がいた。
高級なシルクの服に身を包んだ、青白い顔の貴族の男だ。
「……おや。手違いで市場に流されたと聞いていた『四十二番』ではないか」
男の口元が、三日月に歪む。
「あんな下級冒険者に買われていたとはな。あの銀髪の獣人は、うちの『地下闘技場』の特別な見世物だ。痛めつければ痛めつけるほど、いい声で鳴く極上の商品……。すぐに取り戻さねばな」
男の背後に控えていた黒ずくめの暗殺者たちが、音もなく頷き、影の中へと溶けていく。
不器用な優しさに触れ、ほんの僅かだけ人間への恐怖を忘れかけていた少女と、彼女を護ろうと誓った若き大剣使い。
欲望の都の深くどす黒い悪意が、二人の背後へと確実に忍び寄っていた。
最後まで『大剣の冒険者 第二部 〜欲望の都と、檻の中の銀〜』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
すれ違う仲間との距離、そして街に潜む巨大な悪意が二人に狙いを定める、嵐の前の静けさを描かせていただきました。
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忍び寄る裏社会の魔の手に対し、レイはどう立ち向かっていくのか。皆様からの応援が次なる展開を描き続けるための最大の原動力となります。どうぞよろしくお願いいたします。




