第七十章:雨上がりの誓いと、泥だらけの拳
数日間にわたってギルムの街を濡らしていた冷たい雨が、ようやく上がりかけていた。
雲の切れ間から差し込む薄日が、水たまりに反射して鈍く光っている。
ボルグの魂を削るような叱咤を受け、レイはついに救護所のベッドから立ち上がった。
足取りはまだ重く、全身の筋肉は悲鳴を上げている。だが、その瞳の奥には、漆黒の迷宮で一度は完全に死に絶えたはずの「絶対の軸」が、再び静かに、しかし熱く宿り始めていた。
レイが向かったのは、ギルムの冒険者ギルドに併設された薄暗い酒場だった。
昼間だというのに、店内にはどんよりとした空気が漂っている。
その片隅のテーブルで、空になった酒瓶の山に囲まれ、一人うつ伏せになっている男がいた。
双剣のアレンだ。
「……アレンさん」
レイが静かに声をかけると、アレンはビクッと肩を震わせ、血走った目でゆっくりと顔を上げた。
無精髭が伸び、ルミナスで見せていた軽快で頼もしいリーダーの面影はない。
「……なんだよ、レイ。お前、もう歩けるのかよ」
「はい。ボルグさんに、目を覚まさせてもらいました」
その名前が出た瞬間、アレンは顔を歪め、手元の酒瓶を乱暴に床へと叩きつけた。
ガシャン、とガラスが砕ける音が酒場に響く。
「ボルグが……目を覚まさせた? ふざけんなよ! あいつは腕を無くしたんだぞ! 俺が……俺がもっと速く動けていれば、あんなことにはならなかった!」
アレンは両手で頭を抱え、獣のようにうなり声を上げた。
「俺の双剣は、あの化け物どもには何一つ通用しなかった。ルミナスで粋がってただけの、ただの道化だ……! もう、剣なんか握れねえよ……っ」
絶望に苛まれるアレンの姿は、数時間前までのレイ自身と全く同じだった。
だからこそ、レイには痛いほど分かった。今の彼に、優しい慰めの言葉など何の意味も持たないということが。
レイは無言のままアレンに歩み寄り、その胸ぐらを両手で強く掴み上げた。
「なっ……レイ、お前……」
「アレンさん。あなたは僕に、背中を預け合う強さを教えてくれたじゃないですか!」
レイの叫びが、アレンの目を大きく見開かせる。
「僕も、レオンさんを死なせてしまった自分の弱さが許せない。大剣を落として逃げ帰ってきた自分が憎い。……でも、ボルグさんは『失ったなら、残ったもんで戦うしかねえ』って言ったんです」
レイは掴んでいた手を離し、かつて大剣の柄を握り続けていた自分の手のひらをアレンに見せた。
強酸でマメが溶け、不格好な傷跡だらけになった掌。
「僕は、もう一度あの迷宮に行きます。……あそこに置いてきた僕の大剣を取り戻して、レオンさんの仇を討つために」
「……正気かよ。あの地獄に戻るってのか」
「行きます。それが、生き残った僕が果たさなきゃいけない『冒険者』としての責任だからです」
レイの瞳には、逃げ場のない真実と、すべてを背負い込む覚悟が燃えていた。
その圧倒的な熱量に当てられ、アレンは言葉を失い、ただ呆然と少年の顔を見つめることしかできなかった。
「アレンさんが剣を握れないなら、僕が一人でも行きます。……でも、もし少しでも悔しいと思うなら、もう一度、僕に背中を預けてください」
レイはそれだけ言い残すと、背を向け、酒場を後にした。
残されたアレンの目の前には、砕けた酒瓶の欠片が転がっている。彼は震える手で自身の双剣の鞘に触れ、奥歯をギリリと噛み締めた。
雨上がりのギルムの街に、冷たい風が吹き抜ける。
重い鉄塊を失った少年は、それでも自らの意志を一本の強固な矛として、再び奈落へと向かうための準備を始めていた。
最後まで『大剣の冒険者』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
己の足で再び立ち上がり、絶望に沈む仲間の胸ぐらを掴んででも前に進もうとするレイ。すべてを失った彼が、どうやってあの絶望の迷宮に再挑戦していくのか、泥臭い再起の第一歩を描かせていただきました。
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