第六十四章:奈落の殿(しんがり)
「ボルグッ! くそっ、ポーションだ! 誰か、最上級のポーションを……!」
アレンが震える手で腰のポーチを探り、小瓶を取り出してボルグの焼け爛れた右腕に振りかける。
しかし、異形の牙から注ぎ込まれた強酸は、治癒の魔法薬すらも無力化するように泡を立てて肉を喰らい続けていた。
「が、あァァ……っ、痛ぇ、アレン、痛ぇよォォッ!」
かつてどんな強敵の攻撃も笑って受け止めていた巨漢が、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んでいる。
その姿は、アレンの心を、そしてレイの心を鋭く抉った。
「再生が……追いつきません! この迷宮の空気が、私たちの魔力を、生命力を直接削り取っているんです……!」
シェリアが蒼白な顔で叫ぶ。
彼女の魔導銃の純白の結晶すらも、この悪意に満ちた空間では、本来の輝きを失いかけていた。
ズズ……、ジュル……。
絶望に包まれる彼らを嘲笑うかのように、暗闇の奥から這い出てくる『顎』の数が増えていく。
天井から、壁の肉塊から、あるいは床の粘液の中から。
人間をつなぎ合わせたような醜悪な多関節の異形たちが、新たなご馳走の鮮血の匂いに惹かれて集まってきたのだ。
「……くそがァァァッ!」
アレンが半狂乱になって双剣を振り回し、迫り来る一匹の異形を切り刻む。
しかし、いくら肉を削ごうとも、奴らは痛みを感じず、触手で瞬時に傷を繋ぎ合わせていく。
圧倒的な物量と、不死性。そして、一瞬でも触れられればボルグの二の舞になるという極限の恐怖。
「退がって、アレンさんッ!」
レイが大剣を薙ぎ払い、アレンに迫っていた二匹の異形をまとめて壁へと叩きつけた。
ドシャァッという鈍い音と共に肉塊がひしゃげるが、奴らはすぐに蠢き出し、再び顎を開いて這い寄ってくる。
(斬っても、潰しても……再生する。このままじゃ、全員ここで消化される……!)
レイは激しく息を乱しながら、背後で苦悶するボルグと、彼を必死に支えようとするシェリア、そして冷静さを失いかけているアレンを見た。
ルミナスで出会い、共に笑い、共に死線を越えてきた大切な仲間たち。
彼らがいたから、自分はただの重い鉄魂を『武器』として振るうことができた。
彼らがいたから、自分はここまで強くなれたのだ。
「アレンさん、シェリアさん」
レイの声は、この惨状の中にあって、ひどく静かだった。
「ボルグさんを連れて、ここから逃げてください。出口まで、全力で走って」
「は……? 何を言ってやがる、レイ! お前も一緒に行くんだよッ!」
アレンが血走った目で怒鳴る。
しかし、レイは背を向けたまま、真っ直ぐに大剣を構え直した。
「誰かが足止めしないと、あの速度からは逃げ切れません。それに……ボルグさんの腕は、一刻も早くギルムの神官たちに診せないと、命に関わる」
レイの言葉に、アレンは息を呑んだ。
それが、あまりにも残酷で、しかし唯一の正解であることを理解してしまったからだ。
「ダメです、レイ! あなた一人で、こんな不死身の化け物たちを相手にできるわけがない!」
シェリアが涙声で叫ぶ。彼女の琥珀色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「大丈夫です」
レイは振り返らず、ただ背中の大剣を強く握りしめた。
「レオンさんが街を護るために前に立ったように……今度は僕が、みんなを護る番です。
だから、行けェェェェッ!!」
レイの咆哮と共に、彼の全身からかつてないほどの鋭い気迫が放たれた。
踏み込んだ一歩が、迷宮の粘つく床を抉り、圧倒的な質量の刃が異形の群れへと叩き込まれる。
「……クソッ、クソオォォォォッ!!」
アレンは血の涙を流しながらボルグの巨体を背負い上げ、来た道を狂ったように走り出した。
シェリアもまた、何度も後ろを振り返りながら、その後を追う。
「死なないで……! 絶対に、死なないで、レイ……ッ!」
シェリアの悲痛な叫び声が、暗い迷宮の通路に虚しく木霊する。
彼らの足音が遠ざかっていくのを確認し、レイはたった一人で、無数の顎が蠢く深淵の底に立ち塞がった。
圧倒的な絶望を前にしても、少年の両足は決して崩れなかった。
泥にまみれ、血を流し、それでも誰かの盾となる。
それが、彼の選んだ『大剣の冒険者』としての誇りだった。
最後まで『大剣の冒険者』をお読みいただき、誠にありがとうございました。
仲間を逃がすため、たった一人で絶望の淵に立ち塞がったレイ。彼の決死の覚悟と泥臭い生き様を、少しでも皆様の心に響く形でお届けできていれば幸いです。
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たった一人で奈落に残ったレイの運命がこの先どうなるのか、皆様からの応援が次なる展開を描き続けるための最大の原動力となります。どうぞよろしくお願いいたします。




