第9話 ゴブリンの本能
木々の間から、傷ついた女性探索者が飛び出してきた。
防具は壊れ、右脚から血を流している。
「誰か、助けて!」
その背後から、三匹のゴブリンが現れた。
一匹は棍棒。
一匹は石槍。
最後の一匹は弓を持っている。
『弱っているぞ!』
『逃がすな!』
弓を持ったゴブリンが矢をつがえた。
俺は木の陰へ身を隠し、背中の弓へ手を伸ばす。
女性を見た瞬間、ゴブリンの身体が妙な反応を示した。
「……黙れ、俺の本能」
俺は湧き上がった衝動を押し殺し、弓を構えた。
いま考えるべきなのは、三匹の倒し方だ。
正面から戦えば、女性を巻き込む。
最初に弓を持ったゴブリンを倒す。
次に石槍。
最後に棍棒。
遠くから攻撃できる相手を優先する。
俺は矢をつがえ、弦を引いた。
《弓術》を意識すると、自然に姿勢が整う。
狙うのは、弓を持つゴブリンの胸。
呼吸を止め、指を離した。
矢が夜の森を切り裂く。
『ギャッ!』
矢はゴブリンの胸へ突き刺さった。
狙いより少し右へずれたが、十分だ。
弓を持っていたゴブリンが倒れる。
残る二匹が足を止め、周囲を見回した。
『誰だ!』
『どこから撃った!』
俺はすぐに二本目の矢をつがえた。
同じ場所から続けて撃てば、見つかる。
《忍び足》を使い、隣の木へ移動する。
石槍を持つゴブリンが、俺のいた木へ向かって走った。
『こっちだ!』
遅い。
俺は別の木の陰から、二本目の矢を放った。
矢は石槍のゴブリンの肩へ刺さる。
『ギッ!』
倒せなかった。
傷ついたゴブリンが、こちらを見た。
『いたぞ!』
見つかった。
棍棒を持ったゴブリンと一緒に、こちらへ走ってくる。
俺は弓を背負い、短剣を抜いた。
二対一。
だが、洞窟で戦ったときとは違う。
いまの俺には《腕力強化》がある。
最初に石槍が突き出された。
俺は身体を横へずらし、穂先を避ける。
槍の柄を左手でつかんだ。
『離せ!』
ゴブリンが石槍を引こうとする。
だが、動かない。
ホブゴブリンから奪った《腕力強化》によって、力ではこちらが上回っている。
俺は槍を強く引いた。
相手の身体が前へ崩れる。
その喉へ短剣を突き刺した。
『ギッ……』
石槍のゴブリンが倒れる。
直後、背後から棍棒が振り下ろされた。
完全には避けられない。
棍棒が右肩へ当たり、身体が地面へ転がった。
「ギャッ!」
痛い。
だが、骨は折れていない。
棍棒を持ったゴブリンが、倒れた俺へ近づいてくる。
『人間の女を横取りするつもりか!』
『違う』
『なら、なぜ邪魔をする!』
『お前たちが気に入らない』
棍棒が振り上げられた。
俺は地面に落ちていた石槍を拾い、相手の腹へ突き出した。
『ガッ……!』
石の穂先が腹へ深く刺さる。
ゴブリンが棍棒を落とした。
俺はすぐに立ち上がり、短剣で首を切った。
残るのは、最初に矢を受けたゴブリンだけだ。
胸に矢が刺さっているが、まだ生きている。
地面を這いながら、逃げようとしていた。
俺は弓を拾い、三本目の矢をつがえた。
逃げる相手を殺す必要があるのか。
このまま見逃してもいいのではないか。
そう考えた直後、ゴブリンの記憶が答えを出した。
逃がせば、仲間を連れて戻ってくる。
隠れ家を襲った三匹と同じだ。
敵になった相手を途中で見逃せば、あとで自分が危険になる。
「悪く思うな」
矢を放つ。
ゴブリンの背中へ突き刺さった。
地面を這っていた身体が止まる。
俺は周囲を確認した。
ほかに敵はいない。
女性探索者は、少し離れた木のそばに座り込んでいた。
剣を両手で握り、こちらへ向けている。
「近づかないで」
俺は足を止めた。
助けたことは分かっているはずだ。
それでも、俺がゴブリンであることに変わりはない。
「どうして、私を助けたの?」
「ギ……」
答えようとしても、人間の言葉にはならない。
俺は短剣を地面へ置き、両手を見せた。
「言葉が分かるの?」
うなずく。
女性の剣先が、わずかに下がった。
「さっきのゴブリンたちとは、仲間じゃないの?」
首を横に振る。
「私を……襲わない?」
もう一度、首を横に振った。
女性は剣を下ろしたが、手からは離さなかった。
それでいい。
俺だって、立場が逆ならゴブリンを信用しない。
俺は倒した三匹へ近づいた。
《現在の満腹度 六十四》
移動と戦闘によって、満腹度が下がっている。
最初に倒した弓使いの死骸へ触れる。
《新鮮な死骸を確認しました》
《対象が所有していた能力を一つ選択してください》
《夜目》
《悪臭耐性》
《弓術》
《遠視》
《能力値》
《弓術》はすでに持っている。
同じスキルを重ねれば強化できるかもしれない。
だが、いま必要なのは、敵を先に見つける力だ。
「《遠視》を選ぶ」
《能力《遠視》を収奪します》
死骸から黒い光が浮かび、俺の両目へ吸い込まれた。
目の奥が熱くなる。
同時に、空腹が消えていく。
《満腹度が上昇します》
《満腹度 百》
《満腹状態になりました》
「いま、何をしたの……?」
女性が青ざめた顔で俺を見ている。
死骸から黒い光を奪うゴブリン。
人間から見れば、不気味にしか見えないだろう。
俺は地面へ指を置き、土の上に文字を書いた。
『力をもらった』
「死体から?」
うなずく。
女性が無意識に、自分の胸元を押さえた。
その反応で、何を恐れているのか分かった。
自分が死んだら、同じように能力を奪われる。
そう考えたのだろう。
否定はできない。
《死骸収奪》は、人間の死骸にも使える。
もし彼女がここで死ねば、俺はその能力を欲しいと思うかもしれない。
俺は地面に新しい文字を書いた。
『生きている者からは奪えない』
女性は少しだけ安堵した。
だが、警戒は解いていない。
「私の仲間が、近くにいるの」
女性が森の奥を指さした。
「魔物に襲われて、離ればなれになった。お願い。仲間を捜すのを手伝って」
俺には関係のない話だ。
彼女を助けただけでも、十分だろう。
仲間まで捜す義務はない。
満腹になったため、魔物を倒しても新しい能力は奪えない。
危険を冒す理由はなかった。
そのとき、《遠視》を得た両目が、遠くの木々の間に動く影を捉えた。
大きい。
人間の倍近い背丈がある。
その影は、何かを片手で引きずっていた。
人間だ。
動いているかどうかは分からない。
俺は地面へ短く書いた。
『見つけた』
女性が立ち上がろうとする。
傷ついた右脚に力が入らず、その場へ倒れた。
「どこ?」
俺は大きな影が消えた方向を指さした。
そして地面に、もう一つ書き加える。
『大きな魔物が連れていった』
女性の顔から血の気が引いた。




