第7話 ゴブリンの隠れ家
人間たちから離れ、洞窟の奥へ進んだ。
左肩の傷が痛む。
ホブゴブリンの長剣に切られた傷だ。
血は止まり始めているが、放置していい状態ではない。
人間たちのもとへ戻れば、回復薬を分けてもらえるかもしれない。
だが、俺はゴブリンだ。
一度助けたからといって、信用されたわけではない。
それに、《死骸収奪》を使うところまで見られてしまった。
人間の死骸からも能力を奪えると知られれば、今度こそ討伐対象になる。
「ギ……」
自分の口から漏れた声を聞き、苦笑する。
人間から離れようと考えたことに、寂しさはなかった。
ゴブリンは群れで行動する。
だが、仲間が死んでも長く悲しまない。
弱い者が死ぬのは、珍しいことではないからだ。
その感覚が、俺の中にも流れ込んでいた。
人間だった俺の記憶。
ゴブリンだった、この身体の記憶。
二つが混ざり、どちらが自分の考えなのか分からなくなり始めている。
「まずは傷を治さないとな」
意識を傷へ向けた瞬間、頭の中に別の光景が浮かんだ。
青白く光る苔。
岩の隙間から流れる水。
獣にも見つかりにくい、狭い横穴。
この身体の持ち主が使っていた隠れ家だ。
俺は記憶に導かれるまま、途中の分かれ道を左へ曲がった。
◇
しばらく進むと、岩壁に細い亀裂が見つかった。
身体を横にしなければ通れないほど狭い。
人間や大型の魔物は入れない。
俺は亀裂の中へ入り、奥へ進んだ。
やがて、小さな空間へ出る。
壁には青白く光る苔が生え、奥の岩からきれいな水が流れていた。
地面には、汚れた布と干からびた木の実が置かれている。
「ここで暮らしていたのか」
身体の記憶が反応した。
間違いない。
ここは以前の俺――この身体の持ち主が使っていた隠れ家だ。
群れの中で弱かったこのゴブリンは、食料を満足に分けてもらえなかった。
見つけた木の実や肉を奪われないよう、ここへ隠していた。
最初に倒れていたゴブリンも、この隠れ家の食料を奪おうとして襲ってきたらしい。
「ゴブリンも大変なんだな……」
俺は岩から流れる水で傷口を洗った。
「ギッ……!」
強い痛みが走る。
だが、泥や血が残ったままよりはいい。
近くに生えていた青白い苔をつぶし、傷口へ押し当てる。
この苔には、出血を抑える効果がある。
どうして知っているのかは分からない。
身体の持ち主が、以前にも同じように傷を手当てしたことがあるのだろう。
汚れた布を裂き、苔の上から肩へ巻きつける。
十分な治療とはいえない。
それでも、何もしないよりはましだ。
俺は壁際へ座り込んだ。
《現在の満腹度 八十六》
ホブゴブリンから《腕力強化》を奪ったことで、腹は完全に満たされていた。
歩き続けたため少し下がったが、まだ収奪はできない。
身体の状態を知りたい。
そう考えると、目の前へ半透明の表示が現れた。
《種族 ゴブリン》
《所有スキル》
《死骸収奪》
《短剣術》
《所有能力》
《夜目》
《敏捷》
《腕力強化》
強くなっている。
最初に目覚めたときと比べれば、別の個体といっていい。
それでも種族は《ゴブリン》のままだった。
「進化はしないのか?」
表示に変化はない。
魔物が成長すると、上位種へ進化する。
人間だった頃に読んだ物語では、よくある話だ。
だが、この世界でも同じとは限らない。
いくら能力を奪っても、姿は醜いゴブリンのままかもしれない。
「強くなれるなら、いまはそれでいい」
人間の姿へ戻る方法を探すのは、生き残ってからだ。
俺は目を閉じた。
少しだけ眠るつもりだった。
◇
物音で目を覚ました。
カリッ。
岩の向こうから、小石を踏む音が聞こえる。
一匹ではない。
複数だ。
俺は音を立てずに立ち上がり、短剣を握った。
『ここにいるはずだ』
『匂いが残っている』
『あいつが、仲間を殺した』
ゴブリンの声だ。
最初に殺したゴブリンの仲間が、俺を追ってきたらしい。
隠れ家の入口は狭い。
一匹ずつしか入れない。
逃げ道もないが、囲まれることもない。
俺は入口の横へ立ち、息を潜めた。
亀裂から、一匹目のゴブリンが顔を出した。
手には石の槍を持っている。
相手は暗い隠れ家の中を見回す。
《夜目》を持っていないのか、俺には気づいていない。
『いないぞ』
ゴブリンが身体を半分ほど中へ入れた。
俺は背後から口をふさぎ、短剣を首へ突き刺した。
『ギッ……!』
声を出させない。
短剣を抜き、もう一度刺す。
ゴブリンの身体から力が抜けた。
俺は死骸を横へ引きずる。
『どうした?』
外にいる仲間が呼びかけている。
俺は死んだゴブリンの声を思い出し、似た鳴き方で答えた。
『誰もいない』
『奥まで調べろ』
『お前も来い』
短い沈黙。
やがて、二匹目が亀裂へ入ってきた。
手に持っているのは小さな弓だ。
『狭い』
『早く入れ』
二匹目が死骸を踏んだ。
『なんだ、これ――』
気づかれた。
俺は弓を構えられる前に飛び出し、短剣を脇腹へ突き刺した。
『罠だ!』
外にいる三匹目が叫ぶ。
二匹目のゴブリンが、俺を押しのけて逃げようとする。
俺は腰をつかみ、隠れ家の中へ引き戻した。
《腕力強化》のおかげで、以前より簡単に引きずれる。
背中へ短剣を突き立てる。
一度。
二度。
ゴブリンが動かなくなる。
『出てこい!』
外から石が投げ込まれた。
岩壁に当たり、乾いた音を立てる。
最後の一匹は、中へ入ってこない。
仲間が殺されたことを理解している。
『出てこなければ、煙で殺す!』
外から、焦げた匂いが流れ込んできた。
隠れ家の入口へ枯れ草を集め、火をつけたらしい。
「頭を使う奴もいるのか」
このままでは煙に巻かれる。
俺は倒した二匹を見た。
《現在の満腹度 四十九》
眠っている間に、満腹度はかなり下がっていた。
収奪できる。
石槍を持っていたゴブリンの死骸へ触れる。
《対象が所有していた能力を一つ選択してください》
《夜目》
《悪臭耐性》
《槍術》
《忍び足》
《能力値》
「《忍び足》」
《スキル《忍び足》を収奪します》
死骸から黒い光が浮かび、俺の両足へ吸い込まれた。
《満腹度が上昇します》
《満腹度 七十六》
まだ満腹ではない。
もう一体からも奪える可能性はある。
だが、いまは外のゴブリンを倒すほうが先だ。
煙が隠れ家へ流れ込んでくる。
俺は姿勢を低くし、入口へ近づいた。
《忍び足》を意識すると、自分の足音が消えた。
岩の亀裂を抜ける。
外では、一匹のゴブリンが枯れ草へ息を吹きかけていた。
俺が出てきたことに気づいていない。
背後まで近づく。
短剣を逆手に持ち、首へ刃を当てた。
『見つけた』
『え――』
短剣を引く。
ゴブリンの首から血が噴き出した。
相手は喉を押さえ、地面へ倒れる。
俺は暴れる身体を押さえ、完全に動かなくなるまで待った。
静かになった通路で、三匹の死骸を見回す。
仲間を殺され、復讐に来たゴブリンたち。
人間の倫理観で考えれば、俺を恨むのは当然だ。
それでも、俺は三匹とも殺した。
「俺の隠れ家に手を出したからだ」
口から出た言葉に、自分でも驚いた。
正当防衛だったからではない。
殺されたくなかったからでもない。
自分の縄張りへ入ったから殺した。
その考えを、俺はもう間違いだと思えなくなっていた。




