第6話 強い死骸を選ぶ
石斧を持ったゴブリンが、俺へ飛びかかってきた。
『裏切り者!』
振り下ろされた石斧を、短剣で受けようとはしなかった。
武器の重さが違いすぎる。
まともに受ければ、短剣ごと腕を折られる。
俺は右へ踏み込み、石斧の軌道から外れた。
刃が肩のすぐ横を通過する。
相手の腕が伸びきった瞬間、脇腹へ短剣を突き刺した。
『ギャッ!』
浅い。
俺は短剣を抜かず、そのまま横へ動かした。
傷口が大きく開く。
石斧を持ったゴブリンは腹を押さえ、地面へ倒れた。
まだ生きている。
だが、立ち上がる力は残っていなかった。
その背後から、棍棒を持った別のゴブリンが迫る。
俺が短剣を構えるより早く、人間の槍がゴブリンの胸を貫いた。
「一匹!」
槍を持った探索者が、ゴブリンを蹴って穂先を引き抜く。
「そっちは任せたぞ!」
俺はうなずき、倒れたゴブリンの首へ短剣を突き立てた。
動きが止まる。
すぐに死骸へ触れる。
《新鮮な死骸を確認しました》
《対象が所有していた能力を一つ選択してください》
《夜目》
《悪臭耐性》
《石斧術》
《能力値》
《現在の満腹度では収奪できません》
《収奪には、さらに満腹度を消費する必要があります》
まだ腹が減っていない。
それに、仮に収奪できたとしても《石斧術》は必要ない。
いま使っている武器は短剣だ。
俺は死骸から手を離した。
視線の先では、ホブゴブリンが剣を持った探索者と戦っている。
普通のゴブリンとは、力も速さも違う。
刃の欠けた長剣を片手で振り回し、人間の剣を何度も弾いていた。
「くっ……!」
探索者が押されている。
ホブゴブリンの死骸なら、もっと強い能力を奪える。
俺はそう考えていた。
人間が殺されるかもしれない状況で、すでに敵の死骸から何を奪うか考えている。
以前の俺なら、そんな自分を恐れただろう。
だが、いまは違った。
倒すなら、より強い敵。
奪うなら、より価値のある能力。
限られた満腹度を、弱い死骸へ使うべきではない。
ゴブリンの本能は、俺の判断を迷いなく受け入れていた。
『弱い!』
ホブゴブリンが長剣を振り下ろす。
探索者は剣で受け止めたが、力に耐えられず膝をついた。
ホブゴブリンが笑う。
『人間の肉は柔らかい!』
長剣がもう一度振り上げられた。
俺は地面を蹴った。
《敏捷》で強化された身体が、一気に間合いを詰める。
ホブゴブリンの背後から、膝の裏へ短剣を突き刺した。
『ガアッ!』
太い脚が折れ曲がる。
ホブゴブリンが片膝をついた。
探索者はその隙を逃さない。
「助かった!」
立ち上がり、ホブゴブリンの胸へ剣を突き出す。
だが、刃は獣皮の防具に阻まれた。
浅い傷しか与えられない。
『小さいくせに!』
ホブゴブリンが振り返る。
長剣を横薙ぎに振るった。
避けきれない。
俺は短剣を両手で持ち、迫ってくる刃を受けた。
甲高い音が鳴る。
身体が宙へ浮き、岩壁へ叩きつけられた。
「ギッ……!」
肺から空気が押し出される。
短剣を落としそうになったが、どうにか握り続けた。
やはり、力が違いすぎる。
狼から腕力を奪っていなければ、いまの一撃で腕を折られていた。
ホブゴブリンが立ち上がろうとする。
俺が傷つけた脚から血が流れている。
『まず、お前から殺す』
長剣を引きずりながら、こちらへ近づいてくる。
俺は岩壁へ手をつき、立ち上がった。
足元に、先ほどのゴブリンが落とした石斧がある。
短剣では、獣皮の防具を貫けない。
俺は短剣を腰へ差し、石斧を拾った。
重い。
《石斧術》は持っていない。
それでも、刃を当てることくらいはできる。
ホブゴブリンが長剣を振り上げた。
俺は逃げずに踏み込んだ。
『馬鹿が!』
長剣が振り下ろされる。
直前で右へ動く。
刃が左肩を切り裂いた。
焼けるような痛み。
だが、腕は動く。
俺は石斧を両手で握り、傷ついた膝へ叩き込んだ。
『ギャアアアッ!』
骨が砕ける感触が伝わってきた。
ホブゴブリンが倒れる。
俺も石斧の重さに引かれ、地面へ転がった。
ホブゴブリンはまだ長剣を離していない。
倒れたまま、俺へ刃を振り回す。
剣を持った探索者が背後から近づき、その手首を踏みつけた。
「終わりだ!」
探索者の剣が、ホブゴブリンの首へ振り下ろされる。
一度。
二度。
三度目で、太い首が切断された。
洞窟の床を、頭が転がる。
ホブゴブリンの身体が、ようやく動かなくなった。
周囲を確認する。
残っていたゴブリンたちも、槍を持った探索者に倒されていた。
戦いは終わった。
俺は立ち上がろうとしたが、左肩の痛みで膝をついた。
「動くな」
剣を持った探索者が、俺へ刃を向けた。
「助けられたことには感謝する。だが、お前が何者なのか分からない」
俺は武器から手を離した。
ここで抵抗すれば、敵だと判断される。
「待ってくれ」
仲間に背負われていた男が声を上げる。
「そのゴブリンがいなければ、俺は死んでいた。回復薬を飲ませてくれたのも、そいつだ」
「しかし――」
「少なくとも、俺たちを殺すつもりはない」
槍を持った探索者が、周囲の死骸を見る。
「ほかのゴブリンと戦ってまで、俺たちを助けたのか?」
俺はうなずいた。
三人の探索者が顔を見合わせる。
すぐに信用されるとは思っていない。
俺自身、自分が何者なのか分かっていなかった。
人間の記憶を持つゴブリン。
死骸から能力を奪い、少しずつ倫理観まで変わっている。
俺は視線をホブゴブリンの死骸へ向けた。
戦闘で身体を動かしたため、腹には少し余裕ができている。
《満腹度 五十八》
いまなら、収奪できるかもしれない。
人間たちが見ている。
ここで能力を使えば、何が起きるか分からない。
それでも、ホブゴブリンの死骸が新鮮である時間は短い。
この機会を逃せば、二度と同じ能力を得られない可能性がある。
俺は立ち上がり、ホブゴブリンへ近づいた。
「何をするつもりだ?」
剣を向けられたまま、死骸の胸へ手を置く。
《新鮮な死骸を確認しました》
《対象が所有していた能力を一つ選択してください》
《長剣術》
《腕力強化》
《威圧》
《指揮》
《能力値》
魅力的な能力が並んでいる。
《長剣術》を得ても、いまの身体に合う長剣は持てない。
《指揮》も、一人で行動している俺には必要ない。
《威圧》も便利そうだが、生き残るための直接的な力にはならない。
「《腕力強化》を選ぶ」
《能力《腕力強化》を収奪します》
ホブゴブリンの身体から、濃い赤色の光が浮かび上がった。
「なんだ、これは……」
探索者たちが武器を構える。
赤い光は俺の両腕へ絡みつき、そのまま身体の中へ吸い込まれた。
筋肉が熱を帯びる。
肩から指先まで、内側から作り替えられていくような痛みが走った。
「ギッ……!」
俺は歯を食いしばり、耐えた。
細かった腕がわずかに太くなる。
《能力《腕力強化》を獲得しました》
《能力の強さに応じて、満腹度が上昇します》
《満腹度 五十八》
《満腹度 百》
《満腹状態になりました》
腹が一気に満たされた。
巨大ネズミや普通のゴブリンから収奪したときよりも、はるかに重い。
強い能力ほど、満腹度の上昇も大きい。
俺は足元に落ちていた石斧を拾った。
先ほどは両手で持つだけでも苦労した武器だ。
いまは片手で持ち上げられる。
「ゴブリンが、能力を奪ったのか……?」
剣を持った探索者が、驚いた顔で俺を見ている。
隠すことはできなかった。
俺は石斧を地面へ置き、人差し指で床の土をなぞった。
文字を書く。
『ありがとう』
三人が息をのんだ。
「文字まで……」
俺はそれ以上何も書かなかった。
『俺は人間だ』
そう書こうとして、手が止まった。
本当に、まだ人間なのだろうか。
人間を助けた。
同時に、仲間だったはずのゴブリンを殺し、その死骸から能力を奪った。
俺の身体も、本能も、少しずつ魔物へ近づいている。
俺は書いた文字を手で消し、短剣を拾った。
「待て」
背後から呼び止められる。
それでも振り返らなかった。
俺は人間たちから離れ、洞窟の奥へ歩き出した。
いまの俺が人間のそばにいれば、いつかどちらかが傷つく。
それに、強くなる方法は分かった。
死骸から、スキルや能力を奪う。
強い相手ほど、強い力を得られる。
ならば、この世界で生き残るためにやることは一つだけだ。
もっと強い魔物を探す。




