表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/15

第2話 ゴブリンの記憶

もちろんです。主人公の中へ現在のゴブリンが持っていた記憶が戻り、人間だった頃の倫理観が少しずつ薄れていく形に修正します。


第2話 ゴブリンの記憶


 目の前には、錆びた短剣を胸に突き立てられたゴブリンの死骸が転がっている。


 まだ血は乾いていない。


 まだ、身体も温かい。


 俺が死骸へ触れた瞬間、頭の中に冷たい声が響いた。


《新鮮な死骸を確認しました》


《固有能力《死骸収奪》を発動できます》


 半透明の文字が暗闇の中へ浮かび上がる。


《対象が所有していた能力を一つ選択してください》


《夜目》


《悪臭耐性》


《短剣術》


《能力値》


「死体から、能力を奪えるのか……」


 死んだ者から何かを奪う。


 人間だった頃の俺なら、迷わず拒絶していた。


 たとえ相手が魔物でも、死体を利用して自分だけが強くなる行為には抵抗を覚えただろう。


 だが、いまの俺は空腹だった。


 腹の底が焼けるように熱い。


 目の前の死骸から漂う血の匂いを、不快だと感じない。


 むしろ、うまそうだと思っている。


「違う……」


 俺は死骸から手を離した。


 自分の口元から、細い唾液が垂れていた。


「俺は人間だ」


 そう口にしたつもりだった。


 だが、洞窟に響いたのは、


「ギ、ギギ……」


 というゴブリンの鳴き声だけだった。


 濁った緑色の手。


 黒く尖った爪。


 細い腕。


 何度見ても、俺の身体は人間ではない。


 どうしてこんな姿になった。


 あの男をトラックで轢いたからか。


 俺に過失はなかった。


 制限速度は守っていた。


 信号も青だった。


 男が突然、道路へ飛び出してきた。


 それでも、人を轢いた。


 その罰として、魔物になったのだろうか。


 俺はもう一度、死んだゴブリンを見た。


 その瞬間、頭の奥に強い痛みが走った。


「ギャッ……!」


 知らない光景が脳裏へ流れ込んでくる。


 暗い洞窟。


 空腹。


 腐りかけた肉。


 奪い合うゴブリンたち。


 目の前にいるゴブリンが、錆びた短剣を振り回していた。


 狙われているのは――俺だ。


 いや。


 この身体の、以前の持ち主だ。


 相手のゴブリンが、食料を寄越せと鳴いている。


 拒めば、短剣を突き出してきた。


 この身体の持ち主は必死に腕をつかみ、揉み合った。


 二匹で地面を転がる。


 奪った短剣を、相手の胸へ突き刺す。


 一度。


 二度。


 三度。


 相手が動かなくなるまで、何度も。


 勝った。


 そう思った直後、腹に受けた傷の痛みで意識を失った。


 そこで記憶は途切れている。


「俺が、こいつを殺したのか……?」


 胸に刺さっている短剣。


 自分の脇腹に残る傷。


 流れ込んできた記憶。


 どうやら、この身体の持ち主は目の前のゴブリンに襲われ、正当防衛で撃退したらしい。


 そして瀕死になった身体へ、俺の意識が入った。


 なぜそんなことが起きたのかは分からない。


 だが、このゴブリンの記憶は、確かに俺の中へ残っている。


 腐った肉の味を知っている。


 洞窟の歩き方を知っている。


 ゴブリン同士が使う、簡単な言葉も理解できる。


 そして、相手を殺したことに罪悪感を覚えていない。


 襲われた。


 だから殺した。


 死骸は肉になる。


 持ち物は生き残った者がもらう。


 それが、この身体に刻まれた常識だった。


「そういうもの、なのか……?」


 自分の口から出た言葉に、俺は寒気を覚えた。


 人を轢いたときは、あれほど震えた。


 自分に過失がなくても、倒れた男を見ただけで頭が真っ白になった。


 それなのに、いま目の前にある死骸を見ても、ほとんど何も感じない。


 相手がゴブリンだからではない。


 俺の中にある何かが、変わり始めている。


 人間だった頃の倫理観が、ゴブリンの本能と記憶に塗り潰されている。


 それでも、不思議と恐怖は小さかった。


 ここで生きるなら、むしろ都合がいい。


 そんな考えまで浮かんでくる。


「……まずは、生き残る」


 答えの出ないことを考えるのは、そのあとだ。


 俺は再び死骸へ触れた。


《対象が所有していた能力を一つ選択してください》


《夜目》


《悪臭耐性》


《短剣術》


《能力値》


 周囲は暗い。


 だが、短剣を持った何かが、また襲ってくるかもしれない。


 見えない場所を進むのは危険だ。


「《夜目》を選ぶ」


《能力《夜目》を収奪します》


 死骸から黒い霧が浮かび上がり、俺の腕へまとわりついた。


 霧は皮膚へ染み込み、両目へ集まっていく。


「ギッ……!」


 目の奥に熱い痛みが走った。


 同時に、空っぽだった腹の中へ何かが流れ込んでくる。


 何も食べていない。


 それなのに、激しかった空腹が少しだけ和らいでいた。


《死骸が保有していた生命力の一部を吸収しました》


《満腹度が上昇します》


「能力を奪うと、腹も満たされるのか」


 便利だと思った。


 死骸から力を奪ったことより、食料を探す手間が省けたことを先に喜んでいる。


 その事実に気づいても、先ほどほどの嫌悪感は湧かなかった。


 俺は確実に変わり始めている。


 痛みが治まり、目を開く。


 暗闇に沈んでいた洞窟が、薄緑色の世界となって浮かび上がった。


 岩壁の亀裂。


 地面に散らばる小石。


 奥へ続く細い通路。


 そして、死骸のそばに落ちている汚れた革袋。


 俺は革袋を拾い、中身を確かめた。


 固い干し肉が一切れ。


 小さな石が三個。


 それだけだった。


「持ち物は、生き残った者がもらう」


 先ほど流れ込んできた記憶の中にあった言葉だ。


 俺は当然のように革袋を腰へ結びつけた。


 死骸の胸から短剣を引き抜き、汚れた布で血を拭う。


 人間だった俺なら、もう少しためらったはずだ。


 だが、いまは武器を手に入れた安心感のほうが大きい。


「悪く思うなよ。先に襲ってきたのは、そっちだからな」


 死骸へ声をかけ、立ち上がる。


 身体は小さく、腕も細い。


 脇腹の傷も痛む。


 この状態で別の魔物に襲われれば、次は俺が死骸になる。


 カリッ。


 奥の通路から、地面を引っかくような音が聞こえた。


 俺はすぐに短剣を握り、腰を落とした。


 暗闇の中から、大型犬ほどの巨大なネズミが姿を現す。


 濡れた灰色の毛。


 黄色く濁った牙。


 赤い目は、死んだゴブリンではなく俺を見ていた。


 空腹なのだろう。


 口元から涎が垂れている。


「俺を食うつもりか」


「ヂュウウウッ!」


 巨大ネズミが地面を蹴った。


 速い。


 だが、《夜目》のおかげで動きは見えている。


 俺は横へ転がり、最初の突進を避けた。


 巨大ネズミが壁へ爪を立て、強引に向きを変える。


 再び襲いかかってきた。


 逃げ道はない。


 話し合うこともできない。


 こいつは俺を食おうとしている。


 なら――殺しても構わない。


 自分でも驚くほど、迷いはなかった。


 巨大ネズミが跳ぶ。


 俺は身体をひねり、すれ違いざまに短剣を突き出した。


 刃が脇腹を浅く切り裂く。


「ヂュギャッ!」


 致命傷にはならない。


 巨大ネズミは怒り、太い尻尾を振り回した。


 避けきれず、身体を打たれる。


「ギッ!」


 地面へ転がった俺へ、巨大ネズミが飛びかかる。


 鋭い牙が目の前まで迫る。


 俺は左腕を差し出した。


 牙が肉へ食い込む。


 激痛が走る。


 だが、これで相手の動きは止まった。


「捕まえたぞ」


 短剣を巨大ネズミの首へ突き刺す。


 一度では足りない。


 二度。


 三度。


 巨大ネズミの身体から力が抜けるまで、何度も刃を突き立てた。


 やがて、洞窟が静かになった。


「はあ……はあ……」


 俺は巨大ネズミの下から這い出した。


 左腕から血が流れている。


 痛い。


 だが、生きている。


 目の前では、巨大ネズミがもう動かなくなっていた。


 俺は迷わず、その死骸へ手を伸ばした。


 殺したばかりなら、まだ新鮮だ。


 そんな考えが自然に浮かんだ。


《新鮮な死骸を確認しました》


《対象が所有していた能力を一つ選択してください》


《嗅覚強化》


《病気耐性》


《噛みつき》


《能力値》


「《能力値》を選ぶ」


《吸収する能力値を選択してください》


《腕力》


《耐久》


《敏捷》


 巨大ネズミの速さを思い出す。


 次も同じ攻撃を受ければ、左腕だけでは済まない。


「《敏捷》だ」


《対象の敏捷を一部収奪します》


 赤黒い光が死骸から浮かび、俺の両足へ吸い込まれた。


 足の奥が熱くなる。


 何も食べていないのに、腹も満たされていく。


《生命力の一部を吸収しました》


《満腹状態になりました》


《満腹状態では《死骸収奪》を使用できません》


 立ち上がると、先ほどより身体が軽かった。


 死骸に触れれば、能力を奪える。


 同時に空腹も満たされる。


 だが、満腹になれば次の収奪はできない。


 便利だが、何でも際限なく奪える力ではないらしい。


 俺は巨大ネズミの死骸を見下ろした。


 殺したことへの罪悪感はなかった。


 襲ってきたから殺した。


 その力を奪って、生き延びた。


 それだけだ。


「……俺は、どこまでゴブリンになるんだろうな」


 答える者はいない。


 俺は血のついた短剣を握り、洞窟の奥へ歩き出した。


 人間だった頃なら足を止めていたはずの血の匂いが、いまは進むべき方向を教えてくれていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ