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第13話 囚われていたゴブリン



 オークの鉄斧を引きずりながら、森の中を進んだ。


 重い。


 腕力を奪ったことで持ち上げられるようにはなった。


 だが、俺の身体よりも大きな鉄斧を持って歩くのは無理がある。


 木の根に引っかかる。


 岩へぶつかる。


《忍び足》を使っても、鉄斧が地面を擦る音までは消せない。


「これじゃ、敵に居場所を教えながら歩いてるようなものだな」


 強い武器を手に入れても、使いこなせなければ意味がない。


《斧術》も持っていない。


 俺はいったん鉄斧を地面へ置いた。


 持っていくか。


 ここへ隠すか。


 迷っていると、鉄斧の柄に黒い毛が絡んでいることに気づいた。


 オークの体毛ではない。


 細く、長い。


 俺は周囲を見回した。


 地面には、オークのものと思われる足跡が残っている。


 俺が来た方向とは反対側へ続いていた。


「あいつが来た道か」


 オークにも、休む場所があったはずだ。


 食料や、俺でも使える武器が残されているかもしれない。


 俺は再び鉄斧を持ち上げ、足跡を追った。


     ◇


 しばらく進むと、腐った肉の臭いが漂ってきた。


 人間だった頃なら鼻を押さえていた。


 いまは、空腹でなくても食料の臭いだと分かる。


 大きな岩を回り込む。


 木の枝と獣皮で作られた、粗末な小屋があった。


 入口は広い。


 オークの身体でも入れる大きさだ。


 俺は鉄斧を地面へ置き、弓を構えた。


《遠視》で、小屋の周囲を確認する。


 動くものはいない。


 足跡も、先ほど倒したオークのものだけだ。


《忍び足》を使い、ゆっくりと近づく。


 小屋の中は汚れていた。


 地面には食べ残した骨が散らばり、壁際には肉の塊が積まれている。


 その中には人間のものらしき装備もあった。


 ひび割れた革の胸当て。


 折れた剣。


 空になった革袋。


 ここで人間が殺されたのか。


 それとも、別の場所で拾った物を持ち帰ったのか。


 確かめる方法はない。


 俺は使えそうな物を探した。


 小屋の奥に、小さな手斧が立てかけてある。


 オークにとっては道具でも、俺にはちょうどいい大きさだ。


 柄を握り、持ち上げる。


 鉄斧よりも軽い。


 片手で振ることもできた。


「こっちのほうが使いやすそうだ」


 短剣より刃が大きく、硬い相手にも傷を与えられる。


 ただし、《斧術》は持っていない。


 練習が必要だ。


 ほかにも、火打ち道具と水の入った革袋が見つかった。


 乾燥させた肉もある。


 俺は臭いを確認した。


 古いが、ゴブリンの身体なら問題なく食べられる。


《現在の満腹度 九十二》


 オークから腕力を奪ったことで、まだ腹は満たされている。


 持っていくだけにして、いまは食べないほうがいい。


 満腹度が下がらなければ、《死骸収奪》を使えない。


 俺は必要な物を外套で包んだ。


 これだけあれば、数日は森で生活できる。


 小屋も、手を加えれば隠れ家として使えそうだ。


 人間の町へ入れない俺にとって、雨風を防げる場所は貴重だった。


 そのとき、小屋の裏から物音が聞こえた。


 ガリッ。


 何かが木を引っかいている。


 俺は手斧を置き、短剣を抜いた。


 ゆっくりと小屋の裏へ回る。


 そこに、小さな檻があった。


 太い木の枝を蔓で縛って作られている。


 中にいたのは、一匹のゴブリンだった。


 身体つきから、成人した雌だと分かる。


 濁った緑色の皮膚。


 ぼさぼさの黒髪。


 右腕には殴られたような痣があり、左足首には蔓が巻きつけられていた。


 俺と目が合う。


 雌のゴブリンは、怯えたように檻の奥へ下がった。


『近づくな』


『助ける』


『嘘だ』


 雌は地面から尖った木片を拾い、俺へ向けた。


『オークの仲間だろ』


『違う』


『お前から、オークの血の臭いがする』


『殺したからだ』


 雌のゴブリンが動きを止めた。


『お前が?』


『そうだ』


『一人でオークを殺したのか?』


 正確には、巨大な猪が先に深い傷を負わせていた。


 それでも、とどめを刺したのは俺だ。


『殺した』


 雌は疑うように俺を見た。


 俺は小屋の前に置いてきた巨大な鉄斧を指さした。


 オークが使っていた武器だ。


 雌の目が大きく開く。


『本当に、殺したのか』


『もう戻ってこない』


 俺は檻へ近づいた。


 雌は木片を構えたままだが、先ほどより腕が下がっている。


『なぜ捕まった?』


『食べ物を探していた』


 雌は悔しそうに答えた。


『後ろから殴られた。目を覚ましたら、ここにいた』


『仲間は?』


『いない』


『群れは?』


 雌は答えなかった。


 視線を逸らしただけで、聞いてはいけないことだと分かった。


 俺は檻を調べた。


 入口は太い蔓で何重にも縛られている。


 短剣では切るのに時間がかかりそうだ。


 オークから奪った腕力を使い、蔓を両手で引いた。


 繊維が軋む。


『無理だ。オークでも――』


 蔓が引きちぎれた。


 檻の扉が開く。


 雌のゴブリンが、驚いた顔で俺を見ていた。


『出ろ』


『……殺さないのか?』


『殺す理由がない』


『食べないのか?』


『腹は減っていない』


 そう答えると、雌は再び警戒した。


『腹が減ったら、私を食べるのか?』


 以前の俺なら、迷わず否定していた。


 だが、ゴブリンの記憶がある。


 食料がなくなれば、ゴブリン同士でも殺し合う。


 俺自身も、最初に食料を奪おうとしたゴブリンを殺している。


『襲ってこなければ、殺さない』


 俺は正直に答えた。


 雌はしばらく俺を見つめていた。


 やがて、木片を捨てて檻から這い出す。


 立ち上がろうとしたが、左足に力が入らず、その場へ倒れた。


 俺は反射的に腕を伸ばし、身体を支えた。


 雌の身体は軽い。


 近くで見ると、かなり痩せていた。


 オークに捕まる前から、満足に食べていなかったのだろう。


 外套で包んだ荷物から、乾燥肉を一切れ取り出す。


『食べろ』


『くれるのか?』


『俺はいま、満腹だ』


 雌は肉を受け取った。


 最初は少しずつ口に入れていたが、すぐに我慢できなくなったのか、夢中で食べ始める。


 人間だった頃なら、腐りかけた肉を食べる姿に嫌悪感を覚えたかもしれない。


 いまは何も感じなかった。


 むしろ、食料を分け与えたことに満足している自分がいる。


『これからどうする?』


 俺が尋ねると、雌は食べる手を止めた。


『分からない』


『帰る場所は?』


『ない』


 短い答えだった。


 俺と同じだ。


 人間の世界へは戻れない。


 以前の隠れ家も捨てた。


 この世界に、帰る場所などない。


 雌のゴブリンが、俺の腰にある短剣と背中の弓を見る。


 次に、小屋の前にあるオークの鉄斧へ視線を向けた。


『お前は強い』


『まだ弱い』


『オークを殺せるゴブリンは、弱くない』


 雌は少し迷い、地面へ両手をついた。


 ゴブリンの記憶が、その姿勢の意味を教えてくれる。


 強い者に従う意思を示す行為だ。


『私を、お前の群れに入れてくれ』


『俺に群れはない』


『なら、二匹で作ればいい』


 俺は答えられなかった。


 一人なら、自分のことだけを考えればいい。


 仲間を持てば、守る必要が生まれる。


 食料も分けなければならない。


 危険は増える。


 それでも、彼女を一人で森へ放り出せば、また別の魔物に捕まるだろう。


 雌のゴブリンが、まっすぐ俺を見ていた。


『役に立つ』


『何ができる?』


『薬草を見つけられる。罠も作れる』


 いまの俺にない知識だ。


 傷を治せる《再生》はあるが、使えば満腹度を消費する。


 薬草で治療できるなら、無駄な消費を抑えられる。


 罠があれば、自分より強い相手とも戦いやすくなる。


 仲間にする価値はある。


 そんな考えが最初に浮かんだ。


 かわいそうだからではない。


 一人で放っておけないからでもない。


 役に立つかどうか。


 俺は仲間まで、価値で判断するようになっていた。


『分かった』


 俺は雌へ手を差し出した。


『ついてこい』


 雌は俺の手を握った。


 こうして俺は、異世界へ来て初めての仲間を手に入れた。


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