第12話 初めてのオーク
人間たちと別れ、俺は森の奥へ進んだ。
女性からもらった外套は、やはり大きすぎた。
裾をそのままにしておけば、木の根へ引っかかる。
俺は短剣で余分な部分を切り落とし、腰の辺りを細い蔓で縛った。
見栄えはよくない。
それでも、緑色の身体を隠すことはできる。
フードを深くかぶれば、遠目にはゴブリンだと気づかれないかもしれない。
《再生が発動しています》
《満腹度 六十一》
オーガとの戦いで負った傷は、ほとんど塞がっていた。
代わりに、満腹度が大きく下がっている。
あと一度くらいなら、《死骸収奪》を使えそうだ。
ただし、相手は選ばなければならない。
普通のゴブリンからは、もう能力値を奪えない。
新しいスキルを持っていれば倒す価値はあるが、いま必要なのは身体そのものの強化だ。
ホブゴブリンより強い魔物。
ゴブリンの記憶に、いくつか心当たりがあった。
オーク。
オーガ。
森狼の上位種。
どれも、以前のゴブリンなら姿を見ただけで逃げる相手だ。
だが、いまの俺は違う。
《夜目》
《遠視》
《敏捷》
《腕力強化》
《再生》
《短剣術》
《弓術》
《忍び足》
正面から力比べをしなければ、勝てる可能性はある。
俺は立ち止まり、周囲の木々を見渡した。
太い幹に、大きな傷が残っている。
三本の爪ではない。
刃物で何度も削ったような傷だ。
近くの地面には、大きな足跡があった。
人間より幅が広く、裸足。
ゴブリンのものではない。
「オークか?」
足跡は森の奥へ続いている。
俺は弓を手に取り、足跡を追った。
◇
進むにつれて、血の匂いが濃くなっていく。
木の陰から周囲を確認すると、少し先に魔物の死骸が転がっていた。
巨大な猪だ。
背中には硬そうな黒い毛が生え、口元から二本の牙が伸びている。
腹を大きく切り裂かれ、すでに動かない。
俺は周囲を警戒しながら近づいた。
血はまだ乾いていない。
殺されてから、それほど時間が経っていない。
死骸へ手を触れる。
《新鮮な死骸を確認しました》
《対象が所有していた能力を一つ選択してください》
《嗅覚強化》
《突進》
《硬毛》
《能力値》
《能力値を確認します》
《腕力――収奪可能》
《耐久――収奪可能》
《敏捷――収奪不可》
巨大な猪は、腕力と耐久で俺を上回っている。
ここで《耐久》を奪えば、身体をかなり強化できるだろう。
《突進》や《硬毛》も使い道はありそうだ。
だが、俺は何も選ばなかった。
腹の傷は、鋭い刃物で切られている。
この猪を倒した相手が近くにいる。
そちらのほうが強い。
限られた満腹度を使うなら、より強い死骸を選ぶべきだ。
俺は巨大な猪から手を離した。
血痕は、森の奥へ続いている。
猪も一方的に殺されたわけではないらしい。
地面には、別の血も落ちていた。
俺は《忍び足》を使い、慎重に進んだ。
やがて、大きな木のそばに一体の魔物を見つけた。
豚に似た頭。
分厚い身体。
人間よりも太い腕。
右手には、刃の大きな鉄斧を持っている。
オークだ。
「ブフウウ……」
オークは木へ背中を預け、荒い呼吸を繰り返していた。
脇腹には、深い穴が開いている。
巨大な猪の牙に刺された傷だろう。
流れ出した血が腰布を濡らしている。
猪を倒したものの、オークも無傷ではなかった。
俺は弓を構えた。
残っている矢は四本。
狙うのは、脇腹の傷。
弦を引き、矢を放つ。
「ブガアッ!」
矢が傷口へ突き刺さった。
オークが立ち上がり、周囲を見回す。
俺はすぐに別の木へ移動していた。
《忍び足》で気配を消す。
「ブオオオッ!」
オークが鉄斧を振り回した。
近くの細い木が、一撃で折れる。
まともに受ければ、《再生》があっても助からない。
俺は二本目の矢をつがえた。
《遠視》でオークの顔を捉える。
右目を狙い、放つ。
オークがこちらを向いた。
矢は目ではなく、頬へ突き刺さった。
「ブガッ!」
倒せない。
だが、俺の居場所は知られた。
オークが鉄斧を持ち、こちらへ突進してくる。
傷ついているとは思えない速さだ。
俺は弓を背負い、走った。
背後で風を切る音が鳴る。
反射的に横へ跳ぶ。
鉄斧が回転しながら飛んできた。
俺がいた場所を通り過ぎ、木の幹へ突き刺さる。
「武器を投げた?」
オークは素手になった。
それでも、腕力では圧倒的に相手が上だ。
つかまれば、そのまま身体を引き裂かれる。
俺は短剣を抜いた。
「ブオオッ!」
オークが太い腕を振り下ろす。
俺は懐へ入らず、後ろへ跳んだ。
拳が地面へ叩きつけられる。
土が跳ね、地面がわずかにへこんだ。
オークがもう一度腕を振るう。
俺は身体を低くし、腕の下をくぐった。
すれ違いざま、脇腹に刺さっている矢をつかむ。
さらに奥へ押し込んだ。
「ブガアアアッ!」
オークが絶叫する。
裏拳が俺の背中へ当たった。
「ギャッ!」
小さな身体が地面を転がる。
息ができない。
骨も何本か折れたかもしれない。
《再生が発動します》
《満腹度を消費します》
身体の内側が熱くなる。
だが、傷が治るまで待ってはくれない。
オークがこちらへ歩いてくる。
脇腹から大量の血を流している。
相手も長くは持たない。
先に倒れたほうが死ぬ。
俺は立ち上がり、短剣を構えた。
オークが右腕を振り上げる。
俺は正面から飛び込んだ。
拳が左肩をかすめる。
そのままオークの身体へしがみつき、短剣を首へ突き刺した。
硬い皮膚に阻まれ、刃が途中で止まる。
「ブガッ!」
太い手が俺の背中をつかんだ。
身体が持ち上げられる。
オークが俺を地面へ叩きつけようとする。
俺は短剣から手を離し、頬に刺さっていた矢をつかんだ。
両手で握り、奥へ押し込む。
矢尻が、オークの右目へ入った。
「ブギャアアアッ!」
オークが俺を放す。
地面へ落ちた俺は、すぐに脇腹へ回り込んだ。
傷口に刺さっている矢を引き抜く。
血が噴き出す。
オークが膝をついた。
俺は首に刺さった短剣を両手で握り、全体重をかける。
「倒れろ!」
短剣が少しずつ首へ沈んでいく。
オークの手が、俺の腕をつかんだ。
強い。
指が肉へ食い込む。
それでも、先ほどまでの力は残っていなかった。
オークの身体が前へ傾く。
俺は下敷きになる直前に横へ跳んだ。
地面が揺れる。
オークはうつ伏せに倒れ、そのまま動かなくなった。
「はあ……はあ……」
俺は震える足で立ち上がった。
正面から戦えば、勝てなかった。
巨大な猪が傷を負わせていなければ、殺されていた。
それでも、生き残ったのは俺だ。
オークの死骸へ手を触れる。
《新鮮な死骸を確認しました》
《対象が所有していた能力を一つ選択してください》
《斧術》
《剛腕》
《痛覚耐性》
《投擲》
《能力値》
「《能力値》」
《収奪可能な能力値を確認します》
《腕力――収奪可能》
《耐久――収奪可能》
《敏捷――収奪不可》
《魔力――収奪不可》
オークの腕力と耐久は、俺を上回っている。
どちらも欲しい。
だが、一つしか選べない。
耐久を上げれば、攻撃を受けたときに生き残りやすくなる。
腕力を上げれば、短剣で硬い皮膚を貫けるようになる。
今回の戦いでは、力不足を何度も感じた。
「《腕力》を選ぶ」
《対象の腕力を一部収奪します》
オークの死骸から、これまでよりも濃い赤色の光が浮かび上がった。
光が俺の両腕へ吸い込まれる。
「ギッ……!」
筋肉が内側から膨らむ。
骨が軋み、腕と肩に激しい痛みが走る。
細かった腕が太くなった。
身体そのものは小さいままだが、内側に強い力が満ちている。
《腕力が上昇しました》
《能力値の上昇量に応じて、満腹度が上昇します》
《満腹度 百》
《満腹状態になりました》
俺は木へ刺さっている鉄斧へ近づいた。
柄を両手で握り、力を込める。
オークが使っていた大きな斧だ。
それでも、持ち上がった。
「これが、オークの腕力……」
まだ自由に振り回すことはできない。
《斧術》も持っていない。
それでも、以前なら動かすことすらできなかった武器を持ち上げている。
俺は鉄斧を地面へ置き、オークの死骸を見下ろした。
強くなるほど、弱い魔物から能力値を奪えなくなる。
これからさらに強くなりたいなら、オークより強い相手を倒さなければならない。
俺の視線が、巨大な猪の死骸へ向く。
あの死骸から《耐久》も奪えれば、さらに強くなれる。
だが、いまは満腹だ。
腹が減る頃には、死骸は古くなっている。
一つを選べば、ほかは失う。
すべてを手に入れることはできない。
だからこそ、次はもっと価値のある死骸を選ばなければならない。
俺はオークの鉄斧を引きずり、森の奥へ歩き出した。




