表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/15

第11話 俺は人間だった



 オーガから奪った《再生》によって、全身の傷がゆっくりと塞がっていく。


 左肩の傷。


 棍棒を受けた右肩。


 岩や木の枝で切った手足。


 完全に消えたわけではないが、出血は止まっていた。


《再生が発動しています》


《生命力を消費します》


《満腹度 百》


《満腹度 八十四》


「傷を治すために、満腹度を使うのか」


 強力な能力だが、何の代償もなく治るわけではないらしい。


 失った血や肉を補うため、体内に蓄えた生命力を消費する。


 深い傷を負うほど空腹になる。


 逆に考えれば、食料や新鮮な死骸があれば、何度傷ついても回復できる可能性がある。


「傷が治ってる……」


 女性探索者が驚いた顔で俺を見ていた。


 彼女のそばでは、オーガに連れ去られていた男が横たわっている。


 呼吸はしているが、意識は戻っていない。


 頭の傷からは、まだ少し血が流れていた。


 女性が革袋の中を探る。


 だが、回復薬は残っていない。


 先ほど自分の脚へ使った一本が最後だったようだ。


「ごめん。私が飲まなければ……」


 女性が唇をかむ。


 彼女が回復薬を飲まなければ、ここまで来ることも、オーガと戦うこともできなかった。


 責める理由はない。


 俺は男の傷口へ手を伸ばしかけた。


 しかし、《再生》は自分の身体にしか作用しなかった。


 他人の傷を治すことはできない。


「ギ……」


 何もできない自分が、もどかしい。


 そのとき、倒れていた男が小さくうめいた。


「う……」


「気がついた?」


 女性がそばへ膝をつく。


「ここは……」


「もう大丈夫。オーガは倒したわ」


「オーガを……?」


 男がゆっくりと目を開けた。


 最初に女性を見る。


 次に、少し離れた場所に立っている俺を見た。


「ゴブリン!」


 男は反射的に腰へ手を伸ばした。


 だが、武器はオーガに奪われたのか、残っていない。


「待って!」


 女性が男の腕を押さえる。


「このゴブリンが助けてくれたの」


「何を言っている?」


「私を追っていたゴブリンを倒して、あなたを連れ去ったオーガとも戦ってくれた」


 男が俺とオーガの死骸を交互に見る。


「ゴブリンが、オーガを?」


「私も一緒に戦った。でも、この子がいなければ勝てなかった」


 この子。


 人間だった俺は成人男性だ。


 だが、いまの身体は人間の子供よりも小さい。


 彼女から見れば、子供のように見えるのだろう。


「本当に、俺たちを襲わないのか?」


 俺はうなずいた。


「言葉を理解している?」


 もう一度うなずく。


「そんなゴブリンがいるのか……」


「文字も書けるわ」


「文字まで?」


 女性が、俺の書いた跡を指さした。


 土の上には、


『一体から一つだけ』


『満腹になると使えない』


 という文字が残っている。


 男はそれを読み、しばらく黙っていた。


「お前が書いたのか?」


 俺は地面へしゃがみ、指で文字を書いた。


『そうだ』


「どうしてゴブリンが人間の文字を知っている?」


 答えるべきか迷った。


 自分でも、なぜゴブリンになったのか分からない。


 信じてもらえる保証もない。


 それでも、二人は俺をすぐに殺そうとはしなかった。


 すべてを話す必要はないが、嘘をつく必要もない。


『俺は人間だった』


「……え?」


 女性が小さく声を漏らす。


 男も文字を見つめたまま動かない。


『気づいたら、この姿になっていた』


「人間が、ゴブリンになったの?」


 俺はうなずいた。


「呪いなのか?」


 首を横に振る。


「魔法の実験?」


 もう一度、首を横に振った。


 俺にも分からない。


 道路へ飛び出してきた男。


 近づいた瞬間にあふれた黒い光。


 そして、ゴブリンの身体で目を覚ました。


 それ以上、説明できることはなかった。


「元は人間だから、私たちを助けたの?」


 俺は少し考え、土の上へ書いた。


『たぶん』


「たぶん?」


『ゴブリンの記憶もある』


『少しずつ、考え方が変わっている』


 女性が息をのむ。


 俺は自分の手を見つめた。


 最初に死骸から能力を奪ったときは、強い抵抗があった。


 いまは、限られた満腹度をどの死骸へ使うべきか、冷静に考えている。


 弱い死骸より、強い死骸。


 役に立たない能力より、強力なスキル。


 死者の尊厳より、自分が生き残るための力。


 それが自然な判断になり始めていた。


 空き地の端に、オーガに踏み潰されたゴブリンの死骸があった。


 戦いの前には気づかなかった。


 身体はまだ温かい。


《再生》によって満腹度も下がっている。


 俺は死骸へ近づき、胸へ触れた。


《新鮮な死骸を確認しました》


《対象が所有していた能力を一つ選択してください》


《夜目》


《悪臭耐性》


《投石》


《能力値――収奪可能な項目がありません》


「能力値を奪えない?」


 表示へ意識を向ける。


《対象の腕力は、所有者を下回っています》


《対象の耐久は、所有者を下回っています》


《対象の敏捷は、所有者を下回っています》


《自身を上回る能力値のみ収奪できます》


 弱い相手を倒し続けても、能力値は上がらない。


 俺はすでに狼やホブゴブリンから力を奪っている。


 普通のゴブリンの能力値では、いまの俺を強くできないらしい。


《夜目》も持っている。


《悪臭耐性》は急いで必要な能力ではない。


《投石》も、弓を手に入れたいまは優先度が低い。


 俺は何も選ばず、死骸から手を離した。


「奪わないの?」


 女性が尋ねる。


 俺は地面へ書いた。


『欲しいものがない』


 自分で書いた文字を見て、少しだけ寒気を覚えた。


 死骸から力を奪わない理由が、倫理ではない。


 役に立たないから。


 腹を満たす価値がないから。


 いつの間にか、死骸を完全に獲物として見るようになっていた。


「あなた、本当に人間だったのね」


 女性が言った。


「ゴブリンなら、そんな顔はしないと思う」


 俺は自分の頬へ触れた。


 どんな表情をしているのか、自分では分からない。


 人間を助けたい気持ちは残っている。


 その一方で、考え方は確実に魔物へ近づいていた。


「一緒に来ない?」


 女性が言った。


「町へ戻れば、あなたのことを調べられる人がいるかもしれない。人間へ戻る方法だって――」


 俺は首を横に振った。


「どうして?」


 男が代わりに答える。


「無理だ。町の門までたどり着けない」


「でも、この子は人間を襲わない」


「俺たちは知っている。門番や町の人間は知らない」


 そのとおりだ。


 ゴブリンが現れれば、問答無用で討伐される。


 仮に文字を使えると伝えられても、自由に歩けるとは思えない。


 珍しい魔物として、閉じ込められる可能性もある。


 俺は地面へ文字を書いた。


『森で生きる』


『人間には近づかない』


 女性は何か言おうとしたが、男が首を横に振った。


「無理に連れていくほうが危険だ」


「でも……」


「俺たちが責任を持って守れるのか?」


 女性は答えられなかった。


 遠くから、複数の人間の声が聞こえる。


「おーい!」


「どこにいる!」


 女性たちの仲間だろう。


「ここよ!」


 女性が大声で答えた。


 俺は弓と短剣を拾う。


 人間たちが来る前に離れたほうがいい。


「待って」


 振り返ると、女性が荷物から濃い茶色の外套を取り出していた。


「これを使って」


 人間用なので大きい。


 そのまま着れば裾を引きずるが、身体や顔を隠すことはできる。


 俺は外套を受け取った。


『ありがとう』


「助けてもらったのは、私のほうよ」


 俺は外套を肩へかけ、森の奥へ歩き出した。


「また会える?」


 女性の声が背中へ届く。


 俺は少しだけ振り返り、うなずいた。


 次に会うときも、俺が人間の心を残している保証はない。


 それでも、嘘にはしたくなかった。


 人間たちの仲間が到着する前に、俺は木々の暗闇へ姿を消した。


 弱い相手からは、もう能力値を奪えない。


 さらに強くなるには、自分より強い魔物を倒す必要がある。


 俺は外套の下で短剣を握った。


 次に探すべき獲物は、普通のゴブリンではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ