2-1 偏差 それが違うと気づいたのは、理由のない違和感からだった
指定された個人学習室は、四方を白い壁に囲まれていた。目が痛くなりそうなほどに白いその部屋の中央には、同じ色のソファがひとつ置かれている。
学園には様々な用途の学習室が用意されているが、CEPTORがない僕には外部端末に対応したこの部屋を指定されることが多かった。
楕円形に開いた口から、玉子の形をしたソファの中に入り込む。ジェル状のクッションが身体に沿って形を変える。外部端末を接続すると、暗転の後、ホログラムが立ち上がった。
目の前に、二足歩行する猫が現れる。学習支援AIだ。
「『Q』、現代史の課題の続きを」
古いシネマの登場人物に因んで名付けたAIに、指示を出す。
『オーケー、前回の確認から始めようか。食糧危機の話をしていたね。どうしてこれが起こったのか話してみて』
「ええと、急な気候変動によって需要と供給のバランスが崩れたんだよね」
模範解答を思い出し、Qの質問に答える。
Qの後ろで複数のウィンドウが展開し、当時の記録映像が浮かび上がった。
干上がった農地、水没する都市、暴動を起こす群衆。コミューンの老人たちからも幾度となく当時の話を聞かされて育ったが、映像を見てもどこか遠い出来事のように思えた。
『少なくなった資源をめぐって、世界規模の争いが起きた。結果、多くの命が失われてしまった。しかし、この争いはあるものの登場によって解決した。何か分かる?』
「人工食品でしょ」
『正解。人類は人工食品によって救われたんだ』
そう言いながら、Qはにこやかに尻尾を振った。
人工食品という言葉で、僕はさっきのスープの味を思い出してしまった。なんとなく胃が重いような気がして、僕は鳩尾あたりに手を当てる。
僕たちが生まれ育ったのは山々に囲まれた土地だった。神様から守られた土地と呼ばれるその場所は、激しい気象変動の影響を受けつつも作物は育ち、住人が生きていくだけの糧を得ることができた。
けれど、そこで得られる糧には限りがある。望む全ての人にそれを分け与えることはできない。
だから、多くの人々を救った人工食品は「悪」ではない。そのことを僕は重々分かっているつもりだ。
人類の救世主であるそれは、僕の助けにはならない。ただそれだけのことだ。
『鶉は、人工食品についてはどのくらい理解している?』
「大量生産が可能で長期保存に適していること、生産ラインが自動化されていて完璧な衛生管理がされていることくらいかな」
このあたりのことは、素直に利点だと思えた。
生の野菜や肉だとそうもいかない。保存食を作るのにも手間がかかることは実地で理解していた。
『素晴らしい。では、人工食品とCEPTORとの関係は?』
「確かCEPTORは元々人工食品に添加された味覚情報を受信するための装置として開発されたんだったよね」
『その通り。人工食品は革命的だったが、一度広まると人々は画一的な食事に飽きてしまった。だから人工食品の味が分かるようになるCEPTORは爆発的に普及したんだ。ネットワークへ接続されるようになってからは外部端末レス通信や機器の操作にも活用されて、今では世界中の人々にとってなくてはならないものになっている』
Qの解説は滑らかだ。僕もそれが間違いとは思わない。学園に来てから何度も聞いた説明だ。
けれどその言葉に迷わず頷くことができなかった。
――《CEPTOR》を通して感じられる「味」は、結局のところ電気信号による完璧な幻に過ぎないのではないか。
――舌で、喉で、鼻孔で感じる、僕が今まで感じてきた「味」とは違うのではないか。
Qが一歩近づき、僕を見上げていた。
瞳孔の開いた、ガラス玉のような目。
ホログラムなので、僕の姿がその目に映り込むことはない。
『それでも、人工食品やCEPTORを拒む人たちがいるね。特に人工食品だ。倫理的にも衛生的にも人工食品の方が優れているのに、彼らはどうして頑なに人工食品を受け入れないのだろう。どうすれば彼らに人工食品の素晴らしさを理解してもらえるか、鶉なら分かる?』
急に飛んできた予想外の問いに僕は口ごもる。
僕達を愚かなだと決めつけてかかるような言い方に、反射的に反感を覚えた。




