4章-90.月夜の抱擁、運命を拒む誓い(★)
「さて……夜風が冷たくなる前に戻ろうか。エリオス、寝る準備をするからおいで」
「はーい! 今日はおじちゃんと一緒に寝るの?」
「いいけど……そろそろエリオスも一人で寝れるようにならないとね」
アルとエリオスが賑やかに言葉を交わしながら、公爵邸の中へと入っていく。
私も、馬車の姿が遠くに消えていくのを見届けてから、続いて中に入ろうと振り返った。
「ルナリア」
不意に名前を呼ばれ、私の手首をヴィルの手がそっとつかんで押し留めた。
「ヴィル? どうしたの?」
「……少し、顔色が悪い」
ヴィルは私の顔をじっと覗き込み、心配そうに眉を寄せる。
「そう、かしら……」
「夕方の時もだ。……何があった」
「な、なんでもないわ!」
ヴィルにかすかな動揺を見透かされそうになり、私は思わずその視線から逃れようと顔をそらす。
「ヴィル! その手を離すんだ……!」
私たちの不穏な様子に気づいたグレンが、大急ぎで駆け寄ってきた。
しかし、ヴィルは私の手首をつかんだまま、グレンから私を遠ざけるようにして一歩後ろへと距離を取る。
「そもそも、お前が原因かもしれないんだぞ」
「……どういうことだ?」
ヴィルから向けられた予期せぬ敵意に、グレンは困惑の表情を浮かべた。
「ルナリアが、お前とあの聖女が見つめ合っているのを見て、今日一番動揺していた。……ルナリア以外の女に思わせぶりな行動をしたお前が悪い」
「ヴィ、ヴィル!?」
あまりにも直球すぎるヴィルの指摘に、今度は私の方が大慌てで声をあげてしまう。
まさか、夕方に一瞬だけ抱いたあの胸のモヤモヤを、すべて見抜かれていたなんて思いもしなかった。
「な……! いや、私はただ、王宮で事前に聞いていた聖女の特徴とよく似ているなと思っただけで……! ルナリア以外を恋慕うことなど、ありえない!」
グレンは動揺しながらも、誤解を解こうと一生懸命に言葉を重ねてくれる。
その懸命な眼差しは、ただひたすらに私だけをとらえていた。
「お前が頭の中でどう思っていようが関係ない。ルナリアを不安にさせ、傷つけた。その結果がすべてだ」
「それは……」
ヴィルの言葉は的確すぎて、グレンは何も言い返せないまま、苦しげに唇を引き結んだ。
私はヴィルを止めるべく声を張り上げた。
「待って、ヴィル! 私は別に傷ついてなんかいないわ、ただの誤解よ! 心配もしてなんか……」
そこまで言いかけて、私の言葉がふっと凍りついた。
もし、これから物語が進み、セフィラがグレンのことを好きになってしまったら。
私を見つめてくれているグレンのこの温かな瞳は、一体どうなってしまうのだろう。
どれほど彼が私を想ってくれていたとしても。
シナリオの強制力によって、彼の心は強制的に書き換えられてしまうのではないだろうか。
「ルナリア……。すまない、君を不安にさせてしまった……」
私が最悪の予感に囚われて言いよどんでしまったのを見て、グレンは私を追い詰めてしまったのだと誤解したのだろう。
今まで見たことがないほどに、グレンの表情がみるみる曇っていく。
あまりにも痛々しいその表情を見て、私は慌てて首を振る。
「違うの、グレン! ……ヴィル、お願い。彼と二人だけで話をさせて」
このままではヴィルの誤解が解けないばかりか、グレンとの間に余計な壁ができてしまう。
私はヴィルに向き直り、その瞳を見つめて真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「ルナリアがそう言うなら……」
ヴィルは少しためらった様子を見せつつも、私の真剣な眼差しに気圧されたように、小さくうなずいた。
しかし、私から離れる前に、その視線をグレンへと向ける。
「……もしこれ以上ルナリアを苦しませるなら、その時は……無理やりでもお前から奪う」
それは、彼なりの譲れない警告だった。
「……心しておく」
その言葉がもたらす意味を噛み締めるように、グレンの表情がすっと引き締まる。
ヴィルは名残惜しそうに私の手首からその指をゆっくりと離すと、公爵邸の中へと消えていった。
ヴィルが去り、残されたのは私たち二人だけとなった。
あたりに何とも言えない、もどかしく気まずい沈黙がゆったりと降りてくる。
「……庭園の方へ、少し歩きながら話そうか」
グレンは張り詰めた空気を和らげるように、公爵邸の奥に広がる、色とりどりの花が咲き誇る庭園へと視線を向けた。
私は小さくうなずきながらも、自分からどう話しだしたらいいのか分からず、しばらくは彼の背中を見つめながら、その後ろをただついて歩いた。
すっかり夜は更けており、月明かりに照らされた庭園は人気もなく静寂に包まれている。
「本当に、ルナリアが心配することなんて何一つないんだが……」
ふわりと甘い香りが漂う薔薇の咲き誇る場所で、グレンは不意に足を止めた。
それから私の方へと向き直る。
「だが、私の軽率な行動が、ルナリアに無用な懸念を抱かせてしまった。本当にすまない……」
「グレンのことを疑ってなんていないわ。……ただ、私が勝手に色々と考えすぎてしまっただけなの」
「そのきっかけを、私が作ってしまった。今後はより一層、自分の振る舞いに注意すると誓うよ」
違う。
グレンは何も悪くない。
ただ、ゲームのヒロインが現れたことに私が怯えているだけなのに。
大好きな人に、こうして頭を下げさせている事実に胸が痛む。
「……セフィラはとても明るくて、本当にいい子よ。もし、いつかグレンが彼女のことを好きになったとしても……」
「ルナリア……!」
そこまで言葉を紡いだ瞬間、不意打ちのようにグレンの大きな腕が私の身体を引き寄せ、優しく抱きしめた。
「言っただろう。私は君以外を慕うことなど、ありえないと」
耳元で響く、熱を帯びた声。
その言葉が胸の奥へと届くたびに、私の目には涙がにじんでいく。
「……あなたの気持ちは、心から信じてる。でも……少しだけ不安で……」
そうだ。
私は今、たまらなく不安なのだ。
彼と離れる未来が怖くて、彼とセフィラの仲が進展してしまうのを恐れている。
「なら、ルナリアが抱いている不安以上に、君をもっと愛そう。もうこんな思いは、絶対にさせない」
グレンは私の震えを鎮めるように、より力を込めて強く抱きしめてくれた。
彼の胸の鼓動が、私の身体へ伝わってくる。
「愛してる、ルナリア。初等部の頃から、この気持ちは一瞬たりとも変わっていない。そして、これからも絶対に変わることはない」
「グレン……っ」
その温もりある言葉があまりにも愛おしくて、グレンの背中に私もそっと手を回して抱きつき返した。
(もし、いつか彼の気持ちが世界の強制力によって無理やり変えられてしまったとしても……。私はきっと、彼のことを諦められない。誰が相手だろうと、彼を絶対に渡したくない……)
世界が、私達の恋を許さないかもしれない。
それでも、私は彼の腕の中にあるこの温かさの中で、最後の瞬間まで生きていたいと願うのだった。
ご愛読ありがとうございます。
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