3章-80.託された未来、女王から賜るヒント
なおも床に崩れ落ちたまま、激しく取り乱しているイリス女王。
威厳はどこへやら、エリオスに嫌われたショックから立ち直れずにいた。
「エリオス王子殿下は、少し混乱しておられるのでしょう。竜人国に帰国されれば、落ち着かれるのでは……?」
フィン公爵が、少しためらいがちにイリス女王の背中へおそるおそる声をかける。
「エリオスはとても優しく、穏やかだが……嫌いな者にはとても冷酷なのだ! 怒るとものすごく怖い! それが……わらわに向けられると思うと……!」
「しかし、かと言って人間国に残すのは……。暗殺組織は壊滅したとはいえ、頭領は捕まっておりません。今後私共の手で御身をお守りできるか……」
「無理やり連れて帰れば、エリオスにますます嫌われる……。かと言ってこのまま残せば危険があるかもしれない……ああ! わらわはどうしたら……!」
甲板の上が大混乱に陥る中、それを見ていたアルが、小さくため息をつきながら口を開いた。
「もういいじゃん。竜人からすれば、人間の一生なんて一瞬でしょ? その間だけエリオスを人間側においておいたら?」
「アル……そうは言ってもだな……」
グレンが慌ててアルを止めようとするが、アルは気に留める風もなく女王へと問いかける。
「ねえ女王陛下。エリオスが成体になるまであとどのくらいなの?」
「なんだ、この不敬な男は……!」
不躾な態度で話しかけてきたアルを見つめたイリス女王が、ふと、その瞳をぴくりと震わせた。
少年の姿をした彼の奥に眠る、尋常ならざる気配を察知したのだろう。
「お主……」
「俺の正体気づいた? やっぱり竜人は魂で人を見るんだね。……こっちにもそれなりに戦力はあるからさ。エリオスに嫌われないことが最優先なら、こっちにいるのが一番なんじゃない。で、どのくらいで大人になるの?」
「……成体になるまでは、おそらくあと三、四年程度だ」
「そんなに短いのですか……!?」
私は驚きのあまり、思わず腕の中のエリオスを見つめてしまった。
人間の感覚からすれば、あまりにも急速な成長だ。
「竜人の幼体時はとても弱いゆえ、その期間をできうる限り短くする進化を遂げた。……エリオスは竜人国一の知識をもち、古代魔法を自在に操る。成体となって竜人としての膂力をもてば、その辺の人間程度では敵わないであろう」
「だが、その大人となったエリオスを殺した頭領がまだ捕まっていない。私達だけで守りきれるかどうか……」
初めて会ったときのエリオスの死が頭をよぎったのか、グレンの口から慎重な言葉が漏れる。
「グレンにしては弱気じゃん。女神の槍……神聖魔法を使える君だっているんだからさ。がんばってみようよ」
「……私はまだ女神の槍の力を引き出せてない。だが、そうだな……」
アルの言葉に何かを吹っ切ったように、グレンはイリス女王の正面へと向き直った。
「エリオスが自ら竜人国に帰ると言うまで……私達に預けて頂けませんか? 必ずその御身をお守りいたします。この女神の槍に誓って」
グレンがそっと手をかざすと、その手のひらの上にまばゆい女神の槍が顕現した。
「人間ならざる者……それに、神聖魔法の使い手か……」
その神聖な純白の光を眺めながら、イリス女王は複雑そうな表情を浮かべる。
胸の内で葛藤するように息を吐き、ためらいながらもエリオスの方へ視線を向けた。
「……わかった、そなたらを信じ、一時的にエリオスを託そう」
「イリス女王陛下……よろしいのですか?」
フィン公爵が、予想外の決断にうろたえた表情を覗かせる。
「国交回復前ゆえこちらの戦力はそちらには送れぬ……。命の危険もある。だが、エリオスの望みはできうる限り叶えたいとも思うておる」
私の腕の中でまだ不安そうに震えているエリオスを、イリス女王は愛おしさと寂しさを交ぜたような眼差しで見つめる。
「エリオスは、古き慣習に縛られた竜人国を憂い、新しき風をもたらそうと奮闘しておった。それに人間達のことを尊敬し、こよなく愛していた」
過去に思いを馳せるように目を細め、彼女は最後に私たちを見据えた。
「エリオスのこと……頼んだぞ、人間達よ」
その言葉を聞いて、私の足元に隠れていたエリオスが、不安そうに上目遣いで私を見上げてきた。
「僕……パパとママと一緒にいたいの。パパとママは、僕と一緒にいたくない……?」
「そんなことない……! でも、もしかしたら、あなたがまた……死んでしまうかもしれないのが不安で……」
潤んだ瞳で見つめられ、私はたまらず彼を抱きしめそうになる。
けれど、脳裏をよぎるあの残酷な未来の光景が、どうしても私の心に深い怯えを生んでいた。
再び彼を失うかもしれない恐怖を吐露する私に、エリオスは力強く首を振る。
「僕は大丈夫なの! これからもずっと一緒にいようね! パパ、ママ!」
エリオスは私を安心させるように無邪気に笑うと、私の身体にぎゅっと抱きついた。
その温もりを感じて胸がいっぱいになる一方で、それをさらに複雑そうな表情でじっと見つめているイリス女王の視線に気づく。
「うぐ……うらやましい。ごほん……そなた闇属性持ちだな」
嫉妬に身を悶えさせていたイリス女王は、強引に咳払いをして姿勢を正すと、私に向けて意外な言葉を投げかけた。
「は、はい。その、闇属性の者がそばにいるのは、ご不安かもしれませんが……」
不吉の象徴として扱われがちな属性であることを気にして、私は小さく身を縮める。
「わらわは属性による区別思考はもっておらぬ。だが、闇属性は感情と連動しやすい。エリオスのためにも精神を鍛え、その力をしかと安定させることだ」
イリス女王の視線が私へと降りてくる。
有無を言わせぬ風格をまといながらも、その声は穏やかだった。
「感情……ご助言、ありがとうございます!」
偏見なく私の力の本質を見抜き、成長のための道標を示してくれた女王の器の大きさ。
私はそれを感じ取って、深い感謝を覚えた。
「ふん……。それにそこの神聖魔法を使う騎士よ。その女神の槍……そなたの想いの強さに反応しているように見えた。本来の力はわらわにも分からぬが……これを手がかりに、さっさと神から力を賜りエリオスを守る力とせよ」
イリス女王は次にグレンへと視線を移し、彼が顕現させた純白の槍を指さした。
「分かりました。必ずや女神の槍の真の力を引き出してみせます」
グレンは力強くうなずき、誓うように女神の槍を握りしめる。
「……ではフィンとやら。……最後にひとつ大事な頼みごとがある」
イリス女王は最後に控えていたフィン公爵へと向き直る。
その厳かな雰囲気に、公爵も姿勢を正した。
「イリス女王陛下、我らにできることがあれば何なりとお申し付けください」
「エリオスの様子を逐次手紙で報告せよ! 何を食べたか、ちゃんと寝れているか……何よりわらわのこと好きになっているかどうか! すべて細かく伝えよ!」
「は、はい……承りました……」
威厳に満ちた声で放たれたのは、あまりにも重度の弟愛に満ちた発言だった。
これには公爵も、呆気にとられたように頷くしかなかった。
(一時はどうなることかと思ったけど……なんとかおさまって良かった……のかしら?)
まるで、これから紡がれていく竜人と人間の幸福な未来を祝福してくれているかのように。
甲板の上には暖かな日差しが隅々まで差し込んでいくのだった。




