3章-78.陽だまりの港街、縮まる心の距離
昨日の大騒動が嘘だったかのように、港町ダイラスは活気あふれる喧騒に包まれていた。
行き交う人々の活気ある声や、屋台から漂う香ばしい匂いが、街全体を満たしている。
「ママ! みて! おいしそうなお肉!」
「ふふ、そうね。ひとつ買ってみましょうか?」
私達は賑やかな屋台街を歩き、竜人の特徴が見えないようにローブを羽織ったエリオスはおいしそうな食べ物につられて、あちらこちら飛び回っている。
「良いお酒ないかなー。ここは、おいしいお酒の宝庫だからね」
「……アル、お前の見た目では売ってくれないだろう」
「まあね。でも貴族のお使いとでも言いくるめれば、なんとか買えるだろうさ」
「おさけ? 僕もほしい!」
「だ、だめだ! エリオスにはまだ早い!」
私は背後のそんな会話を聞きながら、屋台で買ったばかりの温かい食べ物をエリオスに差し出した。
「はい、こぼさないようにね」
「ありがとう! ママ!」
エリオスは嬉しそうに声を弾ませ、おいしそうに串焼きのお肉をほうばり始めた。
「ヴィル、あなたも買いたいものがあったら言ってね」
私達から少し離れたところで、周囲の賑わいから浮いたように佇んでいたヴィルに私は話しかけた。
彼はどうしていいか分からないといった様子で、所在なさげにうつむいている。
「……このような日の当たる場所を歩くのは初めてだ。どうしていいか分からない」
「そう、なのね。それじゃ……」
裏の社会しか知らなかったという彼の言葉に胸を痛めつつ、私は手近にあったお店へと足を向け、赤く艶やかな果物飴を買った。
そしてそれをヴィルに向けて差し出す。
「まずはこれをどうぞ。きっと美味しいはずよ」
ヴィルは少し戸惑いながらも、私の差し出した果物飴を受け取った。
そして、じっとそれを見つめてから少しずつ口をつける。
「……うまい……」
「でしょう? 私も果物飴好きなの」
「……今日からこれが、俺の好物だ。ありがとう、ルナリア」
「そんな急に決めなくていいのよ。これからゆっくり色々なものを味わいましょう」
私は困惑しながらも、こちらの世界に踏み出そうとするヴィルに微笑む。
彼のことはまだ分からないことが多い。
けれど、一生懸命に果物飴を食べている姿はどこか愛らしい。
「ヴィル、お前はこれからどうするんだ?」
歩きながら、グレンがヴィルに問いかける。
組織を失った元暗殺者の今後に、彼なりに気にかけているのだと伝わってくる問いだった。
「……ルナリアのそばにいる」
「それなら……公爵家の影として雇われるのはどうだ? その腕があれば、父上も歓迎するだろう」
「ちょ、グレン。本気で言ってるの? 一応君の恋敵なんじゃないの、こいつ」
アルが思わず口を挟んだ。
まさかそんな提案が飛び出すとは思っていなかったのだろう。
「彼は命の恩人でもある。それに……ルナリアは私が必ず守る。何があったとしても」
グレンは、確固たる決意をこめた眼差しを私に向けた。
その視線が、昨夜の彼の熱い誓いを鮮明に思い出させ、私の顔はどうしようもなく赤くなってしまう。
「はあ、まったくお人好しなんだから。そんなんじゃ、キスくらいは先に奪われちゃうかもよ」
アルが、そんなグレンの様子をからかうように楽しげな声をあげた。
「キ……! いや、それは……」
アルの突飛な言葉に、グレンはそれまでの凛とした態度を失い、あからさまにしどろもどろになって私を見つめた。
動揺している彼の姿を見て、私の頭にも昨夜の記憶がじわりと蘇り、その場で固まった。
(そうだ……私、しょうがなかったとはいえ……どさくさにまぎれて、グレンに……キ、キスを……!)
彼に解毒薬を飲ませるため、自ら唇を重ねた記憶が思い起こされた。
顔どころか、全身の血が沸騰したかのように熱くなる。
あまりの恥ずかしさに、もう彼の顔をまともに見ることさえできない。
「おじちゃん、パパとママどうしたの? 真っ赤!」
そんな私とグレンの異常な様子を不思議そうに見上げていたエリオスが、アルの服を引っ張りながら純粋な疑問を口にした。
「あー……。うん、パパとママはとても仲良しだよーってことだよ、エリオス」
私たちの取り乱しっぷりを見て、何があったのかを察したらしいアルが、苦笑いを浮かべながらエリオスの頭をぽんぽんと優しく叩く。
エリオスは小首をかしげたけれど、すぐに別の屋台から漂う香ばしい匂いに気を取られ、次なる食べ物へと目移りした。
「あ! 今度はあれ食べたい!」
エリオスが小さな指でさしたのは、これでもかというほど真っ赤な香辛料がふりかかった焼き魚だった。
「エリオス……あれは、さすがにまだ早いんじゃないかしら……」
「食べたい!」
「うーん、見るからに辛そうだけど……竜人だから大丈夫なんじゃない?」
「そうかしら……」
私はためらいながらも、熱心におねだりするエリオスの勢いに負けて焼き魚を買い手渡した。
「いただきます!」
元気よく声をあげて、エリオスはかぷっと焼き魚に噛みついた。
しかし、口に含んだとたん、その小さな顔がみるみるうちにしぼんでいく。
「おくちの中痛いー」
「ああ、やっぱり……」
涙目を浮かべるエリオスを見て、私は慌てて飲み物が売っていないかと辺りを見回す。
するとエリオスは焼き魚を持ったまま、ヴィルの方へととことこ歩いていってしまった。
「あげる!」
「……は?」
「どうぞ! 食べて!」
突然エリオスから食べかけの焼き魚を突き出され、ヴィルは面食らいながらもそれを受け取る。
自分を怖がらずに真っ正面から向かってくる幼い王子。
焼き魚を少し観察した後、断るのも悪いと思ったのか、しょうがないと言うように口をつけた。
「……うぐっ、ごほっ……」
そのとたん、ヴィルが激しく咳き込んだ。
普段は感情を表に出さない彼の、あまりの狼狽ぶりに私達は目を丸くする。
「ヴィル!? 大丈夫……?」
「……俺は……これが苦手だということが分かった……」
「二人とも大丈夫か? ほら、飲み物だ」
グレンが素早い判断で、手近の屋台で売っていた冷たい飲み物を買ってきて、エリオスとヴィルの二人に手渡してくれた。
「なんだ、辛いもの苦手なんてヴィルも可愛いところあるじゃん。グレン、何かあったらヴィルの口に香辛料を放り込んじゃえ」
アルが楽しそうに笑いながら、新たな仲間をからかうような言葉を投げかける。
「それは……さすがにかわいそうじゃないか?」
グレンは少しだけヴィルを気の毒そうに見つめた。
かつて命を狙い合った関係とは思えないほど、彼らの間にはどこか穏やかな空気が流れ始めている。
私達は笑顔に包まれながら、港町ダイラスを楽しく散策したのだった。




