1章-7.「やんちゃ」なグレンの過去、アルの弱点
「——なるほど、この術式の展開はそう考えるのね。学園の先生の授業より、何倍も分かりやすい……」
「でしょ? 学校の先生って型にはまった教え方しかしないからね。要点さえ掴めば、座学なんていくらでもショートカットできるんだよ」
またしても午後の授業を堂々と抜け出したアルは、私の家庭教師をしてくれていた。
彼の解説は驚くほど明瞭だ。
私がずっと引っかかっていた難所を、まるでパズルを解くようにスラスラと導いてくれる。
「……そういえばさ、ルナリア嬢。君ってぶっちゃけ、グレンのことどう思ってるの?」
何でもない世間話のトーンで唐突に爆弾を放り込んできた。
「へ、……えっ!?」
あまりに予想外の角度からの質問に、裏返った声が出てしまった。
持っていたペンをノートの上に落としそうになり、慌てて持ち直す。
「ど、どうって……。とても、その、優しくて紳士的な方だな、と……」
「あー、そういう模範解答じゃなくてね。俺が聞いてるのは、もっとこう……恋愛的な意味での話」
からかうように身を乗り出してきたアルの顔を見る。
眼鏡の奥にある、綺麗な青い瞳。
そこには、面白いおもちゃを品定めして楽しんでいるかのような、実に意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「そ、そんな、滅相もないわ! フォーサイス公爵家のご子息に対して、私のような下級貴族がそんな不敬な想いを抱くなんて、恐れ多いにも程が……!」
「じゃあさ、仮に彼が公爵家じゃなくて、君と同じくらいの身分の少年だったら? ちょっとは男として気になったりしない?」
「アル……っ! もう、からかわないで!」
真っ赤になって怒る私を見て、アルは声を上げて愉快そうに笑った。
「あはは、まあまだ出会ったばかりだしね。いいよ、俺は二人がこれからどういう関係になろうと、温かく応援してあげるからさ」
ペンを回しながら、こちらの反応を観察して楽しむアル。
その余裕たっぷりな態度。
それを前にして、私は昨日グレンが「悔しい」とこぼしていた理由が、身に染みて分かったような気がした。
私は少しでも話題を逸らそうと、アルに問い返した。
「……そういうアルこそ、グレンのことどう思っているの? いつも一緒にいるけれど……」
「ん? 俺?」
アルは回していたペンを止め、意外そうに目を瞬かせた。
それから、少し考えるように天井を仰ぎ見て、そっと目をつむる。
しばらくの沈黙の後、薄っすらと青い目を開いた彼は、深いため息を吐き出した。
「頑固で、猪突猛進で、全然人の言うことを聞かない、子どもの中の子ども、かな」
「……ええ!?」
あまりに容赦のない酷評に、今度は別の意味で声を上げてしまった。
「まあ、君らから見るとさ、グレンはいつも完璧で、優しくて大人っぽい『公爵家の神童』に見えるんだろうけどね。従者の俺からすると、本当に色々、文字通り命懸けの苦労があるんだよ……」
「……例えば?」
アルは盛大なため息をもう一つ重ねると、頭を抱えるようにして黒髪をくしゃりと歪ませた。
「ある日のことなんだけどね、フォーサイス公爵様から、俺個人にちょっとした仕事を頼まれたんだ。そしたらグレンが不機嫌になっちゃって」
「グレンが……?」
「あいつ、昔から俺に仕事頼まれるのが、とにかく気に入らないんだよ。まあその時は何とかなだめて、仕事をこなすために俺一人で屋敷を外出したんだけど……」
アルの青い瞳が、遠い目で過去を振り返るように揺らぐ。
「いつの間にか屋敷の警備をすり抜けて脱走したグレンが、必死に俺を追いかけてきてさ。さらに最悪なことに……誘拐犯のグループに目をつけられて、グレンがさらわれちゃったんだよね」
「そ、そんなことが……っ!?」
「あの時は本当に大変だった。……まあ、あの事件を機に、自身の無力さを思い知ったみたいで、少しは大人しくなったんだけど」
やれやれ、と肩をすくめるアル。
それと同時に、私は気づく。
昨日グレンが言っていた渇望は、この幼い日の誘拐事件が原点だったのかもしれない、と。
「そんなことがあったのね……。少しだけ、グレンが身近に思えた気がする……」
「でしょ? だから、あんまりグレンを美化しすぎないこと。……さて、無駄話はここまで。勉強の続き、やるよ」
アルはまたパッといつもの不敵な笑みに戻ると、ノートを指先で叩いた。
グレンの意外な過去。
それを知ったことで、私は彼をより近くに感じられたような気がして、胸の奥がほんのり温かくなった。
◇
放課後の訓練場。
中央に立つアルが、パンと小気味よく両手を叩いた。
「それじゃ、約束通り訓練二回目を始めようか。……やっぱり、まだ少し怖い?」
アルが眼鏡の奥の青い瞳を少しだけ細め、私の顔を覗き込んできた。
「怖いけれど……大丈夫。グレンとアルがいるから。二人を心から信頼しているから、私は逃げない」
「そっか。いい返事だ。——それじゃ、いくよ」
アルは昨日のように私の手をそっと取ると、再び自身の魔力を流し込んできた。
身体の芯がひんやりとする感覚。
(冷たい……。けれど、今回は溺れない……!)
私の血液のなかに溶け込み、ゆっくりと、しかし確実に私の意志に従って流れていく心地よい感覚だった。
「そうそう、良い調子。その魔力を、自分の身体中に巡らせるイメージを持って。……はい、その感覚をそのままキープして」
「う、うん……っ」
拒絶するのではなく、受け入れる。
そう意識すると、暴れ馬のようだった闇の魔力が、私という器に浸透していくのが分かった。
「上手いね。それじゃ……いったん手を離すよ。大丈夫、落ち着いて」
アルが、私の指先からゆっくりと自分の手を離した。
「で、できてる……? 私、自分の力で抑え込めてる?」
「完璧だよ。想像以上の適応力だ。……それじゃあさ、せっかく上手くいったんだし、もう一段階上のステップにいっちゃおうか」
アルはにっこりと不敵な笑みを浮かべると、親指でトントンと自身の胸を指差した。
「その体内に巡らせている君の魔力をさ、俺に向けて思いきり解き放ってみて」
「えっ……!? ア、アルに向けて!?」
「アル!? 正気か! それだとお前が……!」
後ろに控えていたグレンが、弾かれたように声を荒げて詰め寄ってくる。
しかし、当のアルはそれを受け流し、眼鏡の位置を指先で直してみせた。
「いいからいいから。——大丈夫、絶対に平気だからさ」
アルの、どこまでも不遜で、けれどこれ以上ないほど頼もしい挑発。
「わ、わかった……!」
押し寄せる強烈な魔力。
それを外に出すイメージを作り上げようとした。
「あ……っ、しまっ……!」
しかし、私の意志を置き去りにして具現化したのは、小さな火花などではない。
漆黒の不吉な魔力が、文字通り禍々しい『旋風』の塊となって、もの凄い速度でアルの細い身体へと牙を剥いた。
「アル……!」
しかし、標的であるはずのアルは、まるで心地よい凪でも受けるかのように、薄く微笑んだままでいた。
「うん、まあ……こんなものかな」
彼は、ただ静かに右手を振り上げ。
そして、目の前の空間を撫でるように、ふわりと手のひらを落とした。
——その瞬間。
アルを呑み込もうとしていた私の闇の魔力。
まるで最初から存在していなかったかのように、空中で一点に圧縮され、綺麗に消え去った。
「え……っ、あ……!?」
何が起きたのか、理解が追いつかなかった。
ただ、彼がゆっくりと手を動かしただけで、凶悪な闇があっさりと無に帰されてしまった。
「うん。暴走しかけたのはご愛嬌だけど、初めての出力としては上出来だね。……ほら、言っただろう? 絶対に大丈夫だって」
アルは眼鏡の奥で、いうものように軽い笑みを浮かべてみせた。
やっぱり、彼は私の想像を遥かに超える本物の魔法使いなのだ。
そう安堵しかけた、その時。
「ふう……っ」
アルは小さく、けれど隠しきれない重い息を吐き出す。
同時に、ガクリと肩を落として、そのまま自身の両膝に手を突いた。
「アル……ッ! だから言っただろう、無茶をするなと!」
衣服を激しくなびかせ、背後に控えていたグレンが弾かれたように駆け寄ってきた。
彼はすぐさまアルの肩を抱きかかえるようにして、その身体を支える。
「あー……。大丈夫だよ、グレン。これくらいで、フォーサイス公爵家の従者が倒れないよ。ただ、ちょっと……思ったよりルナリア嬢の魔力が『重かった』だけだよ」
グレンに支えられながら、アルは強がるように唇の端を吊り上げて見せた。
「まあ、でも……今日のところは、このくらいにしとこうか」
アルは自嘲気味に笑うと、グレンの肩を叩いて身を起こした。
「というわけで、今日も管理室への鍵の返却よろしく頼むよ。……ルナリア嬢もお疲れ様。また明日ね」
アルはいつもの飄々とした足取りで、訓練場を後にしていった。
残されたのは、私と、アルを心配そうに見送っていたグレンの二人だけ。
「……ルナリア、責任を感じなくても平気だ。アルがああなってしまったのは、君の魔力のせいじゃない」
「え……」
「あいつはね……ああ見えて、病弱なんだよ」
「そうなの!?」
いつも不遜で、自信に満ちあふれていて、軽薄な態度を崩さないアル。
およそ彼のイメージからは程遠い言葉に、私は目を丸くする。
「ああ。さっきのように強力な魔法を行使すると、まるで重度の貧血を起こしたように、その場に倒れることがあるんだ」
グレンは、アルが去っていった扉の先を、どこか切なげに見つめながら言葉を重ねた。
「……幼い頃、私が誘拐犯に攫われたことがあってね。あの時、アルは一人でアジトに乗り込んできて、その凄まじい力で私を助け出してくれたんだ。……けれど、その代償として、彼はその後、丸一週間も寝込んでしまった」
グレンの碧玉の瞳に、当時の申し訳なさともどかしさが苦く滲む。
「アルは平然とした顔をしているけれど……本当は療養が必要で、授業を休むことがある」
「そう、だったの……」
てっきり、退屈な授業を気まぐれにサボっているだけなのだと思い込んでいた。
グレンの口から語られた真実に、私は言葉を失い、ただただ胸が締め付けられるような痛みを覚える。
「アルは無茶ばかりする。……けれどルナリア、あいつが他人のためにここまで身体を張るなんて、私を助けた時以来なんだよ」
グレンは私に向き直ると、その傷だらけの手で、私の冷えた手をそっと包み込んだ。
「あいつは、口は悪いけれど本気で君の可能性を信じているんだろう。だから……アルの無茶を無駄にしないためにも、一緒に前を向こう」
「……うん。がんばるわ、グレン」
グレンの手の温もりに支えられながら、私はアルの隠された事実を胸に刻む。




