1章-6.グレンと見上げる同じ未来 .
放課後の医務室は、昼間よりもずっと静かだった。
夕陽が長く影を落とす室内。
再び見舞いに訪れてくれたグレンは、ベッド脇の丸椅子に腰掛けながら、ふと私を見つめて尋ねた。
「ルナリア、君には何か——叶えたい夢があるかい?」
「夢……?」
思いがけない問いかけに、私は言葉を詰まらせた。
記憶を取り戻す前は、血の滲むような思いで勉学に勤しむ毎日。
そして、前世の記憶を取り戻してからは、全滅エンドへの底知れない罪悪感と恐怖に苛まれる日々。
私の頭の中に、「夢」なんていう温かで輝かしい言葉の居場所は、どこにもなかった。
「わからない……」
自分の目標も、なりたい未来の姿も、全く見通せない。
いつだって私は、目の前の冷たい絶望の奥底へと、ただゆっくり沈んでいくだけの人生を送ってきたのだ。
未来を思い描く余地など、初めから与えられていなかった。
「そうか……」
グレンは、私の暗い言葉を否定することなく、静かに受け止めてくれた。
そして、おおらかで美しい碧玉の瞳で私を見つめ直した。
「なら、ルナリアがいつか自分の将来を、楽しみに考えられるようになるくらいまで――私が、君の力になるよ」
「……っ、どうして」
胸の奥がキュッと締め付けられるような痛む。
私は逃げるようにして、グレンの真摯な視線から顔を逸らす。
「グレン……どうして、そんなに私に関わろうとするの? 私とあなたは、つい最近までまともな接点すらなくて、ただのクラスメイトだったはずなのに……」
無能と蔑まれる私に関わっても、公爵家の御曹司である彼には何一つメリットなどない。
むしろ、私のような忌まわしい存在が近くにいれば、彼の未来が潰えてしまう。
私の問いに、グレンは少しだけはにかむようにして、けれど迷いがない声で答えた。
「君が、とても困っているように見えたから。……それに、私はただ、君が心から笑う姿を見てみたいんだ」
「でも……」
唇を噛み締め、逸らした視線のまま、消え入りそうな声で呟く。
「私がいてもいなくても、あなたは、グレンは……きっとこの先、いくらでも幸せになれるはずよ。むしろ、私みたいな人間、最初からいない方が……」
そう、私がいない方がいい。
グレンは、アルは、他の登場人物たちは、誰も理不尽に命を奪われることなく生き残れる。
私が関わらなければ、この世界は穏やかなハッピーエンドを迎えられるだろう。
自分の存在そのものが彼らの不幸せの毒になるような気がして、胸の奥が悲鳴をあげる。
しかし、私の卑屈な言葉を遮るように、静観していたアルが肩をすくめて口を挟んだ。
「ルナリア嬢、もう諦めたほうがいい。この男は一度決めたら絶対に曲げない頑固者だし、何より、目の前で困っている人間を見過ごせな性格をしてるからね。多分逃げられないよ」
「む……。アル、言い方が不穏すぎるぞ。私はそこまで極端な人間ではない」
不満そうに眉を寄せるグレンを無視して、アルは「いーや、極端だよ」と眼鏡の位置を直した。
「道端でお腹をすかせている野良猫がいれば保護しようとするし、学園の中で道に迷っている新入生がいれば、わざわざ自分の授業を遅刻してまで案内しする。理想の貴族をそのまま絵に描いたような存在なんだよ、うちの若君は」
アルの、からかうような、けれど呆れと確かな信頼の混ざった言葉。
それが妙な説得力を持ってストンと私の胸に落ちてきた。
(そうか……。私だから特別、というわけじゃないんだわ。グレンは単に、放っておいたらそのまま消えてしまいそうな『困っている人』を放っておけないだけね……)
その事実を理解した瞬間、私の脳内に、ひとつの奇妙な答えがひらめいた。
グレンの行動原理が「困っている人を救うこと」なのだとすれば、私が実家に怯え、傷つき、不幸なオーラを纏っている限り、彼はどこまでも関わってこようとするだろう。
だとしたら、対策は一つしかない。
(私が早く元気になって、嘘でも幸せと言えば……。そうすれば、彼が私に関わる大義名分は消えて、自然と接点も薄くなっていくはず……)
関わらないために、とりあえずは彼らに全力で甘えて、幸せを手に入れたふりをする。
我ながらどこか辻褄の合わない、けれど今の私にとっては唯一の道を見出した。
(そのためにも、まずは考えなくちゃ。私にとっての『幸せ』が、一体どんなものなのかを……)
胸の奥の、まだ冷え切った場所にそっと問いかけてみる。
前世の私が、どうしても叶えられなかったこと。
そして、この世界に生まれ変わった私が、今度こそ成し遂げたいと願うこと。
ぐるぐると、けれど必死に思考を巡らせているうちに、本音がぽつりと零れ落ちた。
「……大人に、なりたいな」
「大人……?」
隣で私の呟きを聞いていたグレンが、きょとんと目を丸くした。
背後で腕を組んでいたアルも、わずかに眉を動かしてこちらを見つめている。
(しまった……!)
慌てて口元を押さえたけれど、一度形になってしまった言葉はもう戻せない。
前世の私は、成人を迎える前に病室のベッドの上で短い生涯を終えた。
だから、知りようがなかったのだ。
自分の足で立ち、自分の責任で生きる大人になったら、一体どんな世界が広がっているのかを。
「あ、いや、その……っ! ごめんなさい、変なことを言ってしまって!」
恥ずかしさと焦りで顔が熱くなる。
下級貴族の子供が、公爵家の神童を前にして「早く大人になりたい」だなんて。
子供っぽい、ひどくつたない呟きだろう。
「大人になれば、きっと今よりも色々なことができるようになるのかな、って……。ただ、そう思っただけなの……!」
けれど、私の予想に反して、グレンはハッとしたように息を呑んだ。
そして、夕暮れの光の中で、彼はこれ以上ないほど優しく、そして本当に嬉しそうに顔を輝かせたのだ。
「……そうか。ルナリア、それは私と同じ夢だ」
「え……?」
「私も、早く大人になりたいと、ずっとそう思っていたんだ。早く一人前になって、自分の力で、守りたいものを守れるようになりたいと」
グレンはベッドに預けていた上体を少しだけ乗り出し、愛おしそうな眼差しで私を見つめ返した。
公爵家の三男という、生まれながらにして期待を背負う彼。
前世での未練を抱える私。
理由は全く違うけれど、私たちは今、この小さな医務室で、全く同じ未来を見つめていた。
「ルナリア。一緒に大人になろう。君と私が、色々なことができるようになるまで……ともに頑張ろう」
優しく微笑むグレンは、夕陽よりも何倍も眩しくて、私の胸の奥を激しく揺さぶる。
関わるまいと必死だったはずなのに。
彼と同じ約束を交わしてしまいたいと願う自分が、確かにそこにいた。




