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1章-5.才能のない自分 .

 あの夕暮れの日から、私の奇妙な医務室生活が始まった。

 驚いたことに、グレンとアルの二人は、毎朝欠かさず私の様子を見に顔を出してくれた。


 窓から差し込む光を浴びながら、グレンは持ってきてくれた教科書やプリントをベッドの脇に並べる。


「ルナリアは、本当に座学の成績が優秀なんだね。提出されていた課題のレポートも高評価を頂いていたじゃないか」


 ノートを手渡しながら、グレンは心底感心したように瞳を輝かせた。


 この世界――特にこの学園においては、生まれ持った魔力量や武術の才能こそが全てだ。

 それらを持たない者は、どれだけ人格が優れていようとも蔑まれる。

 だからこそ、学園で最弱だった私は、知識だけでも追いつこうと、血のにじむような思いで夜通しペンを握り続けてきたのだ。


 それすらも父からは「小細工」と破り捨てられてきたが。

 そんな私の、誰にも見向きされなかった努力を、グレンは当たり前のように見つけ出し、真っ当に評価してくれた。


「でも、私は……魔法の才能も、秀でた能力もない。どんなに本を読んだところで、ただの自己満足で……」


 自嘲気味にうつむく私に、グレンは小さく首を振った。


「そんなことはない。国を動かし、支えるために、必ずしも魔法や武術が必要なわけじゃないだろう」


「グレン……」


「むしろ、人々が明日生きるための知識こそ、これからの時代にはさまざまな場で必要とされる。……君が重ねてきた努力は、誰に何と言われようと、いずれ必ず大きな実を結ぶよ」


 そう言うと、グレンはそっとベッドサイドに歩み寄り、私の震える小さな手を両手で包み込んだ。


「だから、自分のしてきたことをどうか誇ってほしい、ルナリア」


 差し伸べられた彼の手は、私よりも少し大きくて、驚くほど温かかった。

 そこから伝わってくる体温と、痛みを分かち合おうとしてくれるような心地よい笑顔。

 私の胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


 グレンは、武術において右に出る者はなく、魔法でも学園最高評価を受けている。

 誰もが認める本物の天才だ。

 そんな彼から見れば、私の知識など、無価値な存在であるはずなのに。


(本当に……子供とは思えないほど、優しすぎる人……)


 彼がどれほど真っ直ぐで、気高くて、素晴らしい人間かを知れば知るほど。

 私の胸の奥には、泥のような罪悪感がふつふつと湧き上がってくる。


 この人は、この先も多くの人々を救い、この国を導いていく光になるべき人材だ。


 それを、いつか「悪役令嬢」である私の存在が、無惨に終わらせてしまうかもしれない。


(……そんなこと、絶対にさせない)


 手のひらから伝わるグレンの温もりを、しっかりと記憶に刻み込む。

 私は心の中で静かに、けれど鋼のように固い誓いを立てた。


(どんな運命が待ち受けていようと、この光を私の手で消し去ることだけは、絶対にさせない。そのためなら、私は——)


 朝の清らかな光に満ちた医務室で、私は優しく微笑むグレンを見つめ返しながら、静かに覚悟を深めていた。


「魔法の才能がないねえ……。悪いけど、俺にはそうは思えないな」


 グレンの傍らに佇んでいたアルが、ふっと眼鏡の奥の青い瞳を細めた。

 その深い青の色彩が、私の心身の奥底を探るように向けられる。

 まるで、私の中に精神まで見透かそうとするかのような、鋭い視線だった。


 思わず身をすくめながら、私は記憶の中の事実を口にする。


「でも、どんなに頑張っても……学園の先生も、私には魔法の才能が『歴代最低値』だって、はっきり仰っていたわ」


 私のような下級貴族の無能を、わざわざ慰める必要なんてない。

 そう告げた私に対して、アルは一笑に付すように首を傾げてみせた。


「学園の先生の言うことが、いつでも絶対正しいとは限らないよ。魔法の才能なんて、ほんのささいなきっかけでいくらでも伸びるものさ」


「そういう、ものなのかしら……」


「——よし、君の怪我が落ち着いたら、放課後にでも俺が直々に魔力特性を見てあげる」


 まだ同い年の初等部生だというのに、あまりにも不遜で、自信に満ちあふれた態度。

 アルは腕を組み、どこか楽しげに私を見下ろしている。


 戸惑う私に、グレンが誇らしげに、けれど苦笑を交えながら助け舟を出してくれた。


「驚くのも無理はないけれど、アルの言葉を疑う必要はないよ。彼はね、補助魔法具を一切使わなくても、さまざまな属性の魔法を行使できる本物のエキスパートなんだ」


「補助魔法具、なしで……!?」


「ああ。だからきっと、ルナリアの力になってくれるよ」


 グレンの言葉に、私は今度こそ息を呑んだ。


 この世界において、魔法とは極めて不安定で暴発しやすいエネルギーだ。

 そのため、一般的には魔導書や杖などの「補助魔法具」を介して力を安定させ、発動するのが常識とされている。

 大人の熟練魔法使いならまだしも、幼い子どもが補助具なしで魔法を操るなんて聞いたこともない。


 目の前にいる三つ編みの少年は、紛れもない「天才の一角」だったのだ。


「ま、場数が違うからね。君が今まで受けてきた型通りの授業とは違う、ちょっとしたコツならアドバイスできると思う。だから、遠慮なく俺を頼ってよ」


 アルは口元を歪めてニッと笑うと、大袈裟に手をひらひらさせてみせた。

 不思議と嫌味を感じさせないその態度に、私の心は激しく揺さぶられる。


(どうして……? どうしてこの人たちは、無能な私に、ここまで手を差し伸べてくれるの?)


 彼らを死なせないために、私は孤独でいなければいけない。

 そう決意したはずなのに。

 グレンのどこまでも真っ直ぐな肯定も、アルの常識を覆すような頼もしい提案も。

 私の閉ざした心の扉を叩いてくる。


(でも、何より嫌なのは……差し伸べられた彼らの手を、拒絶しきれない自分自身……)


 それが、世界を「全員生存ルート」へと導く希望の光なのか。

 あるいは全滅エンドへと加速させる引き金なのか、今の私にはまだ、知る由もなかった。


挿絵(By みてみん)

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