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1章-4. 未来の夢

 あの夕暮れの日から、私の奇妙な医務室生活が始まった。

 驚いたことに、グレンとアルの二人は、毎朝欠かさず私の様子を見に顔を出してくれた。


 窓から差し込む光を浴びながら、グレンは持ってきてくれた教科書やプリントをベッドの脇に並べる。


「ルナリアは、本当に座学の成績が優秀なんだね。提出されていた課題のレポートも高評価を頂いていたじゃないか」


「でも、私は……魔法の才能も、秀でた能力もない。どんなに本を読んだところで、ただの自己満足で……」


 うつむく私に、グレンは小さく首を振った。


「そんなことはない。国を動かし、支えるために、必ずしも魔法や武術が必要なわけじゃないだろう」


「グレン……」


「君が重ねてきた努力は、誰に何と言われようと、いずれ必ず大きな実を結ぶよ」


 そう言うと、グレンはそっとベッドサイドに歩み寄り、私の震える小さな手を両手で包み込んだ。


「だから、自分のしてきたことをどうか誇ってほしい、ルナリア」


 差し伸べられた彼の手は、私よりも少し大きくて、驚くほど温かかった。

 そこから伝わってくる体温と、痛みを分かち合おうとしてくれるような心地よい笑顔。

 私の胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


(本当に……子供とは思えないほど、優しすぎる人……)


 彼がどれほど真っ直ぐで、気高くて、素晴らしい人間かを知れば知るほど。

 私の胸の奥には、泥のような罪悪感がふつふつと湧き上がってくる。


 この人は、この先も多くの人々を救い、この国を導いていく光になるべき人材だ。


 それを、いつか「悪役令嬢」である私の存在が、無惨に終わらせてしまうかもしれない。


(……そんなこと、絶対にさせない)


 手のひらから伝わるグレンの温もりを、しっかりと記憶に刻み込む。

 私は心の中で静かに、けれど鋼のように固い誓いを立てた。


(どんな運命が待ち受けていようと、この光を私の手で消し去ることだけは、絶対にさせない。そのためなら、私は——)


 朝の清らかな光に満ちた医務室で、私は優しく微笑むグレンを見つめ返しながら、静かに覚悟を深めていた。


「魔法の才能がないねえ……。悪いけど、俺にはそうは思えないな」


 グレンの傍らに佇んでいたアルが、ふっと眼鏡の奥の青い瞳を細めた。

 その深い青の色彩が、私の心身の奥底を探るように向けられる。


「でも、どんなに頑張っても……学園の先生も、私には魔法の才能が『歴代最低値』だって、はっきり仰っていたわ」


 そう告げた私に対して、アルは一笑に付すように首を傾げてみせた。


「学園の先生の言うことが、いつでも絶対正しいとは限らないよ。魔法の才能なんて、ほんのささいなきっかけでいくらでも伸びるものさ」


「そういう、ものなのかしら……」


「よし、君の怪我が落ち着いたら、放課後にでも俺が直々に魔力特性を見てあげる」


 まだ同い年の初等部生だというのに、あまりにも不遜で、自信に満ちあふれた態度。

 アルは腕を組み、どこか楽しげに私を見下ろしている。


 戸惑う私に、グレンが誇らしげに、けれど苦笑を交えながら助け舟を出してくれた。


「驚くのも無理はないけれど、アルの言葉を疑う必要はないよ。彼はね、補助魔法具を一切使わなくても、さまざまな属性の魔法を行使できる本物のエキスパートなんだ」


「補助魔法具、なしで……!?」


「ああ。だからきっと、ルナリアの力になってくれるよ」


 グレンの言葉に、私は今度こそ息を呑んだ。

 大人の熟練魔法使いならまだしも、幼い子どもが補助具なしで魔法を操るなんて聞いたこともない。

 目の前にいる三つ編みの少年は、紛れもない「天才の一角」だったのだ。


「ま、場数が違うからね。ちょっとしたコツならアドバイスできると思う。だから、遠慮なく俺を頼ってよ」


 アルは口元を歪めてニッと笑うと、大袈裟に手をひらひらさせてみせた。

 不思議と嫌味を感じさせないその態度に、私の心は激しく揺さぶられる。


「ルナリア、君には何か——叶えたい夢があるかい?」


「夢……?」


 思いがけない問いかけに、私は言葉を詰まらせた。


 記憶を取り戻す前は、血の滲むような思いで勉学に勤しむ毎日。

 そして、前世の記憶を取り戻してからは、全滅エンドへの底知れない罪悪感と恐怖に苛まれる日々。


 私の頭の中に、「夢」なんていう温かで輝かしい言葉の居場所は、どこにもなかった。


「わからない……」


「そうか……」


 グレンは、私の暗い言葉を否定することなく、静かに受け止めてくれた。

 そして、おおらかで美しい碧玉の瞳で私を見つめ直した。


「なら、ルナリアがいつか自分の将来を、楽しみに考えられるようになるくらいまで――私が、君の力になるよ」


「……っ、どうして」


 胸の奥がキュッと締め付けられるような痛む。

 私は逃げるようにして、グレンの真摯な視線から顔を逸らす。


「グレン……どうして、そんなに私に関わろうとするの? 私とあなたは、つい最近までまともな接点すらなくて、ただのクラスメイトだったはずなのに……」


 私の問いに、グレンは少しだけはにかむようにして、けれど迷いがない声で答えた。


「君が、とても困っているように見えたから。……それに、私はただ、君が心から笑う姿を見てみたいんだ」


「え……」


「ルナリア嬢、もう諦めたほうがいい。この男は一度決めたら絶対に曲げない頑固者だし、何より、目の前で困っている人間を見過ごせな性格をしてるからね。多分逃げられないよ」


「む……。アル、言い方が不穏すぎるぞ。私はそこまで極端な人間ではない」


 不満そうに眉を寄せるグレンを無視して、アルは「いーや、極端だよ」と眼鏡の位置を直した。


「理想の貴族をそのまま絵に描いたような存在なんだよ、うちの若君は」


 アルの、からかうような、けれど呆れと確かな信頼の混ざった言葉。

 それが妙な説得力を持ってストンと私の胸に落ちてきた。


(そうか……。私だから特別、というわけじゃないんだわ。グレンは単に、放っておいたらそのまま消えてしまいそうな『困っている人』を放っておけないだけね……)


 その事実を理解した瞬間、私の脳内に、ひとつの奇妙な答えがひらめいた。

 

(私が早く元気になって、嘘でも幸せと言えば……。そうすれば、彼が私に関わる大義名分は消えて、自然と接点も薄くなっていくはず……)


 関わらないために、とりあえずは彼らに全力で甘えて、幸せを手に入れたふりをする。

 我ながらどこか辻褄の合わない、けれど今の私にとっては唯一の道を見出した。


(そのためにも、まずは考えなくちゃ。私にとっての『幸せ』が、一体どんなものなのかを……)


 胸の奥の、まだ冷え切った場所にそっと問いかけてみる。

 ぐるぐると、けれど必死に思考を巡らせているうちに、本音がぽつりと零れ落ちた。


「……大人に、なりたいな」


「大人……?」


 隣で私の呟きを聞いていたグレンが、きょとんと目を丸くした。

 背後で腕を組んでいたアルも、わずかに眉を動かしてこちらを見つめている。


 前世の私は、成人を迎える前に病室のベッドの上で短い生涯を終えた。

 だから、知りようがなかったのだ。

 自分の足で立ち、自分の責任で生きる大人になったら、一体どんな世界が広がっているのかを。


「あ、いや、その……っ! 大人になれば、きっと今よりも色々なことができるようになるのかな、って……。ただ、そう思っただけなの……!」


 けれど、私の予想に反して、グレンはハッとしたように息を呑んだ。

 そして、夕暮れの光の中で、彼はこれ以上ないほど優しく、そして本当に嬉しそうに顔を輝かせたのだ。


「……そうか。ルナリア、それは私と同じ夢だ」


「え……?」


「私も、早く大人になりたいと、ずっとそう思っていたんだ。早く一人前になって、自分の力で、守りたいものを守れるようになりたいと」


 グレンはベッドに預けていた上体を少しだけ乗り出し、愛おしそうな眼差しで私を見つめ返した。


 公爵家の三男という、生まれながらにして期待を背負う彼。

 前世での未練を抱える私。

 理由は全く違うけれど、私たちは今、この小さな医務室で、全く同じ未来を見つめていた。


「ルナリア。一緒に大人になろう。君と私が、色々なことができるようになるまで……ともに頑張ろう」


 優しく微笑むグレンは、夕陽よりも何倍も眩しくて、私の胸の奥を激しく揺さぶる。

 関わるまいと必死だったはずなのに。

 彼と同じ約束を交わしてしまいたいと願う自分が、確かにそこにいた。

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