1章-3.公爵家の「グレン」との話し合い .
彼は歩み寄ると、驚いたことに、その場に膝をついて私を見上げるような姿勢をとった。
地べたに膝をつくなど、高貴な身分である彼がするべきではない。
けれど、私の警戒を解くような仕草に一切のためらいがなかった。
「私はグレン・フォーサイス。もしかしたら、名前くらいは耳にしたことがあるかな?」
「はい……。フォーサイス公爵家の方、ですよね」
グレン・フォーサイス。
この国の最高峰に位置する公爵家の三男。
文武両道にして、初等部を代表する天才。
その名を知らない生徒など、この学園には一人もいない。
ゲームのキャラクターとして完璧すぎる彼が、なぜ私にここまで懇意するのか。
私は、夕陽に照らされた彼の横顔を見つめる。
「保健医の先生から君の怪我の状態を少し聞いたんだ。……それは誰に負わされたものなのか、私に聞かせてもらうことはできるだろうか?」
グレンの静かな問いかけに、私の心臓がドクリと跳ねた。
何も答えないわけにもいかなくて、私は震える声を必死に絞り出す。
「……い、いえ。これは……その、ただ私がドジをして、派手に転んでしまっただけ、ですから……」
自分で口にしながらも、あまりにも苦しすぎる言い訳だった。
服の下にあるのは、明らかに故意に刻まされた打撲痕だ。
階段から落ちたとしても、あんな風にはならない。
(ここで正直に言えば、少なくともあの家からは解放される……かもしれない)
それでも、私は実の父親を告発することなどできなかった。
この国において身内、特に抵抗できない子供への暴力は重罪とされている。
もし我が家の不祥事が公になれば、最悪の場合、爵位の剥奪や家門の取り潰しすらあり得た。
(そうなれば、私が真っ先に路頭に迷うことになる……)
そしてもうひとつ、何よりも私を縛っているのは、幼い頃に亡くなった今生の母親との約束だった。
『ルナリア。私があなたを守るから……あの人を、あなただけは愛してあげて……』
なぜ優しい母がそんな言葉を言ったのか、今の私にはまだ分からない。
けれど、記憶を取り戻す前の私も、そして今の私も、その約束を破ることだけはしたくなかった。
母の願いを踏みにじるくらいなら、私が黙って耐える方がずっとマシだった。
「……そうか……」
グレンは、沈痛な面持ちで私の言葉を聞き届けると、それ以上は何も聞いてこなかった。
嘘だと分かっているのだろう。
だとしても、あえて踏み込まない大人びた気遣いが、かえって私の胸をズキズキと痛ませた。
重苦しくなりかけた空気を変えるように、グレンがふっと表情を和らげた。
「そうだ。君の名前は……ルナリア・ペンバートンだったね。ルナリアと呼んでもいいだろうか?」
「えっ……? もちろんです、グレン様」
突然の提案に目を丸くする私に、グレンはさらに信じられない言葉を重ねる。
「私に対しても、その敬称や敬語はなしにしてくれ。気安く『グレン』と呼んでほしい」
「え、でも……! フォーサイス公爵家の方に対して、そんな不敬なことは……」
身分制度の厳しいこの世界。
下級……ましてや子爵令嬢が、公爵家の御曹司を呼び捨てにするなど許されるはずがない。
慌てて首を振る私に、グレンはにっこりと、有無を言わせない完璧な笑顔を向けた。
その碧玉の瞳が「呼んでくれるまで引き下がらない」と雄弁に物語っている。
「……う……グ、グレン……?」
観念して、今にも消えるような声でその名前を呼ぶ。
すると、彼はそれまでの大人びた仮面を脱ぎ捨てるようにして顔を輝かせた。
「よろしくね、ルナリア」
それは、今日彼が見せたどの表情よりも、年相応で、子どもらしい満面の笑みだった。
夕暮れの医務室で、彼の眩しい笑顔を見た瞬間、私の胸の奥がトクンと小さく跳ね上がる。




