3章-64.煌めく海原の街、早すぎるシナリオへの疑問
馬車を休まず走らせた翌日の昼前。
長い旅の果てに私たちが降り立ったダイアラの屋敷は、街の喧騒から少し離れたなだらかな高台の上に建っていた。
大きな窓から外の景色を見下ろすと、視界いっぱいにどこまでも広がる真っ青な海が、宝石のように煌めいている。
「ママ! 青いのキラキラ!」
「本当、綺麗ね……。実は私、本物の海を見るのはこれが初めてなのよ……」
私の横で、エリオスは窓ガラスに小さな手をぴったりと張り付け、夢中になって眼下に広がる雄大な景色を眺めている。
その愛らしい横顔を微笑ましく見つめていると、アルの怪訝そうな声がした。
「ねえ、グレン。俺の目の錯覚じゃなきゃさ……エリオス、少し見ない間にちょっとでかくなってない?」
「……やはり、アルもそう思うか。私の勘違いではないのだな。かなりの勢いで身長が伸びているし、その面立ちも少年に近づいているように見える」
グレンもエリオスの頭をそっと見下ろし、戸惑いが混ざりつつも同意した。
「竜人の生態ってのは本当に不思議だねえ。まあ、護衛する側の俺達としては、さっさと自分の身を自分で守れるくらいに成長してほしいところなんだけどさ」
「そうだな……。もちろん、幼くて無邪気なエリオスも十分に可愛らしいが……」
「お、グレン。ちょっと父親としての親心が芽生えちゃってない?」
アルがからかうように肩を突くと、グレンは一瞬きょとんとした後、少しだけ頬を染めて視線を彷徨わせた。
「……否定はできないな。おかしいな、私自身もまだ成人すら迎えていない身だというのに」
「中等部から高等部に上がったら、一応は貴族社会の上では成人判定なんだから、あとたったの一年じゃん。……まあ、今はとりあえず目の前の一週間を乗り越えてからって感じかな」
後ろで繰り広げられる二人の他愛のない会話。
その中の、ある一つの単語が私の耳に届いた瞬間。
私の肩は、まるで冷水を浴びせられたかのように大きく震えた。
(高等部……。そうだわ、まだ本当の舞台は始まってもいない)
本編の舞台は、「高等部」に進学してからのはず。
けれど、そこで違和感が私の胸の奥に頭をもたげた。
(あれ……? でも、私達はまだ中等部のはずよね。これじゃ、予定よりもかなり早く、本編のシナリオが発生していることになるんじゃない……? 一体、なんで……?)
何かがおかしい。
私の知らないところで、世界の運命の歯車が急速に狂い始めているのではないか。
疑問とともに、底知れない恐怖が胸の奥を駆け上がっていく。
「ルナリア、どうしたんだ? 顔色が悪いが……」
私のただならぬ様子にいち早く気づいたグレンが、心配そうに覗き込んできた。
「あ、ううん! なんでもないの、ごめんなさい……。ちょっと旅の疲れが出て、ぼーっとしちゃったみたい……」
「無理もないよ。ここのところ、まともに寝てないでしょ。エリオスのことは俺とグレンの二人でしっかりと見ておくから、ルナリアは自分の部屋で少し横になったら? いつまた、追っ手が現れて寝られなくなるか分からないんだからさ」
「……ええ、そうさせてもらおうかしら。お言葉に甘えて、少しだけ休むわね」
「僕もママと一緒に寝る!」
私たちの会話を聞きつけたエリオスが、窓辺から駆け寄ってきて、私の服をぎゅっと握りしめた。
「エリオス、ママは今、とても疲れているんだ。今は一人で静かに休ませてあげよう。その代わり、ルナリアが寝ている間は私とアルが一緒に遊んであげるからな」
グレンがエリオスの目線に合わせて屈み込み、優しく、けれど諭すようにその小さな肩に手を置いた。
「ううう……わかった……」
エリオスは眉を下げ、少しだけ残念そうにつむじを私に向けてうつむいてしまう。
その健気で愛らしい姿が切なくて、私も彼の前に膝をつき、その柔らかい頬を両手で優しく包み込んだ。
「エリオス、お利口さんにしていてくれてありがとう。お昼寝から起きたら、一緒に美味しくて甘いお菓子でも食べましょう? エリオスは、甘いものは好きかしら?」
私が微笑みながら問いかけると、エリオスはぱっと金色の瞳を輝かせた。
「すき! 甘いものだいすき! 約束だよ!」
エリオスの笑顔に心をほころばせながら、私は自分に用意された部屋へ向かった。




