3章-63.一週間の防衛線、公爵から託された選択肢
「……そして先日、またこの国で非公開の秘密会談が行われることになっていた。……だが、予定の時刻を過ぎてもエリオス王子殿下は一向に姿を現さなかったのだ。我々が捜索を開始した直後、お前達からの報せが本邸に届いたというわけだ」
フィン公爵は馬車の微かな揺れに身を任せながら、事の顛末を淡々と語った。
「なるほどねえ。事態がそれほど緊迫していたなら、フィンの動きが異様に早かったのにも納得がいくよ」
アルが合点がいったように片眉を上げ、細められた瞳でフィン公爵を見つめる。
「送られてきた手紙にあった身体的特徴と異常な状況からして、エリオス王子殿下本人である可能性が極めて高かったからな。もしも王子殿下の御身に万が一のことがあれば、再び竜人国は完全に国交を断絶するだろう。……いや、この状況を鑑みれば、そうなってもおかしくはない局面に立たされている」
「父上、今後はどうなされるのですか? 馬車の進路を見ると、王都ではない方向に向かっているようですが……」
グレンが違和感を覚えたのか、流れる窓の外の景色に視線を向けた。
フィン公爵が、隠しきれない緊張が滲ませながらも、つとめて落ち着いた声で答える。
「現在、私たちは港町ダイアラに向かっている。そこの沖合に、エリオス王子殿下を国へ送り届けるための竜人国の使者が乗った船が極秘裏に現れる予定だ。そこで王子殿下を彼らに引き渡す」
「ダイアラ、ねえ……」
アルがその地名を口の中で転がすようにつぶやく。
「あの、フィン公爵……。その竜人国の使者が港に到着するのは、いつ頃になるのでしょうか?」
私は膝の上のエリオスをそっと抱きしめ直しながら、一番気になっていた質問を投げかけた。
「一週間後だ。移動距離を考え、今後エリオス王子殿下はダイアラを中心に護衛する」
「い、一週間!? ……いえ、それほどの日数がかかるのも無理はありませんよね。竜人国から、遠く離れた場所にあるのですから……」
昨夜のような恐ろしい暗殺者たちからの襲撃を、これから丸七日間も耐え抜かなければならない。
その過酷な現実が、私の胸に重い焦燥感を刻みつけていく。
「これでもあちら側としては、かなり急いだ強行日程なのだ。……使者が到着するまでのその間、何があろうとも私たちはエリオス王子殿下を命に代えても守り抜かなければならない」
「だから父上は、私的な戦力だけでなく、公式に王宮騎士団の精鋭まで動員してここへ駆けつけたのですね」
グレンが、ようやくすべての納得がいったようにうなずく。
「そういうことだ。敵は一国の王子を暗殺しようとする、国家反逆者なのだからな。そのためにも、昨夜お前たちが遭遇した相手の戦力と規模がどうだったか、詳しく聞きたい」
フィン公爵の問いかけに、アルがいつもより声音を低く落として答えた。
「相当な手練れが複数……気配の数からして、数十人はいたね。全員が高度な気配隠しの術式でも使っているのか、俺の感覚でもさっぱり追えないほど逃げ足が早かったよ。しかもそのうちの一人は、あろうことか俺の空間制御を弾き飛ばしたんだ」
「それに……一部は、禍々しい闇の魔力を持っているようでした」
グレンのその言葉に、私は昨夜の不気味な魔力の共鳴を思い出し、背筋を冷たいものが走り抜けた。
二人の報告を聞いていたフィン公爵は、その内容の凶悪さに眉根を寄せた。
「グレン……それにアルが手こずるほどの相手となると、ただの野良の犯罪者集団ではないということだな。事態は想像以上に深刻だ。王宮騎士団の総本部へ、後ほどさらに増員の要請を送ろう」
その頼もしい提案に、アルは悩ましげに腕を組む。
「……これは俺の肌感覚としての推測だけど。王宮騎士団の皆さんじゃ苦戦……どころか太刀打ちできないかもね。まあ、敵を足止めするための警戒の目は、少しでも多い方がいいけど」
アルは窓の外で馬車を護衛する騎士たちに視線を向けた。
吸血鬼の彼の言葉だからこそ、その評価には冷静な現実味があった。
「お前がそこまで言うのなら、誇張ではなく事実なのだろうな。……グレン、ルナリア嬢。お前達はどうする?」
フィン公爵は再び息を吐き出すと、私達二人を見据え、静かな声音で問いかけてきた。
その厳格な瞳の奥には、どこか試すような、心配をにじませた色が混じり合っている。
「……私達に、今後の同行を選ぶ権利をくださるのですか? ……有無を言わさずに、王都へ送り返されると思っていました」
グレンが驚いたように声を漏らすと、フィン公爵は厳しい表情を崩さずに首を振った。
「エリオス王子殿下の今の様子を見れば、お前達がどれほど慕われているかは一目瞭然だからな。無理に引き離せば彼の精神にどんな影響が出るか分からん、というのが理由の一つだ」
フィン公爵は、私の膝の上で馬車の内装をぺたぺたと触っているエリオスへと視線を落とし、それから再び私達へと向き直った。
「それに……昨夜の襲撃者の性質が『闇』であるならば、それを撃ち払うグレンの神聖魔法、そして敵と同じ闇属性のルナリア嬢が、この先の防衛線で必要となるかもしれない」
そこまで言って、フィン公爵は一度目を閉じた。
再び開いたその瞳には、ためらいと共に、案じるような複雑な光がにじんでいる。
「だが……まだ成年もしていないお前達を、一国の命運を懸けた命がけの危険に、大人の都合で無理にさらすわけにもいかない。これは強制ではない。ここで王都への帰還を望むなら、私は喜んで相応の護衛をつけよう」
フィン公爵の言葉に、車内へ沈黙が降りる。
戦力として期待しつつも、子供として守られるべきだという大人の葛藤。
それを受け止めながら、私とグレンはどちらからともなく、ごく自然に視線を見合わせ、互いの意思を確認し合った。
私達は同時にうなずき合うと、フィン公爵の目を迷いなく見つめ返す。
「ここまで来て、私一人だけ安全な場所へ引き返すという選択肢はありません、父上。この女神の槍に懸けて……私も最後まで、エリオスを守り抜きます」
「私も同じ気持ちです、公爵様。エリオスが、理不尽な暗殺者たちに命を狙われていると知ってしまった以上、じっとしてなんていられません。わずかでも彼を守るためのご助力になるのでしたら……どうか、このまま最後までついていかせてください」
エリオスの小さな手をそっと握りしめながら、私はフィン公爵の眼差しを正面から受け止めた。
「……ふっ、そう言うと思っていた」
私達の固い決意を聞いたフィン公爵は、すでにその答えを知っていたかのように、どこか誇らしげに、けれど困ったように微かに微笑む。
「すでに目的地である港町ダイアラには、王宮が管理する頑強な屋敷を中心に、隙のない警備網を敷いてある。よほどのことがない限り、その防衛網を突破されることはないとは思うが……くれぐれも無理はするな」
公爵のその言葉は、指揮官としてではなく、一人の父親としての温かい熱に満ちあふれていた。
エリオスの命を守るという使命。
そして、全滅エンドへの分岐点。
壮絶な一週間が今、始まろうとしていた。




