3章-62.国境を超えた殺意、エリオスの正体
宿屋の外へ出ると、そこには朝靄が立ち込めるのどかな田舎村の風景にはおよそ似つかわしくない、壮麗な光景が広がっていた。
豪華な装飾が隙間なく施された、公爵家の権威を象徴するような重厚で巨大な馬車。
そして、その周囲を固めるのは、見事な毛並みをした筋肉質な軍馬に跨り、一分の隙もない鉄の隊列を組んだ王宮騎士団の精鋭。
村人達が遠巻きに見守るなか、最も大きな馬車の扉が開き、威風堂々とした佇まいでフィン公爵が地上へと降り立った。
「……怪我はないようだな」
フィン公爵は私たちを一瞥すると、まずは安心したように一息ついた。
「父上……どうしてわざわざ、このような辺境の村にまで直々にいらっしゃったのですか?」
グレンが一歩前に出て、驚きを隠せない様子で自身の父親へと問いかける。
フィン公爵はいつになく張り詰めた表情のまま、私と手をつないだ小さな幼子を見つめた。
すると、信じられないほど深く、彼に一礼を捧げた。
「無論、エリオス王子殿下のためだ。グレン、ルナリア嬢……そしてアル。彼の御身を無事に保護してくれたこと、心より感謝する」
その言葉が耳に届いた瞬間、私達は思わず互いに顔を見合わせた。
「エリオス……王子? あの、父上、一体どういうことですか……?」
グレンの困惑に満ちた声が、静かな朝の空気に震える。
この国の最高権力者の一人である彼の父親が、最高級の敬称を使い、頭を下げている。
その異常極まる光景に、私の心臓は早鐘を打ち始めた。
「……時間がない。すぐに追っ手の第二陣が動く可能性もある。馬車に乗りながら、移動中に詳細を話そう」
フィン公爵はそれ以上の質問をさえぎるように短く告げると、再び重厚な馬車の中へと足早に乗り込んでいった。
私達は大きな困惑と胸騒ぎを抱えながらも、フィン公爵が待つ馬車へと続いて足を踏み入れるのだった。
「おっきい馬車! きれい! たのしい!」
公爵家の豪華な馬車が滑らかに走り出すと、エリオスは相変わらず私の膝の上で、車内の美しい内装を珍しそうに眺めながらはしゃいでいた。
周囲を包む深刻な空気などどこ吹く風といった様子で、小さな身体を揺らして楽しそうにしている。
「エリオス王子……ねえ。この子はもしかして、あの竜人国の王族ってこと?」
アルがあごに手を当て、探るような青い瞳を隣のフィン公爵に向けた。
フィン公爵は厳格な顔を崩さないまま、静かにうなずく。
「そうだ。彼は竜人国の王弟、エリオス王子殿下だ」
「そんな……まさかエリオスが……いや、エリオス王子殿下とは思いもしませんでした。これまでの数々の非礼、どうかお許しください」
伝説の王族が隣にいたという衝撃の事実に、グレンは背筋を正し、跪かんばかりの勢いで頭を下げようとした。
しかしそれを聞いたエリオスが、不満げにぷくっと両頬をこれ以上ないほど大きく膨らませた。
「そのよびかた嫌! いつもの!」
「し、しかし……流石にこれまでのようには……」
「いーやー!」
エリオスは本当に今すぐ大泣きしてしまいそうなほど目を潤ませながら、小さな拳を握りしめてグレンに抗議の視線を向けた。
大好きなグレンから急に冷たい壁を作られたような気がして、寂しくてたまらないのだろう。
「うぐ……父上、大変申し訳ありません。彼の精神がこのような状態である以上、しばらくは彼に敬称も敬語も使いませんが……どうかお許しください……」
幼子の必死な涙の訴えに完全に気圧されたグレンは、困り果てたようにフィン公爵へ頭を下げた。
「……まあいいだろう。不測の事態だ、臨機応変に対応せねばならない。では、まずは私がもっている情報を渡すとしよう」
公爵はエリオスのわがままを受け入れると、表情をいっそう引き締め、私たち全員を見据えた。
「ルナリア嬢。君も、竜人国が現在完全に国交を断絶していることは知っているだろう」
「はい、竜人はすでに伝説とも言えるくらい、実際に姿を見たことがある人すら現存しないと……そうお伺いしています」
私は腕の中のエリオスの、まだ柔らかい銀髪をそっと撫でながら応えた。
私の膝の上で無邪気に笑うこの子が、まさか国を代表するような重鎮だなんて、未だに現実感が湧かない。
「……その通り。だがエリオス王子殿下は、近年……我が国との国交を復活させるために、身分を隠してお忍びで何度かいらっしゃっていたのだ」
「そ、そうなのですか父上!?」
グレンが驚きの声を上げ、動揺をあらわにした。
フィン公爵の口から語られたそれは、国家規模の極秘中の極秘事項だった。
「我が国としては、強大な力と資源を持つ竜人との国交は歓迎であったが……竜人国側では、誰もがそう思っていたわけではなかったようだ。人族と再び交わることを良しとしない保守派の、彼に対する反発は凄まじいものがあったらしい」
「なるほどねえ……。つまり、人族との融和を望むエリオス王子を目の敵にした『国交断絶派』の連中が、彼を亡き者にしようと画策した……というのが今回の発端なのかな?」
アルが腕を組み、昨夜の暗殺者の強さを思い出すように瞳を細めた。
ただの暗殺事件ではなく、背景にあるのは国を二分するような激しい政治闘争。
昨夜の仮面の男たちが放っていた、あの異常なまでの執念と実力にも合点が行く。
「まだ確証はないが、その可能性はきわめて高いと見ている」
公爵は重々しくそう締めくくり、深くため息をつくのだった。




