3章-60.失われた秘法の使い手、大人げないアルのプライド
仮面の男が夜の帳へと消え去り、張り詰めていた冷たい空気がわずかに消える。
しかしグレンは、まだ落ち着かない様子で私へ視線を向けた。
「それにしてもルナリア……。先ほど君たちはどうやって、あの部屋の外に出たんだ? 私の目には、二人の姿が一瞬でその場から掻き消えたように見えたのだが……?」
「それなんだけどね、グレン……。どうやら、エリオスの魔法みたいなのよ」
「エリオスの……魔法?」
グレンが信じられないといった風に、私の腕の中にいる小さな男の子を見つめる。
すると、当のエリオスは私の胸元からひょっこりと顔を出し、小さく自慢げに胸を張った。
「転移魔法だよ!」
「転移魔法……!? やっぱり、俺が別荘で感じた空間の違和感は、それだったか……」
普段冷静なアルが、口元に手を当てながら驚いてエリオスを見つめる。
私は、自身の知識をアルへ確認するように問いかけた。
「アル、転移魔法ってもう、この世界には現存しない魔法のはずよね?」
「そうだね。現代では使い手も術式も完全に途絶えたとされる、古代魔法のひとつだよ。ただ者じゃないとは思っていたけれど、エリオスはやっぱり、相当な魔法使いだったみたいだね」
アルは納得したように、改めてエリオスへと視線を向けた。
当のエリオスはといえば、注目を一身に集めたことが嬉しくてたまらないのか、ぱっと顔を輝かせる。
「僕、がんばったよ!」
「ええ、本当にすごかったわ、エリオス。……でも、そんな強大な魔法を急に使って……あなたの体は何ともないの? どこか痛いところや、苦しいところはない?」
私はエリオスの小さな両手をそっと握り、その顔色を確かめるようにうかがった。
私の必死の心配を余所に、エリオスはただ不思議そうにきょとんとしている。
やがて、その小さな可愛らしいお腹から、ぐう、と小さく無邪気な音が鳴り響いた。
「……おなかすいた?」
大魔法を使った代償が、まさかの単なる空腹。
あまりにも規格外すぎる竜人の生態に、私達は思わず顔を見合わせて、ふっと力なく笑ってしまった。
「あんなに大きなお部屋の騒動もあったし、びっくりしてお腹が空いちゃったのね。……あとで、お部屋に戻ったら何か夜食を食べましょうか」
私はまだ消えきらない恐怖の残滓を上書きするように、彼の銀髪を優しく撫でる。
「あともうひとつ……今の会話で、確信を持ってわかったことがあるよ」
アルがそれまでの不敵な笑みを消し、真剣な表情をして人差し指をピンと立てた。
「え、いったい何が分かったの……?」
「エリオスが失われた古代魔法の知識を保持しているってことはさ。卵に退化して幼児化する前は、相当な長い年月を生き抜いてきた竜人のはずなんだよ」
「そういうことに……なるかしら?」
言われてみれば確かにその通りだ。
神話の時代に近い術式を当然のように扱えるということは、彼の生前の実年齢は計り知れない。
私が納得しかけた時、アルはぐっと拳を握りしめ、ものすごい気迫で声を荒らげた。
「つまり……こいつ、生前の年齢を含めたら絶対に俺より年上だ! 断じて、俺が『おじちゃん』呼ばわりされる覚えはない!」
「ア、アル……そこまで本気で、あの呼び方を気にしていたの?」
まさかの不寛容な言葉に、私は盛大に脱力してしまった。
「おじちゃん……怖い……」
アルの剣幕に怯えたのか、エリオスは半泣きになりながら、私の胸へと顔を埋めて隠れてしまった。
「っぐ……だから、その『おじちゃん』っていう呼び方を今すぐやめろって言ってるの!」
エリオスの一言と様子に、アルはさらに頭を抱える。
見かねたように、グレンが腕を組んだまま冷静にアルへ告げる。
「だが、記憶を失って生まれ変わった今のエリオスは、実質的にアルよりはるかに年下と言っていいだろう? そう考えれば、彼の呼称もそんなに間違ってもいないような気がするが……」
「いや、理論上はそうかもしれないけど……俺の心情的にどうしても納得できない……!」
アルはなおも不服そうに、私の後ろに隠れるエリオスを憎々しげにじっと見つめている。
その必死すぎる姿がおかしくて、私はグレンに小さな声で耳打ちした。
「アルのこんなに大人げない姿、私、初めて見たわ……」
「私もだ。いつも余裕ぶっている男が形無しだ。なんだかちょっと……小気味いいな」
「そこ! 二人して何をこそこそ話してるの! あーもう……見た目は若いじゃん……見た目はさ……!」
暗殺者達を退け、緊張が解かれた夜の帳の中。
アルの必死すぎる悪あがきの声が、どこか虚しく響き渡るのだった。




