3章-55.エリオスの特等席、彼の急激な成長
別荘を発った馬車が街道を走り出すと、エリオスはご機嫌な様子で私の膝の上にちょこんと乗った。
そして、車窓から流れる景色を興味津々で覗き込んでいる。
「おでかけ! たのしい!」
「ふふ、そうね。天気も良いし、本当だったら……最高のお出かけ日和よね」
私は瞳をキラキラさせてはしゃぐエリオスの髪を撫でながら、外の青空を見上げて少しだけ肩の力を抜いた。
下手人が追ってくるかもしれないという緊張感は消えない。
だが、この子の純真無垢な明るさ、が車内の重苦しい空気をいくらか和らげてくれていた。
「アル、この後の移動予定はどうなっているんだ?」
私のすぐ横に座るグレンが、周囲への警戒を解かないまま、向かいの席のアルに確認する。
「順調に行けば、夕方には街道途中の小さな村に着く。さすがに夜間移動は危険すぎるから、今日はそこで一泊する予定だよ」
「村か……。王都と違って、さすがに常駐の騎士団はいないだろうな。となると、万が一の事態が起きたとき、エリオスを守れるのは実質私達だけか」
「公爵家の身の回りを世話する少数の使用人しか連れていないからね。まあ、夜間は俺が寝ずの番で護衛するから、君らは明日の移動に備えて安心して眠りなよ」
「ママ! おおきい雲! 鳥みたい!」
「ええ、本当ね。白鳥さんみたい」
大人たちが護衛の計画を立てている最中も、エリオスは空の雲を指差して無邪気に笑っていた。
「ルナリア、ずっと膝に乗せてて疲れない? ただでさえ気を張ってるんだから、子どもの世話は大変でしょ。ほら、エリオスは俺の横に来な」
アルは向かいの席からエリオスに向けて、ぽんぽんと自分の隣の空いたスペースを叩いてみせる。
「おじちゃんの横やだ! ママの膝がいい!」
エリオスはアルをちらりと見ただけで、私の服をぎゅっと掴んでぷいっと顔を逸らしてしまった。
「……俺の吸血鬼としての完璧な肉体操作は、この六百年間誰一人として看破したことなんてないのに。なんで頑なにおじちゃん扱いなんだ……竜人は本質を見抜く観察眼が鋭いのか……?」
少年の姿を完璧に維持している偽装が、幼児のエリオスに完全に見透かされている。
その事実に、アルはぼやきながら不服そうにしていた。
「ふふ、アル、私は大丈夫よ。エリオスがここで安心してくれるのなら、それが一番よ」
私がそう言うと、隣で様子を見ていたグレンが、少しだけ身を乗り出してエリオスに優しく声をかけた。
「それなら、私の膝はどうだ? ルナリアの膝ほど居心地が良くないかもしれないが……」
グレンが提案すると、エリオスはぱっと顔を輝かせた。
「パパのひざ! のりたい!」
エリオスは私の膝からぴょんっと飛び降りると、大喜びでグレンのたくましい太ももの上へとよじ登る。
グレンは突然のことに少し慌てながらも、落ちないように両手でしっかりとエリオスの小さな身体を支えた。
「パパのひざ、あったかい!」
「そうか……。それなら良かった」
グレンは嬉しそうに目を細め、エリオスの銀髪を撫でる。
「……なんか、俺だけ扱いひどくない?」
向かいの席で一人ぽつんと残されたアルが、いじけたように窓の外を向いたのだった。
夕方にさしかかる頃、馬車の中ではしゃぎ回っていたエリオスは、グレンの膝の上で気持ち良さそうに眠ってしまった。
小さな寝息を立てて丸まる彼を落とさないよう、グレンはそっと大きな手を添えて大切そうに支えている。
「……どうやら、無事に目的地に着いたみたいだよ」
向かいの席のアルの言葉と同時に、馬車が速度を落としてゆっくりと完全に止まった。
車窓の外を覗くと、そこには夕暮れに染まるのどかな風景と小さな村が見える。
「村の奥にある宿屋はもう押さえてあるからね。今日はみんなそこでゆっくり休むんだよ。……と言っても、何が起こるか分からないこんな状況じゃ、まともに熟睡するのは無理かもしれないけれどね」
「そうだな……。警戒だけは怠らないようにしよう。……エリオス、起きれるかい?」
グレンは膝の上の幼子へ優しく声をかけ、その小さな肩をそっと揺すった。
「うみゅ……」
エリオスは小さく身悶えして声を漏らしたものの、きゅっと目を閉じたままで一向に起きる気配がない。
すっかり深い眠りに落ちてしまっているようだ。
「仕方ないな。このまま抱き上げて運ぶか」
グレンは愛おしそうに苦笑しながら、エリオスの小さな身体を優しく胸の中へと抱きかかえ、馬車の座席から立ち上がった。
「……ん?」
エリオスをしっかりと腕に収めた姿勢のまま、グレンが不意に動きを止め、怪訝そうに眉をひそめた。
「どうしたの? グレン」
彼の様子に、私は荷物をまとめる手を止めて顔を覗き込んだ。
「いや……なんだか、今朝別荘で抱き上げたときよりも、体が少し大きくなっているような気がするんだ。気のせいか、腕にかかる重みも増しているような……」
「そう、かしら……?」
私は、彼の胸の中で無防備に眠るエリオスを観察する。
今朝、出発する前に着せたばかりのグレンのお下がりの服。
確かに、朝の時点では少しぶかぶかとして袖口や裾が余っていたはずだ。
今は心なしか、その丈が彼の身体に馴染んでいるように見える。
「成長している……ということ?」
私が思わず声を潜めて問いかけると、グレンは腕の中の重みを確かめるように、もう一度エリオスの体をそっと抱き直した。
「私の勘違いかもしれないが……もしかしたら、竜人の成長はとても早いのかもしれないな」
グレンは驚きを隠せない様子で。碧玉の瞳を困惑で揺らす。
伝説の種族の生態に驚きながらも、私はグレンの胸の中で無防備に眠るエリオスを優しく見つめるのだった。




