3章-53.朝陽のなかの天使、守るべき命
翌朝、私は完全に緊張の解けない浅い眠りから、ゆっくりと目を覚ました。
まだ薄暗い室内の枕元へと視線を向ける。
そこには昨夜、卵から生まれたばかりの幼い竜人が、すやすやと規則正しい健やかな寝息を立てて丸まっていた。
「ふゆ……」
小さな唇から微かな寝言が漏れる。
何か楽しい夢でも見ているのか、笑みを浮かべるようにして幸せそうに口元を緩めている。
空から上り始めたばかりの柔らかな陽の光が優しく差し込み、その綺麗な銀髪をきらきらと撫でていた。
急遽用意した、グレンが小さい頃に着ていたという服に身を包んだ彼は、昨夜のことが嘘だったかのように安心しきって熟睡している。
(これから一体、私達はどうなっちゃうの……)
前世の記憶が、私の胸の奥にはどうしても不安がよぎる。
それでも、この無垢な寝顔を起こしてしまわないように、私は音を立てないようにゆっくりと身を起こした。
簡単に朝の身支度を整えていると、部屋の扉から遠慮がちに控えめなノックの音が響いた。
「ルナリア、もう起きているか?」
扉の向こうから、グレンがかなり小さな声音で尋ねてくれた。
「ええ、大丈夫よ。彼はまだ気持ち良さそうに眠っているから、静かに入って」
「失礼する……」
音を立てずにドアを開けて入ってきたグレンは、私に微笑みかける。
そして、毛布にくるまって眠る小さな竜人をじっと見つめた。
「こうして静かに眠っている姿を見ると……普通の人間の子どもにしか見えないな」
「うん……とってもかわいい……」
私とグレンは並んでベッドサイドに腰掛け、彼の愛らしい寝顔をそっと覗き込む。
昨夜狼狽していたグレンの碧玉の瞳にも、今はすっかり穏やかで優しい光が灯っていた。
「でも……この子は昨夜、あんな森の奥で、殺されるほどの酷い目に遭っていたのよね」
私の言葉に、グレンの表情が引き締まる。
「ああ。……もしも彼が、明確な意図を持って何者かに命を狙われているのだとしたら、今後もその危険は継続するだろう」
「竜人が強い種族なのだとしたら、たまたま不運で野盗の群れに襲われた……なんて突発的な事故は考えにくいものね。一刻も早く、彼を安全な竜人国に送り届けてあげないと……」
「そうだな。何百年も国交を断絶している神秘の国との連絡は困難を極めるだろうが、彼の身の安全を最優先に考えるなら、一刻も早く故郷に帰すのが一番の選択だろう」
「うにゅ……」
私たちが交わしていた小さな話し声の気配を敏感に察したのか、小さな竜人が、身悶えしながらゆっくりと目を開けた。
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
私が声をかけると、彼はぱちぱちと金色の瞳を瞬かせる。
私達の方を見つめ、まだ夢見心地のまどろみのなか、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「パパ……ママ……おはよう……」
その可愛い挨拶に、私の焦りや不安は一瞬で吹き飛んでしまう。
しかし、その愛らしい勘違いはさすがに正さなければならない。
「……ごめんね。私達はあなたのお父さんとお母さんじゃないの。たまたま、あなたが倒れていた場所の近くに居合わせただけで……」
これ以上の誤解はまずいと判断し、噛み砕くようにして事実を伝えてみた。
「パパ! ママ!」
私の言葉なんてこれっぽっちも聞こえていないかのように、彼はベッドのシーツを蹴る。
私とグレンのそばへと、小さな身体を弾ませるようにして飛び跳ねながら寄ってきた。
そのまま私のブラウスの袖をぎゅっと小さな手で握りしめ、金色の瞳をこれでもかと輝かせている。
「ええと……どうしよう、グレン……」
私は困り果ててグレンを見上げる。
グレンは、同じく困ったようにあごに手を当てる。
「本物のご父母の方々には少し申し訳ないが……。彼がこれほど懐いてくれているんだ。とりあえず、このまま呼ばせておこう。……なんだか、少しこそばゆいが」
「そうね……。……とりあえず、これから一緒に過ごすにあたって、この子のことを何て呼ぼうかしら。『竜人くん』じゃ、ただの種族名だものね」
私がそう提案すると、グレンはベッドに膝をつき、幼子の目線に合わせるようにして優しく微笑みかけた。
「……ねえ、君の名前は、何と言うんだい? 覚えているだろうか?」
「なまえ?」
幼い竜人は、小さな人差し指を口元に当てて、記憶の底を探るようにしばらく小さな頭をひねっていた。
「……えり、お……す……?」
やがて、その薄い唇から、たどたどしくも一つの響きがこぼれ落ちる。
「えりおす……、エリオスであってる?」
私がその響きを繰り返すと、幼い竜人は嬉しそうに両手をパタパタと動かした。
「うん! ママ!」
そう言って、エリオスは私の胸元へと無邪気に飛び込んできた。
腕の中に滑り込んできた小さな身体は驚くほどに柔らかく、そして温かい。
この子が、一歩間違えれば全滅エンドへと繋がる存在とは思えないほどに。
(ゲームの全滅エンドを回避するためっていうのももちろんあるけど……こんなに小さくて無垢な子が、理不尽に命を落とすだなんて……絶対に嫌。私が必ず守ってみせる)
腕の中で、私の服をぎゅっと握りしめて幸せそうに笑うエリオス。
その驚くほどに柔らかくて温かい愛らしさに触れ、私は仮初めの母親としての決意を固めるのだった。
「エリオス。君は自分の名前以外に、何か覚えていることはあるかい? 例えば……昨夜の森で誰かに襲われたこと、とかは……」
グレンはエリオスと同じ目線になるようにしゃがみ込み、ためらいがちな優しい声で、慎重に情報を探ろうとする。
「んー……?」
エリオスは金色の瞳を瞬かせながら、不思議そうにこてんと小首をかしげるだけだった。
何度か首をひねってみせるが、その表情には何も浮かんでこない。
「……どうやら、卵になる前の青年の姿だった頃の記憶は、すべて消えてしまっているようだな」
グレンが手がかりを失ってわずかに残念そうな、複雑な声で息を吐く。
「残念だけれど、そうみたいね。……でも、覚えていないほうが、結果的にエリオスの心のためには良かったのかもしれないわ。きっと、思い出したくもないくらい恐ろしい経験だったでしょうから……」
「それもそうだな……」
私は腕の中のエリオスの小さな頭を、愛おしむように優しく撫でた。
過去の凄惨な記憶を失い、無垢な幼子として私たちの前に現れたエリオス。
彼を傷つけた正体不明の下手人の影は依然として近くの森に潜んでいるかもしれない。
だがそれでも今、この子が痛みも恐怖も忘れて笑ってくれていることだけが、私たちにとって何よりの救いだった。




