3章-48.湖畔の別荘地、成長したグレンの姿
あの吸血鬼の騒動から、早いもので一年と少しの月日が流れた。
一時はどうなることかと思った『全滅エンド』のフラグの数々も今は遠くに感じられる。
私たちはそれまでの怒涛のような日々がまるで嘘だったかのように、穏やかで満ち足りた学園生活を満喫していた。
そして現在は、二学年の終わりを迎えた長期の休暇を過ごしている。
日頃の疲れを癒やそうというグレンの素敵な提案もあり、私たちはフォーサイス公爵家が所有する静かな別荘へと遊びに来ることになったのだ。
「わあ……綺麗な湖……!」
馬車から降り立った瞬間、目の前に広がった息を呑むような絶景に、私は思わず歓声をあげていた。
澄み切った湖畔に佇む、大きな白壁の別荘。
そして視線を巡らせれば、どこまでも清らかで大きな湖が青く優美に広がっていた。
心地よい涼やかな風が優しく肌を撫で、旅の疲れが消えていくのが分かる。
「ここの辺り一帯はすべて公爵家の私有領地なんだ。他の目を一切気にすることなく、心ゆくまでゆったりと過ごせるだろう」
私のすぐ隣に、歩調を合わせるようにしてグレンが並び立つ。
ふと見上げた彼の姿に、私は改めて胸の奥が小さく跳ね上がるのを感じた。
この一年という時間の中。
彼は驚くほど急速に、少年から一人前の『青年』と言っても差し支えないほどの目覚ましい成長を遂げていたのだ。
かつては私とさほど変わらなかった目線は高くなり、見上げるほどに背格好が大きくなっている。
肩幅も男性らしくなり、私を優しく気遣ってくれる声にも、大人の低い響きが混ざるようになっていた。
「こんなに贅沢で素敵な場所、本当に私なんかも一緒に来てよかったの?」
「もちろんだ。むしろ、この美しい景色を……世界中で誰よりも、ルナリアにこそ見てほしかったんだ」
「そ、そう……。ありがとう、嬉しいわ」
グレンは碧玉の瞳に、深い情愛の光を灯して私をじっと見つめてきた。
彼の積極的なアプローチに、私の方がドギマギしてしまう。
「この別荘は、私も小さい頃から特に気に入っていた場所なんだ。空気が穏やかで、ここへ来ると時の流れがいつもよりゆっくりに感じられる。ルナリアなら、きっとここを気に入ってくれるだろうと思っていたよ」
「うん……。本当にありがとう、グレン」
あれから、私達の周囲で特に大きな事件は起きていない。
まだ油断はできないけれど、全滅エンドの気配を感じさせない日々は、私の心を優しく解きほぐしていった。
穏やかな湖面を見つめながら、私はこの贅沢な幸福をいつまでも守り抜きたいと、心から願うのだった。
「お二人さん。せっかくの良い雰囲気のところを邪魔してすっごく悪いんだけどさ、食堂の方で食事の準備が整っているそうだよ」
私たちの背後から、いつものように足音もなく、ひょっこりとアルが姿を現した。
長い黒髪を一本の三つ編みにきれいに結わえた彼は、ひらひらと手を振りながらこちらに近づいてくる。
あの大騒動を乗り越えてからのアルは、すこぶる調子が良いように見える。
私の血を定期的に吸ってくれることで、彼の内なる乾きが癒やされ、本来の元気と明るさに繋がっているのだと思うと、私は誇らしくて何よりも嬉しかった。
「そうか。それでは行こうか、ルナリア」
「ええ、そうね。……あ、そうだ、アル! 食後で全然構わないから、また私の影魔法の個人訓練に付き合ってくれない?」
ふと思いついてお願いすると、アルは両手を広げて肩をすくめてみせた。
「君の影魔法か。もう俺から新しく教えられることなんてなさそうだけどね。……まあいいよ、可愛い教え子の頼みだし、食後にじっくりと付き合ってあげる」
「いつもありがとう、アル」
「ルナリア……。今日ここに到着したばかりだというのに、本当に身体は大丈夫なのか? せっかくの待ちに待った休暇なのだから、初日くらいは訓練のことは忘れて、ゆっくり休んでも……」
隣のグレンが、私の体調を心から心配するように覗き込んできた。
青年へと格好良く成長しても、私に対するこの過保護で生真面目な優しさは、出会った頃から何も変わらない。
その愛おしさと優しさに、胸の奥がいつも温かくなる。
「心配してくれてありがとう、グレン。でも、ここなら周囲に誰もいないし……大掛かりな練習もできそうなほど、広大なスペースがあるでしょう? この最高のチャンスを絶対に逃したくないの」
私が手をぎゅっと握って意気込みを語ると、グレンは諦めたように優しく目を細めた。
「ルナリアがそこまで言うのなら……。よし、私もその訓練に付き合おう。君に無茶をさせて怪我でもされたら、それこそ生きた心地がしないからね」
「……グレンが横にいるだけで、ルナリアのモチベーションは限界突破しそうだしねえ」
「そ、そんなこと……! もう……」
アルのニヤニヤとしたからかいの言葉に赤面しつつ、私達は美味しそうな匂いの立ち込める別荘の中へとゆっくり足を運んでいく。
振り返った先、夕暮れの陽光を浴びた大きな湖面は、波さえ立っていないように見える。
私たちのこれからを祝福するように、どこまでも心地よく凪いでいた。




