3章-47.影魔法の焦れったい成長、黄昏を引き裂く血の匂い
食事後の少しひんやりとした風が吹き抜ける、黄昏の光の中。
私達は、別荘の裏手に広がる遮るもののない開けた場所に集まってた。
「影を動かしたりするのはできるのだけど、そこから発展させるのが難しくて。吸血鬼との戦いではできた影の固定も、なかなか安定しないの」
私は自分の足元から伸びる黒い影を見つめながら、もどかしさに小さく溜息をついた。
あの決戦から一年間。
影魔法の領域は、まるで深い霧に包まれているかのように一歩も進まない。
「俺も影魔法を使っている奴を、過去に一回見たことがあるだけだからね。これ以上上手くなるための具体的なアプローチを教えるのはさすがに難しいな」
アルは近くの切り株に腰掛け、長い三つ編みを指先で弄びながら苦笑した。
魔法の熟達者の彼ですら、手探り状態のようだ。
「でも、アルでも難しいのなら、いったい誰が教えられるの?」
「うーん。少なくとも、この国にはいないかも。それこそ歴史ある魔法大国とかの上澄みにいる、教科書に載るような伝説級の魔法使いとかじゃない?」
「それは……かなり難しそう……」
世界中を探さなければ見つからないような雲の上の存在を挙げられ、私はがっくりと肩を落とした。
「そこまで魔法使いなんて、基本的には国家お抱えの重要人物だろうからね。まあ、今すぐ強くならなきゃいけない特別な理由もないんだし、ゆったり自分のペースで上達すればいいんじゃない?」
「そう、ね……」
私は曖昧に相槌を打ちながら、自分の手のひらをそっと見つめた。
焦る必要なんてどこにもない。
しかし、私の胸の奥には、言葉にできない微かな焦燥がくすぶっていた。
高等部入学まで、あと残り一年。
この幸福な平穏がいつまでも続くとは限らないという不安が、どうしても心の片隅にこびりついている。
そんな私の陰りを、グレンは見逃さなかった。
「ルナリア。もし、これから先どんな災厄が迫ってこようとも……私が必ず君を守る。だから、そんなに焦らなくていい。無理のない歩幅で、一歩ずつ進んでいこう」
グレンが私の隣に寄り添い、私の手へと優しく己の大きな手を重ねてた。
私よりずっと大きくなった彼の手が、驚くほどの安心感を私に与えてくれる。
「そうね……ありがとう、グレン、アル……」
二人の温かい優しさに触れ、私の焦りがふっととけていく。
紫色の夕闇が世界を静かに包み込んでいく中。
私は一人じゃないのだと、この頼もしい二人を信じて強くなればいいのだと、改めて胸に刻みこむ。
「それじゃ、とりあえずは地道な反復練習からかな。影を自分の指先の一部みたいに操作する方法を——」
そこまで言いかけたアルが、唐突に言葉を途切らせた。
いつもの軽薄な笑みが一瞬で消え去り、別荘の裏手に広がる鬱蒼とした森の暗闇へと視線を向ける。
「アル、どうしたの?」
「……血の匂いがする。それも、かなり濃いな……」
「え!? 誰か怪我でもしているの……?」
この辺り一帯は公爵家の私有地で、部外者は立ち入れないはずだ。
私の頭に最悪の想像がよぎり、思わず声が上ずる。
「なんだろうな、この匂い……。ひどく高潔で澄んでいるけれど……この俺ですら、今までに一度も嗅いだことがない妙な血だ。……とにかく、かなり出血してる」
アルは眉を寄せ、自身の吸血鬼としての感覚を探るようにつぶやく。
「なんだって!? それほどの負傷者が近くにいるのなら探しに行かないと……!」
グレンが碧玉の瞳を走らせ、森の闇に向かって一歩前に踏み出す。
「待った待った。まだ敵か味方かも、何が潜んでいるかも全く分からないんだ。無闇に飛び込むのは危険すぎる。とりあえず、俺が一人で様子を見に行くから……」
「アル一人で行かせるのも危ないだろう! それに誰かが大きな怪我をして、助けを求めてるかもしれない……すぐに行こう!」
「あーもう、分かったってば。……ここにルナリアを一人で残していくのも心配だ。ルナリア、君も一緒に来てくれる?」
「もちろんよ!」
私たちは短く視線を交わし合う。
そして黄昏の残光が完全に消え失せようとしている、不気味な静寂に包まれた森の奥へといっせいに駆け出した。




