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2章-43.(番外編)アルの過去、六百年前の追憶③ フォーサイスとの遭遇

「グレイ、やめて! 彼に失礼なことをしないでください!」


「ですが、アリア王女……! こいつは人間の皮を被った化け物だ! 今、貴女の細い首筋に牙を立てて、その血を吸おうと……っ」


「いやいや、誤解しないでよ。ほんのちょっと、血を吸うふりをしてお姫様をからかっただけだよ」


 俺は肩をすくめると、いつもの軽い笑みを浮かべてみせた。

 これ以上ここに長居すれば、騎士団に包囲されて面倒なことになる。


「アリア王女、君との逢瀬は短いけれど本当に楽しかったよ。またいつか、機会があればどこかで会おうね」


 俺はそう言い残すと、背を向けて、そのまま夜へ溶けるように消え去ろうとした。


「待ってください! ……お願いです、私、どうしてもあなたに頼みたい事があるのです!」


 背後から響いたアリアの必死の叫び声に、俺は闇に消えかけていた足を思わず止めた。

 振り返れば、彼女はグレイの制止を振り切るようにして、俺の背中に向けて真っ直ぐ駆けてくる。


「……吸血鬼の俺に、人間の王女が頼み事だって?」


「はい、お願いです……! どうか、私たち人間と一緒に、吸血鬼達と戦ってはいただけないでしょうか!」


「……はあ?」


 アリアの口から飛び出した、種族の垣根を根底から覆すような、あまりにも衝撃的な懇願。

 俺は思わず、呆れ果てた声を出す。


「今、我が国は吸血鬼との戦争で圧倒的な劣勢に立たされています。この絶望的な状況を覆すには、どうしても、あなたの力が必要なのです!」


「……人間は強い生き物だよ。俺なんかがわざわざ手を貸さなくても、いつかは吸血鬼に勝てるって」


「そうだとしても……! 今この瞬間にも、罪のない多くの人々が酷い犠牲になっているのです。私はこれ以上、愛する民を失いたくない。だから……こうしてあなたに直接、協力を請いに来ました」


「……っは。それで? 俺に同族殺しをしろと?」


 俺が声のトーンを一段階低くして威圧すると、アリアは少しだけ肩を震わせる。

 それでも、彼女はその気高い瞳から決して視線を逸らそうとはしなかった。


「それは……、大変申し訳無いことをお願いしていると分かっています。でも、もうあなたしかいないのです」


「はあ。そもそもさ、俺は人間を食らう『吸血鬼』だよ? 君らの明確な敵なんだけど」


「でも、あなたは人を殺していません」


「…………なんでそう思う」


「この街の周辺では、吸血鬼に血を吸われても、命を落とさなかった人々が多数確認されていました。無闇に人間の命を奪いたくない、優しい吸血鬼がどこかにいると……私はそう思って、あなたを探して会いに来ました」


「なるほどね……」


 俺は少しだけ目を細めた。

 昨日からの、あの無謀とも言える護衛付きのお忍びでの接触。


 あれは俺がただの化け物なのか、それとも言葉の通じる相手なのかを見極める、彼女なりの最終確認だったのだろう。


「つまり俺は、見事に君のお眼鏡にかなったわけだ。だとしても、わざわざ同族を敵に回してまで人間に加担して、俺に何のメリットがあるのかな?」


「それは……今ははっきりとは言えません。でも、あなたの望みを何でも叶える覚悟が私にはあります」


「覚悟ねえ……。それじゃあ」


 俺はゆっくりと彼女の前まで歩み寄り、逃げられないようにそのなあごを指先ですくい上げた。


「君の、その生き血を対価として頂こうかな。王族の血は俺好みで最高の美味だからね。……それなら、特別に協力してあげてもいいよ」


 このまま首筋に牙を立ててしまえば、彼女の言う『覚悟』なんてものはすぐに恐怖と絶望に染まるはずだ。

 そう思い、わざと冷酷に唇を歪めてみせる。


 しかし。

 アリアは俺の恐ろしい脅しにも、おびえるどころか、ぱっと顔を明るく輝かせた。


「本当ですか!? 私の血でよければ、いくらでも吸ってください! これから、よろしくお願いします!」


「……俺が、怖くないの?」


「あなたが優しい人なのは、もう十分に分かっていますから。怖いなんて全く感じません」


 あまりにも真っ直ぐで純粋な信頼。

 俺の胸の奥で張り詰めていた何かが、ふっと毒気を抜かれるようになくなっていくのを感じた。


「……はは、俺も君のことが気に入った。いいよ……君のためなら、この力を貸してあげよう」


「吸血鬼! アリア王女に気安く触れるな!」


 アリアの背後で、赤髪の騎士が顔を真っ赤にして激昂し、白亜の槍を構え直して吠え立ててくる。


「あのさあ……。俺にもちゃんと名前があるんだから、その『吸血鬼』って種族名で呼ぶのやめてくれる?」


「そういえば、まだお名前をお伺いしていませんでしたね。何とお呼びすればよろしいですか?」


 俺はため息をつきながら彼女から手を離し、長い黒髪を片手で軽くかき上げた。


「……まあ、気軽に『アル』って呼んでよ。……これからよろしく、アリア王女と……そっちのうるさい赤髪はグレイだっけ?」


「気安く吸血鬼が俺の名前を喋るな!」


「グレイ! 失礼ですよ、ちゃんと彼をお名前で呼んでさしあげて。……アル、私のことも王女と呼ばなくて大丈夫です。どうか『アリア』とお呼びください」


 アリアは星の輝きのように純粋で、淡い笑みを俺に向けて浮かべた。


 月明かりの差し込む静まり返った酒場で交わされた、真祖と王女の血の契約。

 これが、俺とアリア、そして赤髪の騎士グレイ。

 全員の運命の歯車が回り始めた夜だった。

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