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2章-40.吸血の名残、アルの甘い宣言(★)

 カーテンをきっちりと閉め切った、ほの暗い私の自室。

 布地のわずかな隙間から、昼の日差しが床へとこぼれ落ちている。

 静まり返った部屋の中、二人きりの空間は、どこか後ろめたいような独特の緊張感に包まれていた。


「それじゃ、ルナリア。準備はいい?」


「ええ、大丈夫よ」


 私は小さく深呼吸をして、心臓の音を落ち着かせる。

 そして、自らブラウスのボタンへと指先をかけ、そっと布地を押し広げて首筋を彼の前に露出させた。

 ほんのり気恥ずかしさがあるけれど、これは彼を助けるためにできる私だけの役割だ。


「毎度のことながら……。本当に、ごめんね」


 アルはどこか切なげな声音でぽつりとつぶやいた。

 私をいたわるように、私の腰に彼の細い手が回される。

 少しだけひんやりとした彼の体温を感じると、背中に熱い震えが走った。

 次の瞬間、アルはその鋭く尖った吸血鬼の牙を私の首筋へと深く落とした。


「——っ」


 皮膚を貫く、冷たい牙の感触と鋭い痛み。

 体内の生気と血液が、彼の喉の奥へと直接吸い上げられていくような、独特な脱力感が全身を支配する。


 けれど、不思議だった。

 初めて彼に吸血されたときの、あの抗えない恐怖とは全く違う。

 その感触すべてがどこか愛おしく、温かいものとして私の心に響いていた。


「……はい、終わり。ありがとうね、ルナリア」


 アルはゆっくりと私の肌から口を離すと、今度は牙を突き立てた傷口を優しく、慈しむように唇を這わせた。


「……んっ。これくらいのことで、アルの役に立てるのなら……いつでも言ってね」


 私を助けてくれる彼のためなら、この血を差し出すことくらい何のためらいもない。


(全滅エンドが避けられたのかよく分からないけれど……。ともかく騒動がおさまって良かった。アルもとても元気そう)


 胸を撫で下ろしながら、アルに向けて微笑む。

 しかし、私の言葉を聞いた瞬間、アルの真紅の瞳が深く染まった。


「……ねえ、そんな魅力的なこと、俺の前で簡単に言わないでよ。ただでさえ吸血した後でたかぶっているのに」


 アルは私の腰から手を離そうとせず、強い力でぐっと自分の方へと私をさらに抱き寄せてきた。

 至近距離で見つめ合う彼の綺麗な顔立ち。

 からかいを削ぎ落とした、妖艶な色気を放っている。


「ルナリアの強くて優しい言葉はさ。この極上の血なんかよりも、ずっと俺を惑わせるよ。まったく、君って子は……」


「アル……?」


 腰を抱く手の熱さと、耳元でささやかれた彼の本気とも冗談ともつかない低い声音。

 私の心臓は、吸血とは違う理由で、激しく脈打ち始める。


「……ルナリア。もしも、君の存在に気づいたのが……グレンじゃなくて、俺が最初だったとしたら……」


 アルの瞳が、熱を帯びて私を見つめる。

 あまりの真剣な眼差しに、私が息を呑んだ、その言葉の途中のことだった。


 コン、コン——。


 密室の空気を破るように、ノックの音が響き渡った。


「……ルナリア、アル。……その、もう終わったか?」


 ドア越しに聞こえてきたのは、グレンの固い声だった。

 不安げな声音は、ドア越しでも分かるくらい張り詰めている。


 その声を耳にした瞬間、アルはそれまでの気配を嘘のように霧散させ、パッと私の身体から素早く手を離した。

 そして滑らかな手つきで、私の肌を露出させていたブラウスの襟元を丁寧に整え直してくれる。


「うん、もういいよ。中に入ってきなよ、グレン。……まったく、そんな今にも泣きだしそうな声しないでよね」


 アルは大きな声で扉の向こうへと呼びかけ、やれやれとおおげさに肩をすくめてみせた。

 ガチャリ、と静かにドアノブが回る。


「……失礼する。ルナリア、アル……大丈夫か?」


 ドアが静かに開き、グレンがおそるおそる部屋へと足を踏み入れてきた。

 その瞳は、ひどく心配そうに私達を見つめた。


「吸血された側のルナリアはともかくとして、俺の方は補給させてもらったからね。すこぶる元気だよ」


「そうか……」


 アルの言葉に、グレンはホッとしたように胸をなでおろした。

 そんな彼の様子を見たアルは、唇の端をにやりと吊り上げる。


「そんな頻繁に吸ったりしないから安心してよ。……まあでもさ、グレン。君は当然のように婚約者面しているけれどさ。ルナリアからまだ正式に婚約の返事を貰えていないってこと、まさか忘れてないよね?」


「う……っ、わ、分かっている」


 アルの鋭い指摘に、グレンは分かりやすく動揺して言葉を詰まらせた。

 そうなのだ。

 私からの明確な返事は、彼にも公爵家にも送っていない。


「まあ、ルナリアの答えはもう決まっていそうだけどね。でももし万が一にでも、ルナリアがグレンに愛想尽かしたら……」


 アルはそこまで言うと、私の腕を自分のほうへとすっと引き寄せる。

 彼はそのまま私の耳元へと顔を寄せ、グレンには聞こえないほどの声で優しくささやいた。


「その時は、俺が君を奪ってあげるから安心して」


「……ええ!?」


 あまりに破壊力の高すぎるセリフに、私の口から変な声が飛び出した。

 顔が一気にカッと熱くなる。


「ア、アル!? 今、ルナリアに何を言ったんだ!」


 私の赤くなった顔と動揺を見たグレンが、焦り散らかした様子でアルに詰め寄ってきた。


「さあ? 何だろうね。まあせいぜい、彼女に嫌われないように今のうちからがんばりなよ」


「き、嫌……!」


 アルの意地悪な挑発に、グレンは絶望に満ちた表情を浮かべた。

 それから、捨てられた子犬のような不安そうな瞳で私の方を振り返る。


「わ、私がグレンのこと嫌いになるなんてこと、天地がひっくり返っても絶対にないわ!」


 私は、必死になって両手を振りながら大声で否定した。


「でもさぁ。ルナリアの意思をちゃんと確認もせずに、強引に婚約関係を結ぼうとするような男だからねえ、グレンは……」


「うぐ……」


 アルの容赦ない追撃の言葉に、グレンはついにぐうの音も出なくなったようにがっくりと肩を落とす。

 必死に弁解しようとする私と、完全に凹んでいるグレン。

 そんな私たちの様子を特等席で眺めていたアルは、声を上げて楽しそうに笑った。


「はは、冗談だよ、冗談。……まったく、君らは本当に……愛おしいね」


 その笑みの奥にあるのは、慈しむような、この上なく温かくて優しい眼差し。

 私の部屋は、いつの間にか陽だまりのような温かな空間へと変わっていくのだった。

これで二章は終わりとなります。

次回から番外編(六百年前のアル過去編)の後、三章が始まります。


ここまでご愛読ありがとうございます!

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