2章-39.見えない黒幕、やっぱり複雑な心境のグレン
「はぁ、はぁ……っ」
闇の魔力を一滴残らず使い果たし、私の身体から一切の力が抜け落ちた。
立っていることすらできず、私はその場にがくりと手と膝をついてしまう。
「ルナリア! 大丈夫か!?」
白亜の光をまとう『女神の矛』を携えたグレンが、私の異変に気づいて血相を変えて駆け寄ってきた。
彼は私の震える肩を大きな手でしっかりと支えてくれる。
その手の温もりが、限界を迎えていた私の心を解きほぐしていった。
「だ、大丈夫よ……、少し魔力を使いすぎちゃっただけ。……私よりも、グレンは……? 怪我はない?」
「ああ、私も大きな傷は負っていない。全てルナリアのあの見事な影魔法のおかげだ。……本当に、ありがとう」
グレンは碧玉の瞳を潤ませ、心からの感謝を込めて私を優しく見つめ返してくれた。
「よかった……。私なんかでも、少しでも二人の役に立てて、本当に、よかった……」
安堵のあまり涙がこぼれそうになる私を、さらに包み込むような優しい声が上空から降ってくる。
「二人とも、怪我はなさそうだね。……無事で良かったよ」
長い黒髪を夜風にサラリとたなびかせながら、アルが私たちの元へとゆっくりと近づいてきた。
私たちの無事を確認して、ホッとしたように肩の力を抜いている。
「これで、もう一人の真祖の気配は完全に消え去った。……二人の協力のおかげだよ。六百年越しの因縁に、ようやく決着がついた」
アルは廃墟となった砦の跡地を見つめながら静かに告げた。
けれど、真紅の目を険しくして、思案げに言葉を口にする。
「ただ、ひとまずは、ってところかな。肝心の、真祖復活をたくらもうとした『黒幕』の姿が、この砦のどこにも見当たらない。だから、まだ完全に油断はできないけれどね」
「そっか……。本当の首謀者が誰なのか、分かっていないものね……」
私の胸の奥に、全滅フラグへの不安が小さな影を落とす。
アルはそんな私の焦りを見抜いたように、唇の端を上げて不敵に微笑んでみせた。
「でも、安心していいよ。次同じようなことしようとすれば、俺の嗅覚で瞬時に探知してやるからさ。だから、しばらくの間は安心してゆっくり休むといいよ」
アルの頼もしい言葉に、私とグレンは顔を見合わせる。
そして今度こそ心の底から微笑みを交わし合うのだった。
「……にしても、思った以上に吸血鬼の力を使いすぎちゃったな。ルナリア、君の魔力がちゃんと回復してからで全然いいからさ、また少しだけ血をもらってもいい?」
アルは自分の胸元に手を当て、いつもの軽い調子で微笑む。
さらりと言っているが、あれほどの力を行使すれば、彼にかかっている負荷は相当なもののはずだ。
「ええ、もちろんよ。私の血くらい、アルのためならすぐにでも——」
「……血、か……」
私が即答して首を差し出そうとした瞬間、真横から低い声が響いた。
驚いて視線を向ければ、そこには複雑そうに表情を暗くしたグレンの顔。
「はいはい。グレン、君がどんな気持ちになってるかは痛いほど分かっているからさ。ちゃんと、君の目の届かないところでやるよ」
「……つまり。私のいない密室で、二人きりで……」
アルの配慮で、余計に話がこじれた。
グレンの周囲の空気が、音がしそうなほど凍りついていく。
「いや、だってさあグレン。君は目の前で俺がルナリアの血を少し舐めただけで、すごく不機嫌になるじゃん。君に殺されたくないから、なるべくバレないように吸血するよ、って意味なんだけど 」
アルは呆あきれたように両手を広げて、手のひらをひらひらさせる。
「こ、殺すなんてこと、するわけないだろう……! アル、お前の体調のためになることだと、頭ではちゃんと理解している! これくらいのことは……私は我慢できる!」
グレンは顔を真っ赤に染め上げながら、手をぎゅっと握りしめる。
言葉の内容はどこまでも理性的で立派なのに、その表情はあからさまに「本当はめちゃくちゃ嫌だし我慢したくない」と全面に書いてある。
「ふふ……」
そのあまりにも不器用で愛おしい強がりに、思わず声を立てて笑ってしまった。
「ル、ルナリア……? なぜ笑うんだ……?」
「ううん、何でもないわ。グレンが本当に優しい人だから、嬉しくなっちゃって」
「なっ……! ルナリアがそう言ってくれるのはうれしいが……」
私の不意打ちの言葉に、グレンはさらに顔を真っ赤にして、視線をあちこちへと泳がせる。
「まったく君らは。……入る隙間がないくらい、お似合いだね」
そんな私達を、アルは優しい微笑みで見守ってくれている。
砦の瓦礫が散らばる場所で、日常を取り戻した兆しが風のように吹き抜けていった。
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