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2章-37.乗り込む敵の本拠地、どんな姿でも愛してくれるグレン

 アルの先導に付いて王都を離れ、私たちがたどり着いたのは東の外れだった。

 かつては王都を守るための砦だったというその場所。

 今や崩れかけた石壁が虚しくそびえ立つだけの、寂れた廃墟と化している。

 太陽が西へと傾き始めているせいで、砦の影がまるで怪物の手のように、地面へ長く不気味に伸びていた。


「この砦の中かな。かなり巧妙に隠されてるね。昨夜、あの吸血鬼から引き摺り出した血の匂いを解析しなきゃ、俺でも絶対に気付けなかったよ」


 アルは眼鏡の奥の目を細め、静まり返った砦の入り口を見つめてつぶやいた。


「……見た目はただの古い遺跡にしか見えないが。何だ、この肌を刺すような感覚は。とても嫌な気配がする」


 グレンが周囲の空気を、警戒するようににらみつける。

 五感が拒絶するような邪悪な空気。

 一歩足を踏み入れれば、生きて戻れないような底知れない恐怖が這い上がってくる。


「本当に、この砦の中に入るの? わざわざ敵の領域にこちらから飛び込むのは、少し危険な気がするわ……」


「中に罠とかが用意されているだろうね。あいつ……『もう一人の真祖』と直接戦うまでは、俺としても、できるだけ吸血鬼の力は温存したいところなんだけどな」


 アルは困ったように首を振った。

 私はふと、詳しくは語られていなかった疑問を思い出し彼を見上げた。


「そう言えば、アル。まだちゃんと聞いたことがなかったけれど……、アルの吸血鬼としての固有能力って、一体どんなものなの? 」


「ん? ああ、言ってなかったっけ。俺の能力は『空間制御』。空間そのものを操作して、対象を強引に弾き飛ばしたり、その場の空間を固定して身動きが取れないように抑えたり……。まあ、その気になれば、空間ごと対象をぐしゃりと圧縮したりもできるよ」


 何でもないことのように、淡々と告げられた絶対的な異能。

 隣にいたグレンが、息を呑んで目をみはった。


「空間を……。魔法の領域を遥かに超えているな。アル、お前はそんな凄まじい能力を隠し持っていたのか……」


「その代わりと言っちゃ何だけど、燃費がすこぶる悪いんだよね。発動するたびに、体内のエネルギーがごっそり削られていく感覚さ。六百年前の戦争の時は、その分だけ血を飲んでいたから何の問題もなかったんだけどね」


「魔力とは、全く違うものなのよね?」


 私が尋ねると、アルは自らの胸元に手を当てて頷いた。


「そう、魔力とは全く違う燃料だよ。俺たち吸血鬼にとっての『血』は、ただの飲み物じゃなくて、異能を動かすためのものであり、命そのものなんだ」


「そうなのね……」


「……けど、それは敵の真祖だって同じことさ。吸血鬼の代名詞である『不死性』だって、体内にどれだけ他人の血の残量があるかで、そのしぶとさが大きく変わってくる。奴の体に、新鮮な血があまりストックされてないといいのだけどね」


 アルの言葉の裏にある、これから戦うことになる『もう一人の真祖』の圧倒的な脅威。

 傾いていく太陽の赤黒い光が、私たちの行く末を染め上げる。


「——中に入るのが危険だというのなら、真祖を外へとおびき出しましょう」


 二人に不必要なリスクを負わせるわけにはいかない。

 私は強い決意と共に、護身用の小さなナイフを取り出した。


「ちょ、ちょっと待って……! ルナリア、いくら自分の血が有効だからって、そんな気軽に流血沙汰を起こそうとしないでよ!」


 私の迷いのない挙動を見たアルが、驚きつつも慌てて止めに入ってきた。

 彼が本気で心配してくれているのは申し訳ないが、優しさが伝わってきて胸が温かくなる。


「大丈夫よ、アル。皮膚を切るだけだから……」


 私は返事を待つよりも早く、指先を薄く切った。

 それを見たアルが、呆れたように息を吐く。


「あーもう……! そんなこと続けてたら、君の綺麗な手が傷跡でズタズタになっちゃうよ。グレン、彼女が傷だらけになっちゃっても、ちゃんとお嫁にもらってあげてよね」


 アルは頭を抱えながら、隣に立つグレンへと半ば八つ当たり気味に言葉を飛ばす。


「もちろんだ」


 グレンは何のためらいもなく、大真面目な声で即答した。

 彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、その瞳の中へ情愛を満たすように言葉を重ねる。


「私は、ルナリアがどんな姿であろうと、どれだけ傷だらけになろうとも、その魂の全てを心から愛せる絶対の自信がある。だからアル、お前が心配することは何もない」


「グ、グレン……!?」


 あまりにもストレートで重すぎる言葉に、私は耳の先まで一気に熱くなった。


「はいはい、ごちそうさま。……さて、雑談はここまでだ。ルナリアのおかげで、砦の奥に潜んでいた血の匂いが、激しく揺らめき始めたな」


 アルが小さく肩をすくめ、眼鏡を外す。

 彼の眼鏡の奥の瞳が、ゾクリとするほど冷徹な真紅の瞳へと変貌した。


「……来るよ。ルナリアは今すぐ、あの石壁の物陰に隠れていて」


「わかったわ。二人とも、どうか無事でいて……!」


 私は大急ぎで頑丈な石壁の裏へと身を隠した。

 残された空き地には、白亜の『女神の槍』を再び呼び出し、身構えるグレン。

 そして、黒髪の隙間から圧倒的なプレッシャーを解き放つアルの姿があった。


「——さあ、来い。待ちわびたよ、もう一人の真祖」


 迫り来る奈落の足音を臆することなく見据え、アルは怒りに震えるような声音で紡いだ。


「六百年前のあの戦いから、ずっと続いていた俺の怒り……後悔……、そして犯した罪。……その因縁の全てをここで、すべて精算してやる」


 ——次の瞬間。

 おぞましい爆鳴と共に、目の前にある砦の分厚い石壁が、内側から激しく爆散した。

 立ち込める砂塵の向こうから這い出してきたのは……優美な吸血鬼の姿ではなかった。


 それは、焦茶色のドロドロとした何かが人の形を模した造形。

 おぞましくうごめく人形の塊。

 邪悪な気配を放ちながら、その塊は獲物を求めて音を立てながら質量を膨らませている。

ご愛読ありがとうございます。

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