2章-36.三人の決断と選択、アルが差し伸べる手
「朝からずいぶんと頑張っているね、二人とも」
みずみずしい朝露の降りた芝生を踏みしめる足音が、私達のすぐ横で止まった。
そこにはいつの間にか、眼鏡をきっちりと掛け直し、いつも通り長い黒髪を後ろで結わえたアルが立っていた。
「アル! 昨日は本当にありがとう。おかげで、さっき一瞬だけだけど影を操る魔法が使えそうになったの」
「へえ、それはすごいね。さっそく感覚をつかみかけるなんて、昨日アドバイスした甲斐があったよ」
アルは驚いたように青い瞳を瞬かせた後、嬉しそうに目元を緩めた。
その隣で、グレンが親友を気遣うように口を開いた。
「アル、体調の方は本当に大丈夫なのか? 昨日も吸血鬼としての能力を解放して、尋問まで行ったのだろう。身体に反動は……」
「ああ、それなら全く心配いらないよ。ここ何百年かの絶食期間に比べれば、渇きが癒えている分、むしろ今の方が体調が良いくらいだね」
アルはふっと笑みを消し、私たちを真っ直ぐに見つめる。
「さて……。雑談はこれくらいにして、さっそく君らに少しばかり真面目な話として、聞きたいことがあるんだけどさ」
「……私達に、聞きたいこと?」
「正直なところ、俺の個人的な本音を言わせてもらえば、このまま大人しく学校に行って、子どもらしく平和に過ごしていてほしいんだけどね……」
アルは私とグレンの顔を交互に見比べながら、おおげさに深い息を吐き出した。
「一応、ちゃんと事前に二人の意向を聞いておこうと思ってさ。君たちのことだから……ここで俺が何も言わずに一人で動いたら、とんでもない行動をしそうで怖いからね」
アルのその言葉の裏にある確信に、私とグレンは思わずギクリとして顔を見合わせた。
確かに、放っておかれたら私達は自分たちの足で闇に突っ込んでいっていただろう。
グレンが咳払いで誤魔化しつつも、アルの顔を真剣に見据える。
「それは……。つまり、昨夜捕獲したあの吸血鬼の件で、何か分かったということか?」
「まあね。色々とやって……ね」
アルは言葉を濁しつつも、唇の端を不敵に吊り上げる。
そしてまだ見ぬ闇を見るように、街の方角へと視線を向けた。
「あの『もう一人の真祖』が眠っているだいたいの方角くらいなら……風に乗って漂ってくる血の匂いだけで、今からでも正確にたどれそうなくらいには情報は絞れ込めたよ」
「つまり、これから……その突き止めた場所へ直接、乗り込むということ?」
私は朝の光に照らされた自分の包帯を見つめながら、唾を呑み込んで尋ねた。
アルの言葉の重みが、静まり返った庭園の空気を張り詰めさせていく。
「そういうこと。……ただし、ここから先は昨夜とは比べ物にならないくらい危険だ。何が起こるか分からないし、最悪の場合、命を落としたとしても全く不思議じゃない」
アルは眼鏡を押し上げながら、いつになく真剣な声音で事実を告げる。
「……俺はさ」
アルは一度言葉を区切ると、ゆっくりと顔を上げた。
眼鏡の中に映しこまれた、揺らいでいる青い瞳。
そこには、痛々しいほどの怯えが張り付いているように見えた。
「アリアの時みたいに、二人に何かあったら……。俺は、今度こそ二度と立ち上がれない」
「……アル……」
昨夜、バルコニーで彼が吐露した血塗られた過去。
自分のせいで最愛の女性を死なせてしまい、終わらない後悔の地獄を歩み続けてきたアル。
その言葉に込められたあまりにも大きな想いに、私の胸の内が揺れ動く。
「……それでも。二人は、俺と一緒に来る?」
静かに投げかけられた、覚悟を問う一言。
小鳥のさえずりが響く爽やかな朝の庭園で、自らの命を天秤にかける選択を突きつけられた。
「——愚問だな」
アルの視線を真っ向から受け止めたグレンは、決意を端正な顔立ちに浮かべた。
彼は一歩前へと踏み出し、親友の肩にその手を力強く置く。
「私だって、もしアルに何かあれば……お前を一人で行かせたことを、きっと一生後悔する。昨夜言ったはずだ、私はお前を心から信頼していると。だから、一緒に行かせてくれ」
その碧玉の瞳に宿る、一筋の迷いもない強固な光。
自身の誇り以上に、一人の友としてアルを絶対に孤独にさせないという絆がそこにはあった。
グレンの言葉に背中を押されるようにして、私も包帯の巻かれた腕を抱きしめながら、アルの正面へと進み出た。
「私も……。私はグレンほど強くはないし、まだまだ足手まといかもしれないけれど……。でも、アルを孤独な戦いに、一人で行かせるのだけは絶対に嫌なの。だから……少しでもあなたの力になれるのなら、私も一緒に行きたい!」
全滅エンドを回避するためにも。
そして、六百年もの間、一人きりで血を流し続けてきたこの愛おしい彼の心を、今度こそ完全に救い出す。
私の胸の中で燃え盛るその決心を視線に乗せて、彼を強く見つめ返した。
「……はは。まったく、二人して。まあ、そう言うと思ったよ」
私たちの少しも引かない猛烈な熱意におされたのか、アルは一瞬だけ呆れたようなため息をつく。
けれど次の瞬間、彼は青い瞳を細め、救われたような優しい笑みをこぼした。
「それじゃあ、行こうか。ちょっと遠出になるよ」
アルは、私達を誘うように手を差し伸べた。
朝の光が、私たちの進むべき道を白く照らし出している。
私達は互いの存在を確かめ合いながら、本当の戦いへと立ち向かい始めた。




