2章-34.アルの告白、六百年前の懺悔(★)
アリア王女を自らの牙で殺したという、アルのあまりにもおぞましい告白。
歴史を根底から覆すようなその言葉に、私の心臓はまだ早鐘を鳴らし続けている。
けれど、私は彼の瞳から逃げ出さなかった。
私は胸の奥から湧き上がる思ったままの素直な気持ちを、彼に向けて吐露する。
「……そうだとしても。あなたが彼女を殺したのには、何か理由があったのでしょう?」
「——っ。……なんで、そう言い切れるんだよ」
アルは苦しげに、信じられないものを見るかのように私を見つめ返した。
その瞳の奥で、激しい困惑が渦巻いているのが分かる。
「グレンに比べれば、私があなたと過ごした期間はとても短いかもしれない。でもね、アル。それでも……あなたが無意味に、自らの欲のために誰かを殺すわけがない。それだけは、これまでの時間ではっきりと分かっているもの」
私は恐怖を踏み越えて、アルの方へと力強く一歩、歩み寄った。
バルコニーの中で、私達の視線が交錯する。
至近距離で見るアルの青い瞳は、人外の恐ろしさなど微塵もない。
ただ傷ついた子どものように、どうしようもなく悲しげに揺らいでいた。
「自分の身を削ってまでこの国を、そして私達を助けてくれる……。そんな優しすぎるあなたを、私は心から信じている。だから——私はあなたを、助けたいと思っているのよ」
この世界に存在する、あの恐ろしい全滅エンドのシナリオ。
それを回避するだけじゃ、きっと私の目的は達成されない。
今、目の前で一人で血を流し続けている、優しい吸血鬼の傷ついた『心』。
それすらも本当は、全部私が守り抜きたい。
その熱い誓いを全て視線に乗せて、私はアルの痛々しい顔を見つめ直した。
「はは、そっか……」
アルは諦めたように、けれどどこか救われたように力なく小さく笑った。
その瞬間、息が詰まるような重苦しい空気が、嘘のように綺麗に消え去っていく。
「そうだね。ルナリアの言う通りだよ。俺がアリアを殺さざるを得なかった理由は、確かにあった」
アルはゆっくりと夜空を見上げ、今にも涙をこぼしてしまいそうなほどに痛切に目を細めた。
「……俺は、誰かに責められたかったのかもね。彼女を殺してしまったという罪悪感から、少しでも逃れたくて……」
あまりにも不器用で、優しすぎるアルの独白。
月光に照らされた彼の横顔は、真祖などではなく、誰よりも孤独な一人の少年の姿そのものだった。
「俺が人間側についたことに、君が思うような高尚な理由なんて何一つないよ。……ただ、アリアのことが好きだった。本当に、それだけだったんだ」
アルは切なげに、遠い果てしなき過去の記憶に思いを馳せるようにそっと目を閉じた。
「でもね……。俺は、彼女を最後まで守りきれなかった。あの最終決戦、もう一人の真祖との戦いの最中……俺の一瞬の油断のせいで、彼女は取り返しのつかない致命傷を負ってしまったんだ」
再びゆっくりと開かれたアルの青い瞳は、まるで私にすべての罪を懺悔するかのように小さく煌めく。
「瀕死の彼女が遺した最後の思いは、この国を守ること。そして、自分の残りの血を、すべて俺に捧げることだった。……俺は、その約束を守った」
アルは自嘲するように首を振りながら、大きく吐き出すように息をついた。
愛する人の血を吸い、その命を自らの牙で奪い去る。
それが、彼にとってどれほど地獄のような苦痛だったか。
想像しただけで、私の胸が張り裂けそうになる。
「ただ、その代償なのかな。その日を境に、俺は『血を吸う』という行為そのものに対して、激しい拒絶反応を感じるようになってしまったんだ。吐き気をもよおすぐらいにね。……血を口に含むくらいなら、限界まで飢えと渇きを我慢する方が、何百倍もマシだった」
「そう、だったのね……」
ストンと、心に落ちるようにすべてのパズルが繋がった。
彼が六百年間も絶食を貫き、力が衰えていた本当の理由。
それは、あまりにも優しすぎる彼が、最愛の人の命を奪ってしまったことへの深いトラウマの現れだったのだ。
「……それなら、アル。私の血は、本当に大丈夫だったの?」
私は包帯の巻かれた腕をそっと抱きながら、不思議に思っていた疑問を口にした。
「なぜだかは、俺にもさっぱり分からないけれどね」
アルは少しだけ戸惑ったように、自らの唇にそっと指先を当てた。
「ルナリアが持つ闇の魔力のせいなのか、血が特別なのか、それとも単純に俺達の相性が特別なのか……。ルナリアにとっては、化け物に好まれているなんて怖いことだろうけれどさ。君の血だけは……不思議と心地よさすら感じるんだ」
「怖いだなんて、そんなこと絶対に思わない!」
私は強く首を振り、アルの目をしっかりと見つめ返した。
「私の血が……私があなたの力になれたことが、むしろ心の底から嬉しい……。私でも役に立てたんだって……!」
「そう? ……なら、良かった」
私の迷いのない言葉を聞いたアルは、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
その美しい顔立ちの中に、これまでにないほどの優しさと温もりが込められた笑みを浮かべる。
「君はひたむきで、強いね。グレンが……君に惚れた理由がよくわかったよ」
思わぬグレンの名前。
アルの呟いた言葉の意味がとっさに理解できなくて、私が小さく首をかしげた——その瞬間。
アルが私の腕をそっとつかみ、引き寄せるようにして抱き寄せた。
「——え!?」
アルの胸元へと体が埋まる。
少しだけひんやりとした彼の体温と、夜風に混じる微かな甘い香り。
突然の抱擁に、私の心臓が跳ね上がる。
「なんでだろうね。君とアリアは、外見も性格も似ていないはずなのに……。一緒にいると、あの頃と同じような安らぎを感じるよ」
その声音に込められた、からかいではない、どこか本気のような切ない温度感。
私はどうしていいか分からず、ただ体を硬直させて、顔が真っ赤に染まっていくのを感じるしかなかった。
「ア、アル……? あの……っ」
私が赤面したまま言葉を失っていると、アルはパッと身体を離した。
そこには、いつもの意地悪で楽しそうな笑みが戻っている。
「なーんてね。はは、驚いた?」
「も、もう! 心臓に悪いから、そういうからかい方は絶対にしないで……!」
私は赤くなった顔を隠すように両手で頬を押さえ、うろたえながらも彼をとがめる。
「ごめんごめん。それじゃあ、俺はそろそろ行くよ。……ああ、そうだ。去り際に、弱さに悩む可愛いルナリアへ、ひとつだけ先輩からのアドバイス」
アルはバルコニーの柵に片手をかけ、明るさを取り戻した青い瞳を向ける。
「俺さ、一度だけ君と同じ『闇属性』を持った人間と戦ったことがあるんだよね。その時、そいつは……『影』を自由自在に操る魔法を使っていたよ。動きを止めたり、身を隠したり、応用が利いてすっごく厄介だったな。ルナリアも、使えるようになったら便利なんじゃない?」
「影を、操る魔法……」
アルがもたらしてくれた、闇属性の本当の戦い方。
その新しい可能性のヒントに、私の胸の奥で高揚感が小さく弾けた。
「やってみる。ありがとう、アル!」
「はいはい。……それじゃあね、おやすみ。ルナリア」
アルはそう言い残すと、今度こそ夜の静寂へと溶け込むように、バルコニーからふわりと飛び降りて姿を消す。
残されたのは、冷たい夜風と、私の指先に微かに残る闇の魔力の名残だけだった。
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