2章-33.夜半の特訓、アルが明かす六百年前の真実
「はあ……」
腕の応急手当てを終えた私は、ようやく自室のソファに深く腰掛ける。
公爵邸にこっそりと帰還した後は、グレンと私は音を立てないよう静かにそれぞれの部屋へと戻った。
アルだけは「フィンに話があるから」と言い残し、まだ明かりの灯る執務室の方角へ向かっていった。
「今日は……本当に、色々ありすぎたわね……」
真っ白な包帯が巻かれた自分の左腕を見つめながら、心を落ち着けるように深く長い息を吐き出す。
消えた痛みの代わりに、胸の奥を満たしていくのは、得体の知れない強い焦燥感だった。
「少しでも……破滅の未来を、回避できたかしら……」
ゲームの中でも屈指の難易度を誇るという、吸血鬼関連のシナリオ。
それを、不完全な知識しか持たない私が介入したことで、少しでも良い方向へ変えられたのだろうか。
そんな風に自問自答を繰り返すほど、思い知らされたばかりの『現実』が重くのしかかってくる。
「それにしても……私は、あまりにも弱すぎるな」
今回は捨て身の奇策で、どうにかグレンの勝利へ繋げることはできた。
けれど、純粋な戦闘面においては、私はただ守られるだけの存在で、何一つ役に立たなかったのが現実だ。
これでは、この先さらに激化していくであろう戦いについていけない。
それどころか、いつか本当に二人の足手まといになってしまう。
「少しでも……魔力コントロールの訓練をしておこう」
じっとしていられなくなった私はソファから立ち上がり、窓を開けて夜風の吹き抜けるバルコニーへと歩み出た。
深い夜の闇に包まれたフォーサイス公爵邸の広大な庭園が、美しい静謐をたたえて目の前に広がっている。
「魔力を外に出すイメージができれば……。私でも少しは攻撃魔法が使えるようになる、かしら……」
目を閉じ、指先に意識を集中させる。
ほんのわずかな魔力をかき集め形作ろうと、ぐっと指先に力を込めた。
その時だった。
「こらこら……。俺の見ていないところで、そんな危なっかしい闇属性の訓練をしないの」
どこからともなく夜風に紛れるようにして、音もなく黒い影が私の真横に舞い降りた。
「アル……っ! び、びっくりした……」
あまりに突然の登場に、私は小さく弾き飛ぶようにして声を上げた。
長い黒髪がさらりとほどかれたまま、夜風に美しくなびかせている。
アルは私の魔力の残滓を見つめながら、眼鏡の奥にある青い瞳を優しく和らげた。
「一応、暴走させずにちゃんとコントロールできているね。ルナリアの今の段階や年齢からしたら、これでも十分うまくやれている方だよ」
「本当……? 魔法の天才であるアルにそう言ってもらえると、すごく自信になるわ」
彼からの言葉に、張り詰めていた私の心がふっと軽くなる。
けれど、アルはそんな私のな反応に苦笑いするように頬を掻いた。
「まあ、俺は魔法に関しては、実はそこまで得意な方じゃないんだけどね。吸血鬼の力をおいそれと使えないからさ。代わりに魔法方面の技術を、ここ六百年間でなんとなく鍛えたってだけだから。広く浅く扱えるって感じだよ」
「六百年も……。私から見れば、十分すぎるほど凄いと思うけれど……」
気の遠くなるような歳月鍛えた結果を一言で片付けてしまうあたりが、彼の天性さを物語っている。
尊敬の眼差しを向ける私に、アルは「そう?」とつぶやき、公爵邸の庭へ視線を移した。
「……ルナリア。今の状況で、君が焦ってしまう気持ちもよく分かるけれどさ。魔力の制御はもっとゆっくり、自分のペースでやっていこう。慌てて力を求めると、良いことないからね」
「でも……私は本当に弱いわ。これから先、何が起きるか分からない中でも……二人を少しでも助けられるようになりたいの」
胸に渦巻くのは、全滅エンドへの恐怖と、二人への強い想い。
私の決意を受け止めたアルは、首を振りながら自嘲するように微笑んだ。
「……弱いなんて、そんなことないよ。人間っていう生き物は、君が思っているよりもずっと強いんだ。それこそ……俺なんかよりもね」
「アル……?」
夜の静寂の中に、静かに溶けていくアルの声音。
それは、ただ人間という種族を言葉通りに尊敬しているだけではない気がした。
どこか、自分という存在を心の底から卑下し、激しい嫌悪を押し殺しているような苦しさが込められているように思えてならない。
だからこそ、私は精一杯の温もりを込めて言葉を紡いだ。
「でも、アルはとても強くて……それに、本当に優しいわ。いつでもこうして私達を危機から助けて、見守ってくれているもの」
「……優しい? 本当に、心からそう思う?」
アルはバルコニーの柵からゆっくりと身体を離し、私の方を振り返った。
その瞳は、すべてを射抜くような冷たさを帯びていた。
まるで、目の前にいる私を突き放すかのような、底冷えのする視線。
夜風よりも冷たいその気配に、私の身体は本能的な恐怖で小さく震えそうになる。
けれど、私は視線を逸らさず、さらに言葉を重ねた。
「そうよ。だって六百年前のあの戦争の時だって、あなたは自分の同族を裏切ってまで、人間の味方をしてアリア王女を助けてくれたのでしょう? その頃からずっと、アルは……」
「……そのアリアを、この牙で生き血をすすって、無惨に殺したのが俺だとしても?」
「——っ」
アルの瞳が、睨みつけるような圧倒的な威圧感を孕んで私の身体を貫いた。
心臓が、恐怖でドクンと嫌な跳ね方をする。
あまりにも想定外で、あまりにも残酷な言葉に、私の思考は止まりかけた。
「え……? でも、おかしいわ。歴史の授業……アリア王女は、討伐しようとしたもう一人の真祖との戦いで命を落としたって……」
「それは違うよ。合っているのは真祖に殺されたところだけだ」
アルは私から目を逸らすと、自らの両手を見つめた。
「間違いなく、彼女を殺したのは俺だ。もう一人の真祖を打ち倒した後にね」
そう語るアルの横顔は、夜の闇に溶け落ちてしまいそうなほど酷く痛々しかった。
私が知らない歴史の中に、絶望の真実が横たわっている。




