2章-32.暗夜の収穫、傷の治療と複雑そうなグレン
「ルナリアの血の匂いが急に強くなったから、焦って来てみれば……。二人とも、大丈夫?」
私たちのすぐそばに、夜風と共にふわりと黒い影が舞い降りた。
現れたのは、真紅の瞳を輝かせるアルだ。
私たちの姿を確認すると、いつもの親しみやすい少年の目へと戻っていく。
「アル……。あなたも無事だったのね、本当に良かった……」
「これくらい何でもないさ。それよりもルナリア、その腕を出して。怪我しちゃったでしょ」
アルは私の腕に目を留めると、すぐに膝をついて顔を近づけてきた。
私は震える腕を、おそるおそる彼の前へと差し出す。
アルはその傷口を優しく両手で包み込むと、自身の唇を私の傷口へとそっと這わせた。
「……んっ」
そのあまりにも妖艶で未知の感触に、ゾクゾクとした鳥肌が全身に立ち上った。
同時に痛みが引き潮のように、波を立てて引いていく。
アルがゆっくりと唇を離す頃には、血の流れも嘘のように収まっていた。
「よし、これでひとまずは大丈夫。ただ、痛みが消えて血が止まっただけで、傷口そのものが完全に塞がったわけじゃないからね。公爵邸に戻ったら、ちゃんとした医療道具で手当てをしよう」
「ありがとう、アル……。本当に助かったわ」
「いや、お礼を言うのはこっちの方だよ、ルナリア。君が身をていして敵を惹きつけてくれたおかげで、こっちは最高に良い収穫が得られたんだからね」
「……収穫? 何か手がかりでも掴めたの?」
私の問いかけに、アルは唇の端を吊り上げ、闇に溶けるような冷たくて妖しい笑みを浮かべた。
「上位吸血鬼を捕獲できたのさ。これから公爵邸の地下室に連れ帰って、じっくりと、隅から隅まで『分析』させてもらうよ」
その声音に含まれた、真祖としての絶対的な威厳と冷酷さ。
普段の姿を知っているだけに、その差に私は少しだけ背筋が震えるのを感じた。
アルは、ふと私の隣へと視線を移し、わざとらしく困ったように肩をすくめてみせた。
「……ところでさ、グレン。さっきからもの凄い顔でこっちを睨みつけるの、いい加減にやめてくれない? ちょっと殺気すら感じるんだけど」
「ぐ……っ! ち、違う! 私はそんな殺気など……! ただ、その……。いくら治療のための行為だと頭では分かっていても、目の前で実際にやられるのを見ると、さすがに……色々と複雑な思いが胸に去来するだけで……」
グレンは顔を真っ赤にしながら、バツが悪そうに視線をあちこちへと泳がせた。
「まあでも、俺のサポートなしで上位吸血鬼を討ち取れたのは普通にすごいよ。日々の訓練の賜物だね、グレン」
アルはグレンのからかうのをやめ、今度は純粋な称賛の眼差しを彼に向けた。
けれど、グレンはおごることなく、むしろ引き締まった表情のまま首を横に振った。
「いや……。私が勝てたのは、ルナリアが自らの血を流して、敵の気を完全に引いてくれたおかげだ。あのまま吸血鬼の異能とまともにやり合っていたら、少し危険だったかもしれない」
「ああ、なるほどね。ルナリアのその怪我は、そういう理由だったんだ」
アルは合点がいったように私の腕の傷に視線を落とし、呆れたようなため息をひとつついた。
「自傷行為は褒められないけど、ルナリアもがんばったね。でももう無茶はしないでよ」
「心配かけてごめんなさい。なるべく、こういう行為はしないようにするわ」
自ら使ってみせた私の度胸を、彼もまた認めてくれたのだろう。
その言葉に、少しだけ誇らしい気分になる。
「……さて」
アルはふう、と夜空を見上げ、周囲の気配を探るように視線を巡らせる。
「これ以上は吸血鬼が寄ってくる気配もないみたいだね。今日のところはひとまず撤収かな」
アルは緊張の糸を解くように、両手を上に突き上げて大きく伸びをした。
そして、私たち二人に優しく、柔らかい笑みを向けてくれた。
「二人とも、本当に感謝するよ。……今日はもう公爵邸に戻って、ゆっくり休もう」
「父上に、夜間の脱走が気づかれていないといいのだが……」
白亜の槍を消し去ったグレンが、悩むように顔をしかめる。
「フィン公爵様にこの件が発覚したら、全員とても怒られそうよね……」
「んー、半分くらいはバレてそうだけどね。……まあでも、上位吸血鬼の生捕りっていう特大の成果を持って帰れば、ちょっとはマシな説教になるかもよ?」
アルは意地悪く笑いながらも、グレンを慰めるように肩を叩く。
私達は夜風に草を揺らす空き地を後にし、公爵邸への帰路につくのだった。




