2章-31.吸血鬼との戦い、白亜の一突き(□※戦闘シーン)
闇の奥から姿を現したのは、焦茶色の髪に、濁った赤い瞳を持った男だった。
先ほどグレンに切り裂かれた胸の傷口を押さえ、憤怒に燃えたぎる目でこちらを激しく射抜いてくる。
「……!」
男が忌々しげにこちらへ手をかざした瞬間、ざわりと不気味に空気が波打った。
ただ事ではない異変を直感で察知したグレンが、私の手を引いてその場から飛び退く。
その、わずか一瞬後だった。
——ドン——ッ!
激しい爆鳴と共に、さっきまでグレンがいた地面から燃え盛る炎が立ち上った。
凄まじい熱風が私たちの顔を焼き、夜の空き地を赤黒く照らし出す。
「これは……魔法じゃない!?」
どれだけ高度な魔法であっても、発動の瞬間には必ず『魔力の痕跡』が周囲に残るはず。
しかし、目の前の吸血鬼からは、そんな魔力の気配が一切感じられなかった。
熱波に顔をしかめながら、私はさっきアルが言っていた『特殊能力を持つ上位吸血鬼』を思い出す。
人知を超えた、魔法ですらない理不尽な異能。
(このままじゃ、グレンが危険……! 私にできることは……!)
私は、震える手に持った護身用の小さなナイフを見つめた。
まともな武術を振るえない私が、これで直接化け物に斬りかかったところで無意味。
(それなら——私の、この体質を……!)
覚悟を決めてナイフの柄を強く握り直し、私は大きく腕を振りかぶった。
そして、一切のためらいなく、鋭い切っ先を自分の腕へと力任せに突き落とした。
「ぐ……っ!」
さっきの指先への傷とは比にならない。
その代償として、傷口から血が撒き散らされる。
「ル、ルナリア!? 何を——」
私のあまりにも突拍子もない行為に、グレンが驚愕で大きく目を見開く。
だが、その血の匂いにより狂わされた存在がいた。
「グ……ア……、ア、アアア……ッ!」
吸血鬼の濁った赤い瞳が、限界まで血走る。
奴はそれまで最大の脅威として警戒していたはずのグレンから、完全に私へと視線を向けた。
「グレン! 今よ!!」
「——そうか……!」
私の捨て身の意図を察したグレンが、地面を蹴り吸血鬼の懐へと一瞬で肉薄した。
血の匂いに目を奪われ、完全に大きな隙を晒していた吸血鬼の胸元。
その心臓の真ん中めがけて、躊躇なく女神の槍を深く突き立てた。
——ギャアアア——ッッ!!
おぞましい、耳を塞ぎたくなるような絶叫が夜に響き渡った。
神聖の光が、内側から吸血鬼の身体を激しく焼き焦がしていく。
最期は夜闇の中に吸い込まれるようにして、吸血鬼は跡形もなく黒い塵となって消え去っていった。
「やった、わ……」
吸血鬼が完全に消滅したのを見届けると、張り詰めていた緊張の糸が一気に切れた。
同時に、私はがくりと力なくその場に膝をついてしまった。
「ルナリア……! なんて無茶をするんだ!」
私を咎めるような、今にも張り裂けてしまいそうな悲痛な声。
彼は冷たい地面に自らの膝をつくのも構わず、震える手で腕をそっと包み込んでくれた。
「大丈夫よ……、このくらい。……それより、グレンが無事で、本当に良かった……」
私は目の前のグレンをじっと見つめた。
彼に大きな怪我は一つもない。
その事実を確認できただけで、傷が気にならないくらい私の胸は安堵感で満たされていた。
「こんなこと、もう二度としないでくれ……! お願いだから……。君に何かあれば、私は、私は一体どうすればいい……!」
グレンの大きな手が、私の身体を優しく抱きすくめる。
かすかに震える彼の胸の中。
私はそんな彼の背中に右手を回し、安心させるように優しく触れる。
「ずっと前に言ったでしょう……。私は、あなたを守りたいって。そのためなら、私はなんだってできるの」
大好きなあなたを、絶対に死なせない。
私のその言葉を聞いたグレンは息を呑むと、自らの胸元から私の顔を引き離し、じっと見つめ返してきた。
「ルナリア……。だとしてもだ! 君のその身体が傷つくなんて、私はどうしても嫌なんだ……!」
碧玉の瞳をいっぱいに潤ませ、今にも泣きそうな顔。
彼が私に向けてくれる感情が、私の心ごと抱きしめてくれる。




