2章-28.吸血鬼にとっての最高の獲物、囮になる決意
「血が必要なら……私では駄目なのか? アル、君の力を取り戻すためなら、私も喜んで血を捧げよう」
アルはグレンの覚悟を決めた真剣な顔を見上げる。
そして、いつもの意地悪でからかうような笑みに表情を切り替えた。
「嫌だよ。俺にも好みってものがあるからね。公爵家の男の血なんて、味見すらしたくないな」
「な……っ! そんなことを言っている場合じゃないだろう!」
あまりにも直球で不真面目な理由に、グレンは声を荒らげた。
「あれれ? もしかしてグレン、ルナリアの血を俺に吸われるのは嫌だった?」
アルはニヤニヤとした笑みを浮かべ、わざとらしく小首を傾げてみせる。
「そうだよね。いくら親友相手とはいえ、自分の好きな女の子に他の男がぴったりくっついて、首筋を噛んだら……普通嫉妬しちゃうよねー」
「ち、違う! 俺はそんな意味で言ったわけでは……っ!」
痛いところを突かれたグレンの狼狽ぶりは凄まじかった。
彼は慌てて私とアルを交互に見つめ、それから弁明するように視線を泳がせる。
「……いや。嫉妬、は……。その……多少は……したが……」
「みっともないよ、グレン。そんなに余裕がなくて器が狭いと、いつかルナリアに愛想を尽かされちゃうかもね?」
「そんなこと言われなくても分かっている!」
アルはベッドの上で楽しそうに笑い声を上げた。
二人の他愛もない会話が、先ほどまでの重苦しい雰囲気が霧散していく。
きっとアルは、私たちを怯えさせないために、あえていつもの調子でおどけてみせたのだろう。
(吸血鬼の真祖だとしても、底しれない力を持っていても、やっぱりアルはどこまでも優しい……)
不器用な彼の優しさを感じながら、私は心がゆるんでいくのを感じた。
「……アル、私達に何かできることはある?」
私は、アルの真紅の瞳を見つめて尋ねる。
アルは私の問いを聞いた途端、再び真剣な目元に戻った。
「何もないよ。相手は本物の吸血鬼だ。……君らには、あまりにも荷が重すぎる。大人しく公爵邸でお留守番しててよ」
「だが、アル! 『女神の槍』を持った私の先祖は、かつてお前と共にその吸血鬼と戦えたのだろう? 私だって、お前の力になれるはずだ!」
グレンがアルの言葉を遮るようにして、激しく食い下がった。
親友を一人で戦場へ行かせたくないと言うように、彼の声が熱く震えている。
「女神の槍は神聖魔法の武器だからね。吸血鬼と唯一まともに渡り合える特効属性なのは間違いないよ」
「なら……! 私を連れて行くべきだ!」
「それでも、当時の君の先祖は、今の君より十歳は年上だった。そのうえ百戦錬磨の騎士。実力が違いすぎるよ」
「では問うが、例えば昨日のような吸血鬼だったらどうだ? 今の私では、倒せないとでも言うのか?」
「それは……。まあ、女神の槍の継承者なら、あれくらい遅れは取らないだろうけれどさ」
「だったら私も一緒に行く! アルを、お前一人だけをそんな危険な場所に活かせるなんて絶対にできない!」
一歩も引かないグレンの気迫。
大切な親友を死地へ行かせたくないという、彼の痛いほどの優しさが部屋を満たしていく。
アルは心底困ったようにため息をつくと、視線を私の方へと向けた。
「……本当に頑固だよね、君ってやつは。そうじゃなくてさ。できるなら……グレン、君はルナリアを全力で守ってほしいの」
「え? アル、私を守るって……?」
自分の名前が出てきて、私は思わず目を丸くした。
「ルナリアの血はね、吸血鬼にとっては、とっても魅力的な匂いをしているんだよ。昨日のあいつだってさ、ルナリアの傷口から漂うその血の匂いに惹かれて、わざわざここまでやってきたんだろうね」
「そんなに……私って、おいしそうなの……?」
「六百年も絶食してたこの俺が、思わず血を舐め取っちゃうくらいだからね。普通の眷属からしたら、本能をかき乱されるくらい最高の香りだろうね」
「つまり、アル。ルナリアの元に吸血鬼が集まってくる可能性があるということか?」
「そうだよ。だからさ、『女神の槍』を扱えるグレンが、常に彼女の側にいたほうがいい。……それが俺からの頼みだ」
二人の少年が、それぞれのやり方で、私の小さな命を必死に守ろうとしてくれている。
その温かさが、胸の奥にじわりと広がっていく。
(——でも、ただ守られているだけじゃ、きっと何も変わらない。……そうだ)
私は自分の手を見つめ、脳裏にひらめいたある『最善の作戦』に心臓を跳ねさせた。
今の自分の最悪な特異体質。
これを逆に利用すれば、彼らの役に立てるはずだ。
「なら……。私が『囮』になればいいんじゃないかしら?」
「……は?」
アルの思考が、完全に停止したような声が響く。
「ルナリア!? 正気か!? それはあまりにも危険すぎる!」
グレンが弾かれたように私の肩をつかみ、今までにないほど血相を変えて叫んだ。
「時間をかければかけるほど、それだけ『もう一人の真祖』が復活してしまう可能性が高まるのでしょう? だったら、じっと待っている暇なんてない。私を餌にしてどんどん吸血鬼を誘い出して、奴らの本拠地の手がかりを見つけましょう!」
私はグレンに肩を掴まれたまま、必死に言葉を重ねた。
怖い。
本当は身がすくむほど怖い。
けれど、ここで何もしなければ、全滅エンドのフラグ的にも、アルにとっても最悪の結果になってしまうかもしれない。
その恐怖に比べたら自分が囮になるリスクなんて、いくらでも背負う覚悟があった。
「ちょ……、ルナリア……。お願いだから、そんな最高に最悪な提案をしないでよ……」
アルがベッドの上で頭を抱え、心底困惑したような声を絞り出す。
「私もさすがにこればかりは反対だ! 自ら囮になるなんて……そんなこと、私には到底耐えられない!」
グレンの掴む手に、痛いほどの力がこもる。
彼らの優しさは嬉しい。
けれど、私にはどうしても譲れない、この状況を覆すためのロジックがあった。
「……でも、冷静に考えてみて。昨夜の事件だって、私はただ公爵邸にいただけなのに、吸血鬼は向こうから襲ってきた。それなら、ただ怯えて待っているより……女神の槍を持つグレンと、吸血鬼の真祖であるアルの側にいる方が、私にとっても一番安全だと思うの」
真っ直ぐに二人を見つめ、凛と胸を張る。
私のその一歩も引かない強い瞳に射抜かれ、二人が同時に息を呑むのが分かった。
「……言っていることの筋は通っているから、余計にたちが悪いんだけど……」
アルは悩むように、くしゃくしゃと自らの黒髪を両手で激しくかき乱した。
六百年もの歳月を生きてきた真祖としての計算と、私達への情が、彼の中で激しく天秤にかけられているのだろう。
「……後でフィンには死ぬほど怒られるだろうし、かと言って君らは引きそうにないし。……何より、残された時間は少ない。はぁ……」
これ以上の押し問答は、時間の無駄だと判断したのだろう。
ついに観念したように、アルはベッドの上で両手をひらひらと力なく振ってみせた。
「わかったよ。ルナリアの言う通り、俺の目の届く範囲で動いてもらった方がまだマシだ。——ただし! これから先、俺の言うことには絶対に従ってよね。まったくもう、どいつもこいつも無茶苦茶なんだから……」
ため息交じりに紡がれた、アルの不器用な承諾の言葉。
それは、世界の裏側に潜む闇。
全員で手を取り合って立ち向かうことを決めた瞬間でもあった。




