2章-26.吸血鬼の真祖アル、六百年間の盟約
「……もう、なんとなく分かっているとは思うけれど。俺は、人間じゃないんだ」
アルがゆっくりと顔を上げる。
真紅の瞳が、まるで生き物のように妖しく揺らめいた。
隠し通せない本性が、一瞬だけ表層に漏れ出たかのように。
「吸血鬼……。その頂点であり、全ての始まりである『真祖』と呼ばれる存在だ。今までずっと、黙っていてごめんね」
「……! 真祖、ですって……!?」
私は思わず息を呑み、自らの口元を片手で押さえた。
歴史の授業で習ったばかりの、古の怪物。
かつてこの国の滅亡まで追い詰め、無数の命を奪い去ったという吸血鬼たちの首領。
その本物が、今、私の目の前で申し訳なさそうに微笑んでいる。
「ああ、ひとつだけ弁明させてもらうと、俺自身は人間に敵対したことは一度もないよ。あの時代、この国に喧嘩を売って暴れ回ったのは……俺ではなく、もう一人の真祖だ」
「もう一人の真祖……? つまり、真祖は二人いたの?」
「そういうこと。まあ、戦争が起きたばかりの頃の俺は、どっちの陣営にもつかずフラフラしてただけだから。歴史に残っていないのも、しょうがないと言えばしょうがないけど」
「確か……アリア王女が戦争に参戦したことで、人間の劣勢が覆ったという歴史なのは知ってるわ。アルもその歴史の渦中にいたのね」
授業の記憶を、目の前の現実と答え合わせするように必死に手繰り寄せる。
アルは懐かしそうに、そしてどこか切なげに呟いた。
「アリア……そうだね。彼女にどうしてもと請われる形で、中立だった俺は人間側についたんだ。そしてグレン、君と同じように『女神の槍』を持った、当時のフォーサイス公爵家の嫡男とも、戦場で肩を並べて戦ったよ」
「先祖と、お前が……?」
部屋の入り口で固まっていたグレンが、碧玉の瞳を驚きで揺らした。
英雄譚の主役の一人が、まさかアルの戦友だったなど夢にも思わなかったのだろう。
「……だからなのね。子供らしくない……まるで全てを達観しているかのように見えたのは。それなら、今までの不自然な言動にも……色々、納得がいくわ」
驚きを超えて、ストンと胸の奥に落ちるものがあった。
初対面の時から感じていた、彼の異常なまでの落ち着きと有能さ。
その正体は、六百年という果てしない歳月を積み重ねてきた圧倒的な経験値だったのだ。
「……君らを騙すつもりはなかったんだ。でも、結果的には嘘を吐いていたのと同じことだからね。正体をずっと隠していて、本当にごめん。……特に、グレン」
アルは真紅の瞳を少し揺らし、申し訳なさそうな表情でグレンを見つめた。
「気にしていない」
グレンは迷いのない、真っ直ぐな声を返した。
「怒るわけがないだろう。……誰にも言えない、深い理由があった。それだけのことだ。違うか?」
「グレン……。うん、ありがとう」
グレンの変わらない信頼に、アルはホッとしたように目元を緩めると、小さく息を吐き出して話を続けた。
「当時、戦争が終わった後でね。俺と当時の公爵家嫡男とで、色々と相談したんだよ。その結果、俺の正体は『フォーサイス公爵家の歴代当主のみ』に語り継ぐ、絶対の秘密にしようと決めた」
「つまり今は父上のみが知っている、ということか?」
「ああ。フォーサイス公爵家が、忌まわしい吸血鬼を裏で囲っているなんてバレたら、それこそ国を揺るがす大騒動だからね。俺を隠すための、彼なりの最大の配慮だったんだ」
「それは……確かにそうだな。もしその事実が表に出れば、政敵たちが黙っていないだろう」
グレンは納得がいったように深くうなずいた。
アルの話で、全ての点と線が綺麗に繋がっていく。
けれど、私はそこで胸の奥にずっと引っかかっていた『別の違和感』を口にせずにはいられなかった。
「でも、アル……。吸血鬼という種族は、その六百年前の戦争の時代に、人間たちの手によって絶滅した……そう歴史の授業で教わったわ。でも、昨日……」
思い出すだけで、首筋に冷たい汗が伝う。
昨夜の、あのバルコニーでの恐怖の光景が蘇る。
「私を捕まえたあの襲撃者たちは……あれは、どう見ても、歴史書に書かれていた『吸血鬼』そのものに思えたのだけれど……」
アルは目を細め、先ほどまでの穏やかな表情を消し去る。
「そうだよ。公爵家と俺が協力して、この大陸にいた吸血鬼は全て残らず滅ぼした。……そのはずだったんだけどね」
アルは一度言葉を区切ると、憎しみを孕んだような低い声音で言葉を絞り出した。
「吸血鬼が……今の世に、再び蘇ったというのか? 一体なぜだ。何のために……!」
「詳しいことは、まだ俺にもわからないんだ」
アルは悔しげに眉をひそめ、首を横に振った。
「昨夜、ルナリアを襲ったあの男を尋問した感じだと……どうやら、誰か別の存在が裏で暗躍して、吸血鬼を人為的に呼び覚ましているみたいだね」
「黒幕が、いるのか……」
「ああ。だけど、昨日の襲撃者はあまりにもただの下っ端すぎた。それ以上の決定的な情報は得られなかったよ」
アルがため息をつき、小さく舌打ちをする。




