1章-23.差し伸べられた手と、グレンの熱意
「……もし、今この瞬間に、将来の希望ややりたいことがあるならば、遠慮せずに言うといい。フォーサイスの名にかけて、私が叶えてやろう」
「将来の、希望……」
公爵の問いかけに、私は一瞬、言葉を詰まらせた。
最初に思い浮かんだのは、このままこの温かな家で、グレンやアルの側で暮らす。
そんなことができたら、それはどんなに幸せなことだろう。
けれど——私の脳裏に、やはりあの最悪の『全滅エンド』の光景が蘇る。
私は彼らを、この優しすぎる公爵家を、私の闇で破滅させるわけにはいかない。
まずは、この近すぎる距離をどうにかしなければ。
「……公爵様。もし許されるのであれば……ご厚意はうれしいのですが、公爵邸を出ることはできませんか?」
「公爵邸を、だと?」
公爵が、意外そうにこちらの表情を伺う。
「はい。……すでにご存知かと思いますが、私の魔力属性は『闇』です。それも、強力で、危険な可能性をもっています」
私は自分の胸の上に両手をきつく重ねる。
その奥で脈打つ冷たい魔力の気配を意識しながら公爵を見つめた。
「私のせいで誰かを……大切な人たちを傷つけてしまうかもしれない。それが、どうしても怖いのです。だから、私は……なるべく誰とも関わらないように、静かに生きていきたいです」
孤高の決意を秘めた私の瞳を、フィン公爵は複雑な眼差しで見つめ返していた。
「……なるほど。次に話そうと思っていた『三つ目』の事柄なのだが……今のはつまり、グレンからの婚約の申し入れを、断るということでもあるか?」
「——っ……はい……」
公爵の静かな問いかけに、微かに震える声で肯定した。
そもそも、彼は私なんかと結ばれてはいけない存在なのだ。
彼には、やがて学園で出会うはずの運命の相手——この世界の『主人公』のであるヒロインがいるはずなのだから。
私がこの家から消え去り、彼が主人公と結ばれて、誰も傷つかない完璧なハッピーエンドを迎える。
それが、この世界の正しい理なのだ。
(私がいなくなっても、きっと大丈夫。グレンは絶対に幸せになれる……)
そう自分に言い聞かせた瞬間、なぜだろう。
チクリと、針を刺されたような、言葉にならない痛みが胸に走った。
「元々、あの婚約の申し入れは、愚息の完全な独断と暴走だ。君には当然、それを断る権利がある。だが……」
公爵は、深くため息をつくと、静かに首を横に振った。
「私が聞きたかったのは、そのような自己犠牲や、遠慮ではない。……まだ、高等部卒業までは十分な時間がある。将来どう生きたいかも、グレンからの申し出についても、今は保留にしておこう。もう少し心が落ち着いてから、君自身の本当の幸せについて、ゆっくりと考えなさい」
「……あの、公爵様は」
私は顔を上げ、恐る恐る口を開いた。
「グレンと私が……その、身分違いの婚約をすること自体には、反対なされないのですか……? 私は闇の魔力を持つ、罪人の娘です。公爵家の名前に傷がつくのでは……」
私の切実な問いかけに、フィン公爵はふっと肩の力を抜き、心底困り果てたような苦笑いを浮かべた。
「……あの馬鹿息子は、一度決めたら岩より硬い、とんでもない頑固者だからな。もし私が反対でもしようものなら、グレンはフォーサイスの名を捨ててでも君と一緒になる道を選ぶだろう」
「え……っ」
先ほど部屋で聞いたグレンのセリフが脳裏をよぎり、私の背筋に冷や汗が伝う。
「それに、グレンは公爵家の三男だ。長男ならいざ知らず、三男の婚姻を身分の釣り合いだけで縛り付ける積極的な理由も、我が家には特にない。……問題は、肝心の君の気持ちが、グレンの熱量に追いついていないことだが」
「そ、それは……! グレンが私に婚約を申し込んだのは……その場の勢いや、困っている人を放っておけない彼なりの優しさだと思うんです。私なんかより、彼にはもっとふさわしい人が……」
必死に否定する私を、公爵はどこか憐れむような、けれど温かな瞳を向ける。
「……君は、グレンが同情だけで動いたと、本当にそう思っているのか?」
「え、でも……。だって私達、まともに話すようになってから、まだ一週間くらいしか経っていませんし……」
「昨夜の作戦。……あの中で最も大変で、困難を極めたのがどの瞬間だったか、君には分かるかな?」
唐突に話題を変えた公爵に、私は小首を傾げた。
「あの男が、君の髪を掴み、君に暴力を振るい始めたあの瞬間だ。……現行犯として法的にあの男を捕獲するためには、我々はどうしても『手を出されるその瞬間』まで、バルコニーの陰でじっと待機していなければならなかった」
公爵の声が、静かに低く響く。
「だが、君が床に叩きつけられる前に、グレンの理性は吹き飛んだ。飛び出そうとするあいつの口を塞ぎ、私とアルの二人掛かりで抑え込まなければならなかったのだよ」
「……っ。そんな、ことが……」
私が知らない、バルコニーの陰で起きていた出来事。
彼が私のために、そんなにも激昂していたなんて知らなかった。
「君達二人の詳しい関係性については、私は何も知らない。だが……あの時のグレンの様子を見れば、君に対して『ただのクラスメイト』や『優しさ』以上の、深く重い感情を抱いていることなど、誰の目にも明白だった」
公爵の言葉が、私の胸の曇りを晴らすように貫いていく。
「……グレンは本気だ。それをどう受け止めるかは、君次第だがね」
グレンの私に対する行動が、彼自身の持つ「善性」だけではないと。
そんな単純なものではないと、公爵ははっきりと教えてくれた。
私は、グレンの手の熱を思い出しながら、名付けようのない感情にどうしようもなく戸惑うのだった。




